概要
発祥には諸説が有るが、一般的に1970年代初期に、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術を普及)、アフリカ・バンバータ(ヒップホップという言葉の生みの親)の3大DJたちの活躍によって、それまでのコミュニティ・パーティを超えた音楽として広がりはじめたとされる。
曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School、1970年代 - 1980年代)、ニュー・スクール(New School, 1990年代以降)と呼ぶ。
歴史
起源と発展(1970年代)
ヒップホップの起源は1970年代のニューヨーク市ブロンクス地区にある。クール・ハーク(DJ Kool Herc)が1973年に行ったパーティが、ヒップホップの誕生とされている。クール・ハークは、2台のターンテーブルを使って同じレコードのブレイク部分を繰り返す「ブレイクビート」技法を開発し、これが後にヒップホップの基本的な音楽スタイルとなった。
1980年代後期 - 1990年代前期
音楽面で革新的な技法・作品が多く生み出されたことから、この時期のヒップホップをゴールデンエイジ・ヒップホップとも呼ばれる場合もある。当時隆盛を極めていたニュージャックスウィングの影響を受けた楽曲もこれに含まれる。
2パック(Tupac Shakur)、ノートリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、ドクター・ドレー(Dr. Dre)などが登場し、ギャングスタ・ラップが人気を博した。また、東海岸と西海岸のラップシーン間での対立もこの時期の特徴である。
日本ではこの時期をミドル・スクール(Middle School)と表現することがある。ミドル・スクールのラッパーには、LLクールJ、ランDMC、UTFO、フーディニらがいた。
オールドスクールのヒップホップミュージックは、DJとMCの融合が完全にされていない時代であったため、歌詞よりリズムを主体とする。ファッションはRun-D.M.C.に象徴される、ゴールド・アクセサリーにジャージ、スニーカーなどである。
ニュー・スクールは、90年代初頭までを指す場合が多い。ニュー・スクールのラッパーには、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、リーダーズ・オブ・ザ・ニュースクールらがいた。
2000年代以降の多様化
2000年代以降、ヒップホップはさらに多様化し、トラップやドリルなど、様々なサブジャンルが登場した。エミネム、ジェイ・Z、カニエ・ウェストなどが世界的な成功を収め、ヒップホップは国際的な音楽ジャンルとして確立された。
また、インターネットの普及により、アーティストは自らの音楽を直接リスナーに届けることが容易になり、独立系アーティストの活躍も目立つようになった。
ファッションとしてのヒップホップ
ファッションは、シルバー(銀製品に限らず、ホワイトゴールドやプラチナなど、シルバーカラーの)アクセサリー、特に近年は成功者の象徴としてダイヤモンドをあしらった装飾具が好まれる傾向にある。サイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着こなすアーティストが多い。
大きい服を着るようになったのは、刑務所の囚人服は、走ることや格闘が困難になるように、必要以上に大きめのサイズが用意されている。そのため腰がずり落ちてバギーパンツになった。出所後も「ムショ帰り」を誇示するために着用された、とする説がある。しかし、貧困のために頻繁に服を買ってやれない親が、成長してからも着られる大きいサイズの服を買い与えたところからとする説が有力である。
ヒップホップと地域
カテゴライズとして、アーティストの出身地などから、ヒップホップ発祥の地であるニューヨークなどのアメリカ東海岸におけるイースト・コースト・サウンド、ロサンゼルスなどのアメリカ西海岸におけるウエスト・コースト・サウンド(ウエスト・サイド)といった、地域による分け方がある。
初期のイースト・コースト・サウンドは、ジャズトラックを使用した楽曲が多く、対して初期のウエスト・コースト・サウンドは、Gファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップと呼ばれる、ギャング出身者が、そのライフスタイルを歌詞にしたラップを乗せることが多かった。
近年はサウス(南部)やミッドウエスト(中西部)と呼ばれるローカルサウンドも登場している。サウスのトラックは、バウンスビートが特徴である。ヒップホップのポピュラー化により、東海岸でギャングスタ・ラップをするものが現れたりするなど、地域による分類が、MCの出身地訛り以外では、それほど意味をなさなくなっている。
現代では地域性よりも、ファレル・ウイリアムス、カニエ・ウェストといった著名プロデューサーたちの音楽性が、楽曲の特徴にとっているのが現状である。
地方性の名称に固執する日本のリスナーも多くいる。彼らが「ウエスト」と言った場合、90年代の西海岸アーティストの作品、「サウス」と言った場合は2005年以降に輩出された南部出身アーティストの作品を指すこと多い。
例えばアウトキャストは南部出身だが、いわゆる「サウス」と呼ばれる楽曲には含まれないという、近年は矛盾があるカテゴライズである。
近しいジャンルとされるR&Bやレゲエとの境界は、それらジャンルのアーティストとのフィーチャリングなどにより徐々に薄れつつあるが、それぞれに独自の文化が形成される。
日本のヒップホップ
1980年代にアメリカのヒップホップ文化の影響を受けて誕生した。日本語ラップと呼ばれることも多い。日本独自のスタイルとサウンドを発展させ、現在では世界的なヒップホップシーンの一翼を担っている。
1980年代:黎明期
日本のヒップホップの起源は、1980年代初頭にアメリカから持ち込まれたブレイクダンスやグラフィティアートにある。1983年に新宿で行われた「ブレイクダンスバトル」など、初期のイベントがシーンの礎を築いた。アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュなど、アメリカのヒップホップアーティストが日本を訪れ、その影響が広がった。
1990年代:成長期
1990年代に入ると、日本のヒップホップシーンは急速に成長した。1990年に発表されたスチャダラパーの「今夜はブギー・バック」は、日本のヒップホップの代表曲となり、大衆に広く認知されるきっかけとなった。これに続き、キングギドラ、RHYMESTERなど、多くのアーティストが登場した。この時期、クラブシーンも活発化し、渋谷や六本木などでヒップホップイベントが定期的に開催されるようになった。
2000年代:多様化とメインストリームへの進出
2000年代に入ると、日本のヒップホップはさらに多様化し、メインストリームへの進出を果たした。KREVA、ZEEBRA、AIなどが商業的に成功し、テレビやラジオ、雑誌などのメディアで広く取り上げられるようになった。また、この時期には、バトルラップやフリースタイルラップが人気を博し、UMB(Ultimate MC Battle)などのラップバトル大会が開催され、多くの才能あるラッパーが登場した。
2010年代以降:デジタル時代と国際化
2010年代以降、インターネットとソーシャルメディアの普及により、日本のヒップホップはさらに国際的な注目を集めるようになった。YouTubeやSoundCloud、ニコニコ動画を通じて、若手アーティストが自らの音楽を発信し、海外のアーティストとのコラボレーションも増加した。
KOHH、BAD HOP、Awichなどのアーティストが国際的なラッパーとの交流を行うなど、日本以外からも評価を受けるようになり、日本のヒップホップシーンはますます活況を呈している。
中国のヒップホップ
中華人民共和国では、ヒップホップ文化が薬物使用や体制批判に結び付きやすいことに警戒。2018年1月、監督官庁の国家新聞出版ラジオ映画テレビ総局は、テレビ、ラジオ番組でヒップホップなどを取り上げない方針を打ち出している。
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