音楽批評は不必要なものなのか──音楽メディア「Pitchfork」GQ併合と人員削減に寄せて

ブログからジャーナルへ──「書く」ことの持続可能性

先ほど私は「専門的な教育を受けていない」と言った。それにも関わらず他人の作品を読解・評価して読者に届けるという行為には相応の責任感が必要である。

しかしそれは学術的な分野だけにとどまらせないという宣言でもある。すなわち、誰でも楽しめるポップカルチャーの基本原理と、言論の民主性に基づいて、批評は書かれると私は認識している

そして情報化社会へ時代が移行するにつれ、批評の発生源はより個人的に、波及力はより世界的になっていった。

「Pitchfork」もはじめはブログだった。「KAI-YOU」もはじめは同人誌だった。現代で最も重要な批評家と呼ばれたMark Fisherさんの持論が活発に展開された場所も“k-punk”というブログである。

そのMark Fisherさんは『資本主義リアリズム』という本で、資本主義社会は、その外側を想像すらできなくしていると述べる。

批評言論は結局、ポップカルチャーから追放される運命なのだろうか?

批評マガジンの経営効率化によるリストラにより、メディア従事者たちにとって想像力の窓口が閉ざされることを余儀なくされている。
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