音楽批評は不必要なものなのか──音楽メディア「Pitchfork」GQ併合と人員削減に寄せて

音楽批評は不必要なものなのか──音楽メディア「Pitchfork」GQ併合と人員削減に寄せて
音楽批評は不必要なものなのか──音楽メディア「Pitchfork」GQ併合と人員削減に寄せて
アメリカの大衆音楽専門批評サイト「Pitchfork」が男性ライフスタイル雑誌『GQ』の傘下に併合されることが、1月17日明らかになった。

それに伴い、編集長を含む編集陣の解雇が同時に報じられた。

「Pitchfork」と『GQ』の母体会社であるCondé Nastのコンテンツ部長・Anna Wintourさん名義で送られたメールによると、「Pitchfork」のパフォーマンスを評価した上で『GQ』チームへの併合を決定。それが音楽をカバーする両ブランドにとって最善の道だと信じると伝えた。

また組織改変に伴って編集長のPuja Patelさんを含むメンバーがチームを去ることが伝えられた。 「Pitchfork」は1996年にインターネット・ブログとして創刊。2015年に大手メディア企業のCondé Nastに買収されている。

主に同時代の幅広いジャンル及び地域の音楽作品を取り扱う批評メディアで、10点満点のレーティング・システムと、年間ベストアルバムのような充実した批評コンテンツや音楽フェスティバルの開催などを通し、世界の音楽ファンたちから人気を博している。

21世紀のインディー・ロック・ブームにおける批評的な支えとなったり、アンダーグラウンド・ミュージックを積極的に発掘するなど、同時代の最も影響力の大きい大衆音楽の批評メディアと言っても過言ではない。

そのようなメディアでリストラが生じたことに対し、懸念の声が多く集まっている。

「Pitchfork」のリストラに対する言論界の反応

最も大きく活発な音楽批評メディア「Pitchfork」で人員削減が行われたことは、ジャーナリズム界に大きな衝撃をもたらしている。

『The Washington Post』では、「音楽ジャーナリズムの心苦しい損失」、「音楽批評誌が男性誌に併合されることで女性/性的マイノリティー/有色人種などの多様性を失うことが懸念される」などのコメントを掲載した(外部リンク)。

ジャーナリストのLaura Snapesさんは『The Guardian』誌で「Pitchforkは、毎日新しいレコード2〜4つのロングフォームレビューを公開することに専念する唯一の音楽窓口」であると紹介した。

それを維持していた従業員たちの失業を憂い、音楽批評が独立した分野として成り立たなくなることへの懸念を表した(外部リンク)。

音楽評論家のAnn Powersさんは『NPR Music』誌で「音楽ライティングの発見、広報のような役割は否定できない」と言いつつも、それが好きな理由が「市場主導の必然性を回避できるということ」と主張。

また、「素晴らしい音楽の執筆は、減速し、他の誰かの創造的な仕事に本当に没頭するスペースを作成することによって、生産性を台無しにする。より真剣に聞くために」と、「Pitchfork」のような音楽批評ジャーナルが生産性・効率性と関係なく、在り続けるべきであることを力説している(外部リンク)。

他にも『Rolling Stone』のような同様の音楽マガジンから、アメリカの大手言論誌『The New York Times』に至るまで、この決定に懸念を示すコラムが発表されている。

ポップカルチャーにおいてジャーナリズムが追放されていく象徴のような事件として、ジャーナリストたちは声を挙げている。

それは批評の独立性が、経済的要求によって存廃に晒される危機感としても捉えられる。

新米音楽ライターの雑感──大衆文化に批評は要らない?

改めて、私は韓国出身の留学生・音楽ライターである

しかし、いまだに自分から「音楽ライター」と名乗ることに違和感がある。専門的な教育を受けたわけでもない。日本に来るまでは、原稿料をもらったことがない……。

韓国で音楽評論の拠点にしている『Tonplein』は(ごく少額の広告費を除けば)完全な非営利サイトだ。そして韓国の有名な音楽批評メディアであるはずの『IZM』『WEIV』『RHYTHMER』『IDOLOGY』のどこも、原稿料は支給されない(※)。

※もちろん原稿料が支給される音楽雑誌やWebサイトは存在する。そして総合言論誌などへの寄稿やライナーノーツ作成、出版、講義・講演や番組出演など評論家が収益を得る方法はいくらでもある。ただこの場合は、主に読まれる大衆音楽評論記事の全般を指している。

これは韓国において、音楽批評が社会の経済サイクルから完全に逸脱した現状を現している

日本に留学してからは「音楽ライター」として初めて原稿料をもらった。ブログを通して声をかけてもらったり、直接打診するなどして、音楽メディアや雑誌に寄稿させていただいた。

そのようなことができたのは、日本ではある程度フォーマルなメディア/プラットフォームが批評的な需要を確保しているからだ。

批評は広報ではない。ファンダム的熱狂でもない。それは現代社会の生産と消費のサイクルから外れている。

だから資本主義社会において常にその存続性が疑われる。そして同時に、その俯瞰的な視座にこそ、独自の価値が保たれるのである。

その価値が少なくとも韓国に比べて日本や欧米圏ではメディア/プラットフォーム内で共有されているから、ジャーナリズム経済の一部を形成しているように思えた。

だから今回「Pitchfork」で行われた「経営効率化」は、音楽批評が独立したジャーナリズム分野として成り立つことの難しさを象徴する出来事に思える

それが同時代の最も影響力のあるメディアで起こったからこそ衝撃はより大きい。

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