「エヴァンゲリオン」シリーズ(以下「エヴァ」)といえば、見ていて苦しくなってしまうような思春期の少年少女たちの心情描写や、難解な世界観で数多の人を虜にし、語られ続けてきたシリーズ。
傑作『シン・エヴァ』を見て黙っていられなくなったKAI-YOUスタッフたちが、座談会を開催しました。
※この記事には、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレが多分に含まれます
目次
『シン・エヴァ』座談会登場人物
わいがちゃんよねや
KAI-YOUの社長。1986年生まれ。小学生のころにTVアニメ版が放送を開始した「エヴァ」世代で、シリーズ映像作品は基本的に視聴済み。飲み会などでは副社長の新見と作品を巡って議論をすることが多い血の気ある論客。相手に噛みつくプロレススタイルを好むが、どこかで自分にダメージを与える強者を待ち望んでいる「ハリネズミのジレンマ」の体現者。新見直
「KAI-YOU Premium」編集長/株式会社カイユウCOO。1987年生まれ。「エヴァ」世代だが、ちゃんと観はじめたのは大学時代から。飲み会で、漫画の話などをしているとなんやかんやで米村との議論に発展しているKAI-YOUのもう一人の論客。ネタバレが大嫌いなのに、どうしても初週に『シン・エヴァ』を見に行けず、1週間耳をふさいでいた。うぎこ
KAI-YOU広報担当。「エヴァ」世代だが、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』や『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』などのリブート前の劇場版(以下旧劇)は観ておらず、TVアニメ版と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下新劇)シリーズのみ視聴。今回の座談会では進行をつとめ、中立の立場から「エヴァ」について語りたくてたまらないスタッフたちの手綱を取る。古見湖
KAI-YOU Videosディレクター。1996年生まれ。TV版放送後に生まれた新劇世代。高校時代に「:Q」が上映された。『Magic:The Gathering』をこよなく愛し、社内部活動として「MTG部」が存在すると聞きつけ面接に挑み、そのまま入社し実質休眠状態だった「MTG部」を再建するという驚異のバイタリティを持つ。『シン・エヴァ』には思うところがあったようで、参加メンバーのなかでも随一の熱気を放っている。小林
KAI-YOUの編集者/Webディレクター見習い。1998年生まれ。新卒世代なのに、社内の誰よりもオールド・オタクであることを誇示する。「エヴァ」は、新劇のみを視聴していて、『シン・エヴァ』公開を機にTVアニメ版と旧劇を視聴する。『シン・エヴァ』視聴後に、KAI-YOU Premium限定Discordに「人間いつまでも銀杏BOYZ聴いてうなずいているようじゃダメなんですかね」という怪文を残す。新劇世代VS旧劇世代 論争が勃発……!
こんにちは。今日は新劇世代と旧劇世代の間に立って公正な司会を心がけたいと思っています。 まずみなさんの「エヴァ」との出会いを教えてください。
僕の「エヴァ」とのファーストコンタクトは、小学校4年生の時に家族で旅行に行った時です。完璧に覚えてるんですけど、ゼルエルと戦った後の、第20話「心のかたち 人のかたち」でした。父親とたまたま観てしまって、「なんだこのアニメは?」と衝撃を受けつつ、ベッドシーンとかで相当気まずい雰囲気になったのを覚えています。
その後、小学校5年生~6年生の時にTVアニメ版が再放送で深夜にやってて、「エヴァ」についてクラスのちょっと尖ったメンバーだけで情報交換し合ってました。深夜アニメの存在を知っていくきっかけになった感じですね。観れる作品は全部観てると思います。
そんなエヴァ好きだったんですね。
いや、「エヴァ」が特別に“好き”だったとかじゃないんですよね。むしろ好きとか言ってる人と意見が合わないかも。だから、最近のこの潮流にはちょっと疑義を呈していきたいと思ってます。
(うわ、いきなりめんどくさそう……)
じゃあ僕ですね。僕の「エヴァ」との出会いは、たしか大学生でした。もちろん「エヴァ」の存在は知っていたんだけど、幼い頃はアニメと言えば『ドラゴンボール』とか『幽遊白書』くらいで、いわゆる深夜アニメみたいなものは通っていなくて。
『攻殻機動隊』のTVシリーズをきっかけにアニメも普通に観るようになって、それで「エヴァ」も見たんです。だけど正直意味がわからないし、神話的モチーフは確かにワクワクするし物語としても非常に面白くてメカの造形にも心躍るのは間違いないけど、そこには世界観だけがあって「あとは好きに解釈してね。オタクってこういうの好きでしょ?」みたいな感じがして抵抗を覚えました。いまだにエヴァは“得意”じゃないです。
(そのわりに話が長え……)
さて、旧劇世代のお二人からは、「別に『エヴァ』は好きじゃない」っていう、いかにもエヴァ世代っぽい発言をいただきました。
一方で、すでに若干引き気味の新劇世代のお二人はどうですか?
