「革命」前夜──幾原邦彦がいかにメンヘラを描いてきたか
「幾原邦彦」という「作家」について語ること。それはとても困難な行為だ。それを的確に論じることの難しさは、いわば「革命」を起こすことの困難と似ている。今回“はるしにゃん”こと私に原稿の依頼が来たのは、そうした困難に、私個人の実存的な共鳴もありながら、また同時にブログや主宰同人誌などでの論述の能力をどうやら買われたようで、編集者による「世界の果て」からのメールをいただいた、といった次第だ。
左はメンヘラ系同人誌『メンヘラリティ・スカイ』、右は思想と文学とサブカルチャーの同人誌『イルミナシオン』
テーゼを一つ提出しておこう。人は誰しも少なからずメンヘラである。精神分析学的には、ジャック・ラカン曰く、主体は「神経症/精神病/倒錯」のいずれかである。また彼の発達段階論によれば人間の自我は常に幾分か「パラノイアック」であり、常に「心的現実」という「幻想」を生きている。それゆえあらゆる作品においてそこにメンヘラリティなるものを見出すことができる。例えば、「少女」なる表象がすでに男性主体側の欲望による幻想そのものではないか。それゆえ、多かれ少なかれ、幻想を抱く存在としてのメンヘラを、幾原作品を通して概観するこの原稿は、いわば「幻想の横断」を目指していると言って良い。
幾原邦彦という作家──少女の現実と理想
『美少女戦士セーラームーンR』/東映アニメーションHPスクリーンショット
彼の作品はどれも、ファンタスティックかつシュールな雰囲気のなかで、少女向け変身ヒロインものや学園もの、女性同士の友愛を描く百合系といったジャンルを横断しながら、多くの観客をうならせる哲学的なテーマを扱っている。そこにおいて重要となるのが〈運命〉である。『セーラームーンR』におけるタキシード仮面のセリフには「前世からの運命による恋愛なんて僕は認めない」という趣旨のものがあった。すなわち少女の理想を、一方では「幻想」的に、他方で「現実」的に扱っているとも言えよう。
また、近年の潮流として「百合」のような「ホモソーシャルな関係性」がトレンドとなっているが、その百合を現代における「システムへの抵抗」の契機として表現した『魔法少女まどか☆マギカ』の監督・新房昭之は、表現面でも、また当作においてはテーマ性についても幾原監督の影響を強く受けている。
幾原の強みは「テーマ性」と「映像表現」、そして「演出」である。そうした技巧派な彼の、しかしその真髄はそこにおいて繰り広げられる「ヒューマンドラマ」でもある。
2015年現在、彼の最新作である『ユリ熊嵐』が放送中であり、話題を集めている。この作品を読み解くには、彼の象徴主義的な隠喩として、「百合」「熊」「嵐」が、そしてそのあいだの「断絶の壁」が何を指し表しているのかを精緻に分析する作業が、シナリオ面でも映像表現面でも要されるだろう。
アニメーション監督としては、『ベルサイユのばら』などを手がけた出崎統や『機動警察パトレイバー』監督の押井守らに影響を受け、セル画の枚数・作画の力に頼らないで面白いものをつくるという信条を元に、ユニークな止め絵とトリッキーなバンクそしてギャグ演出などを得意とする。
『少女革命ウテナ コンプリートCD-BOX』ジャケット
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はるしにゃん
ライター/エディター/プランナー
1991年生. Writer/Editor/Planner 文芸サークル「カラフネ」代表. 読書会「現殺会」主催. 高円寺カフェバー「グリーンアップル」マネージャー/ディレクター/イベンター. 次の同人誌『SOINEX』は5/3~5/5の即売会とDJイベントにて頒布予定
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1件のコメント
ao8l22
些末な点で恐縮ですが、「セーラームーンR」に「前世からの運命による恋愛なんて僕は認めない」という台詞はあったでしょうか? 「セーラームーン」という作品に前世否定というのがピンとこず(記憶になく)、不思議に思っております。