どうも、新卒世代の22歳です。
ク●ガキじゃねえか! ク●ガキが「エヴァ」を語るんじゃねえよ!
静粛に!
すみません、つい取り乱しました…。
えっと、話を続けてもいいですか?
どうぞ。
「エヴァ」との出会いは、物心つく前です。よくある「アニメ名シーン30選」みたいな番組で紹介されていて名前だけは知ってました。
ちゃんと認識したのはたぶん小学生の頃で、友達の家で度胸試しで、グロい映像を観たときに、旧劇の弐号機vs量産機のあのシーンを見せられて。
たしかに、僕が小学生の時も「エヴァ」はグロ消費という側面が大きかったです。友達の家でみんなで怖がりながら観るというエンタメで。
例えば、『バトル・ロワイヤル』とかもR-15指定で、当時僕らは年齢に達していなかったけど、誰かがビデオを手に入れてこっそり集まって観てた。「エヴァ」はそれに近い体験でした。
全然よねさん(=わいがちゃんよねや)のターンではないですが、わかる気はしますね。
じゃあ最後に、僕の「エヴァ」との出会いは中学1年生の時でした。当時帰宅部だったんですが、周りのオタクの子に「エヴァは見とけ」っていう話をよくされて、TSUTAYAで借りて観はじめたんですよね。
旧劇まで見たけど、よくわかんねえなって印象で。しかも、周りの友達は他の作品に対しても「これはエヴァのパクリだ、これもパクリだ」みたいなことを言い出していて。深入りしない方がいいのかなって感じて距離を保つようにしていました。
それは観る気なくなるわw
その後、高校生のときに新劇の『:序』を観て、大学最後の今年『シン・エヴァ』を観ました。
あれ、もしかして『鋼鉄のガールフレンド』やってないの?
急にマウント始まった…。
あれ、みんな当然『監督不行届』は読み直してきてるよね?
旧劇世代のお二人、ちょっと黙ってもらっていいですか?
「『エヴァ』の呪い」は解けたのか?
というわけで、旧劇世代の2人と新劇世代の2人に、『シン・エヴァ』を観てあらためて「エヴァ」について話し合いたいテーマをそれぞれ持ち寄ってもらいました。
まず、小林くんからのテーマは「『エヴァ』が社会にもたらした呪いとは、そしてその呪いは解けたのか」。
いきなり重いな。
どういうこと?
『シン・エヴァ』は、シンジたちが大人になって終わったじゃないですか。
僕も観た直後は「ついにシンジくんも大人になったな、エヴァは終わったんだな」って感慨深く感じたんですよ。でも、翌日ぐらいにもっと難解な設定とか「エヴァ」の謎解きを楽しみたかった、もっと「エヴァ」と一緒に遊んでいたかった、という喪失感を覚えまして。
劇中で描かれた「エヴァ」の呪いのひとつに、体が成長しないというものがあったんですが、「エヴァ」は大人になり切れない視聴者にも、ピーターパンのような「子供のままでもいい」みたいな呪いを与えていたんじゃないか、と僕は思ってまして。
ないです、それは。
それは、ないな。
ちょっと待ってください。一旦聞いてください。
僕は『シン・エヴァ』を観て、あのラストを否定したいわけではないですけど、「まだいってほしくない」「もっとシンジくんとアスカがイチャイチャしていてる2次創作が見たい」みたいな自分の中の幼児性を自覚したんですよね。
自分の中の幼児性🤔
僕はリアルタイムでTVアニメ版から観てきた世代ではないんですが、社会的には「エヴァ」という揺りかごが視聴者の幼児性を誇張した側面はあるのではないか。そしてそこに囚われた人たちは、果たして『シン・エヴァ』で本当に解放されたんだろうか、と。
いや、旧劇を観たらその感想はあんまり抱かないんじゃないかな。旧劇は完全にオタクを突き放していて、「お前ら現実に帰れよ」「これ、ただのつくり物だから信じちゃ駄目だよ」みたいな話なんですよ。
でも、旧劇から『シン・エヴァ』にパッケージングされて終わるまで、みんな「エヴァ」から卒業できなかったわけじゃないですか。
たぶん、そもそも「エヴァ」を誤読してると思うんですよね。これはメディア論でもあるんですが、旧劇の当時は現代みたいに「エヴァ」を考察する情報環境が整っていなかったんですよ。
今はブログやYouTubeでクオリティの高い考察が溢れ返ってるじゃないですか。実はそういう状況になったのは最近で、当時は誰も「エヴァ」を理解できていなかったと言っても過言じゃないと思ってます。だから、あの結末がオタクを突き放しているという言説すらも、かなり声が小さかった。
すでに旧劇で突き放されてるから、『シン・エヴァ』であらためて突き放された人はいないんじゃないかってことですか?
「エヴァ」という作品で庵野秀明総監督の言いたいことは一貫していて、旧劇でもエンディングにちゃんと「終劇」が出て終わってるんですよ。旧劇と新劇とで明らかに違う部分はあるんだけど、おおまかに言いたいことは旧劇と変わっていないんですよね。
幼児性からの卒業というテーマは、見せ方こそ違うけど旧劇場版と共通している。だから、「エヴァ」の呪いはすでに旧劇場版で解けているはずなんじゃないかってことですよね?
そうです。ただ、旧劇上映当時の状況も踏まえ、あまりに難解すぎて理解されなかったというのはあります。
旧劇で呪いが解けなかった人たちは、おそらくそこで明かされなかった謎、つまり「エヴァ」の持つ神秘性みたいなものを依り代に、呪いを自ら持ち続けて育ってしまったんじゃないかなと思います。
『シン・エヴァ』でその神秘性を喪失させたからこそ、呪いを解きほぐした印象がより強くなったんじゃないかと僕は感じました。
旧劇では、視聴者が「エヴァ」の神秘性をオタク的な心性の依り代としていたけれど、『シン・エヴァ』はそれさえもよりわかりやすく解き放ってしまったと。
そうなんですよ、めちゃくちゃ簡単になってたなって。
僕もおおむねよねさんに同意なんですが、メッセージは同じでもアプローチがあまりにも違っているとは思います。
旧劇ではファンを拒絶することで現実に引き戻そうとした。他方、『シン・エヴァ』では登場人物それぞれの内面に目を向けさせていくことで優しく背中を押している。それは、これまで庵野総監督が取り得ることができなかった方法論だったと思います。
そうですね。かつての攻撃性は完全に失われている。
たしかに発するメッセージは同じかもしれないけれど、表象として表れているものはむしろ別のものだったんじゃないかな、という印象は強いですね。
結局、その『シン・エヴァ』に至ってもそのメッセージを受け入れられない人たちはどうしたらいいんでしょうか?
そもそもエヴァが合ってないと思う(断言)。庵野総監督が「エヴァ」でやりたかったことって、“アンチアニメ”じゃないですか。そもそもアニメ好きの人向けにつくってないんですよね。
たしかに。鑑賞して思ったことは、ちゃんと自分の人生と向き合っていないと『シン・エヴァ』は刺さらないんじゃないかなということでした。
『シン・エヴァ』では謎を解くためのSF的教養みたいなものがなくても、それぞれが歩んできた人生をひっさげて、人間としての自分に刺さる部分がありましたね。
でも、『シン・エヴァ』にも深読みしようと思えばできそうな、意味深な要素はあったじゃないですか。例えばマリが「イスカリオテのマリア」って呼ばれてたとか。友達と、そういう考察をするのはやっぱり楽しいんですよね。その楽しさを手放したくない。
自分の人生と向き合わないといけない、けれども「エヴァ」に囚われているのは楽しい。どちらの立場もわかるからこそ、どうしていいのかわからなくなっている。
でも、白黒つかなくても前に進まないといけないことって、実際はあるじゃないですか。そういったメッセージは込められているように思いました。
古見湖くん……めっちゃいいこと言うね(涙)。
『シン・エヴァ』で謎がすべて明かされないまま終わったっていうのは「人生ではそういうこともあるよ、だけどちゃんと生きようや」みたいな庵野総監督のメッセージだなと思っていて。
そこをあえて掘るっていうのは、ある意味で反「エヴァ」だし反庵野的だなと思う。もちろん考察が楽しいってのはわかるんですけど。
そうなんですよね。あれだけきれいに終わったのに今さら考察するのは野暮なんじゃないかというのはわかります。
いやいや、考察はたくさんある。でも、考察する必然性がもうなくなったというか。
もうこのYouTubeやSNSが全盛の時代では、自分より優れた考察勢がたくさんいるし、いくら考察してもオリジナリティなんて持てないわけですよ。そもそも庵野総監督は意味なんて込めてないけれども、その意味で、設定の考察は二重に無効化してると思う。
旧劇の場合は、あえて誤読することで「エヴァ」の中にとどまることができた。
でも、新劇は「本当にこれで終わりです。皆さんもうここから出て行ってください」っていうメッセージがわかりやすく強く発信されてるから、もうそこにとどまるという選択肢は取れないと思う。
そうだね。
納得がいかなくて、自分は受け入れないっていう選択肢はある。でも、わからないと開き直ることができた旧劇とは全く状況が違っている。
そう。さっきも言ったように、情報環境がかなり影響していると思う。旧劇の時もみんな「エヴァ」は終わったと思ったんだけど、考察が少なかったからまだ謎解きをする余地があったんだよね。
物語としては完全に終わってるんだけど、謎本が売れてたり、個人サイトとかに長文の考察が書いてあったりして、それを読んで「じゃあ僕はこう思う」とか感想を共有する楽しみがあった。でも、もうそれは価値を持てなくなった。
『シン・エヴァ』はあれだけ明確に「これで終わりです」って強く発信してるし、もうその点について目と耳を塞ぐことはできない状況にはある。
受け入れられない人もいるかもしれないけど、それはもはやその人の問題であって。公式としては「もうこの場所から出ていってくれ」と、誤解しようがないくらいストレートにメッセージを発しているのは間違いない。
結論を出すとすれば、「エヴァ」の呪いは、本当はもうとっくに解けている、ということでしょうかね。
まだ呪われてると思っている人は、「エヴァ」に呪いをかけられたんじゃなく、自分で呪いをかけてるんじゃないですか。
じゃあ僕は頑張って大人になります😢
頑張れ。
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連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
4件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:4711)
にいみさんの「結局シンジは母的な存在に救われた」「特定のキャラに母性が強く要請されている」「いかなる作品も同時代性をもつから、エヴァに限ったことではない。自分の体験を特別視しすぎじゃないか」というご指摘に、ことごとく納得です。自分が違和感を覚えたポイントを明らかにしていただいたと思いました。
小林優介
コメントありがとうございます! 編集部の小林です。
プロフィール部分を執筆いたしました。
ご指摘の件、失礼いたしました。
「エヴァンゲリオン」の勉強・確認が足りておりませんでした。
もう一度視聴し直しておきます…!
匿名ハッコウくん(ID:4372)
居酒屋でやれよ