謎めいた短い文章と、ダークで幻想的なイラストの絵本『うろんな客』(著:エドワード・ゴーリー) が映画化されます。
プロデュースするのは大ヒットホラー映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を手がけたバルバラ・ムスキエティさんとアンディ・ムスキエティさん。二人は姉弟で、弟のアンディさんは監督も務めます。
『うろんな客』は本編が14の文章・イラストのセットからなる作品で、セリフはおろか明確なストーリーもありません。
読者の解釈や想像力に多くを委ねている本作を、一体どうやって映画にするのか、Twitterでは期待の声も上がっています。
にゅっと細長い頭、お腹のふっくらした体型、スニーカーを履いた短い足。その外見にはペンギンのような愛らしさもあるものの、得体の知れない雰囲気が漂っていました。この謎の「客」は屋敷に上がり込み、そのまま居座ってしまいます。
「客」は行動も奇妙で、突然壁に鼻先をくっつけて動かなくなったり、何が面白いのか煙突を覗くのを好んだりしました。
さらに、自分に食事も出してくれる一家に対し、感謝するどころか地味な嫌がらせを開始。蓄音機のラッパをもぎ取ったり本を破いたり、意味不明な癇癪を起こしては浴室のタオルを全部隠したりと、やりたい放題です。
一体「客」の目的は何なのか? 読者は全く手がかりを与えられないまま、ひたすら「客」のわがままに付き合わされる一家の姿を見せつけられます。そう、最後の1ページまでは……。
この形式を採用した理由について、訳者の柴田元幸さんは「ゴーリーの文章は、シンプルながら(というか、シンプルなゆえに)見事な韻文になっているものが多い」と指摘した上で、「形は非常にかっちりしていて、にもかかわらず中身はシュール、というずれがポイントだと思う」と後書きで述べています。
14の原文のうち、短歌形式ではなく通常のです・ます調で訳されたのはたった一つ。最後の文章です。なぜならこの一文(原文では二つのセンテンス)こそ、「客」の正体を明かす“オチ”だからです。
そんな「?」となった読者のために……なのか、訳者後書きでアリソン・ビショップ/ルーリーさんのコメントが紹介されています。彼女は著者・ゴーリーの友人で、ゴーリーは本書を彼女に捧げると巻頭に記しています。
アリソンさんはコメントの中で、この本が自分に捧げられた理由を推察しています。その推察こそ、本書のすべての不可解さを解き明かし、「?」となっていた読者に「あーなるほど!」というカタルシスを与えてくれるものでした。
普遍的なモチーフを究極的にシンプルに描いた絵本から、一本の映画としてどんなストーリー、登場人物が生み出されるのでしょうか? 期待が高まります!
プロデュースするのは大ヒットホラー映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を手がけたバルバラ・ムスキエティさんとアンディ・ムスキエティさん。二人は姉弟で、弟のアンディさんは監督も務めます。
『うろんな客』は本編が14の文章・イラストのセットからなる作品で、セリフはおろか明確なストーリーもありません。
読者の解釈や想像力に多くを委ねている本作を、一体どうやって映画にするのか、Twitterでは期待の声も上がっています。
突如訪れ、家に居座った「客」
物語はとある冬の晩、裕福な一家が暮らす屋敷に招いていない「客」が現れたところから始まります。にゅっと細長い頭、お腹のふっくらした体型、スニーカーを履いた短い足。その外見にはペンギンのような愛らしさもあるものの、得体の知れない雰囲気が漂っていました。この謎の「客」は屋敷に上がり込み、そのまま居座ってしまいます。
「客」は行動も奇妙で、突然壁に鼻先をくっつけて動かなくなったり、何が面白いのか煙突を覗くのを好んだりしました。
さらに、自分に食事も出してくれる一家に対し、感謝するどころか地味な嫌がらせを開始。蓄音機のラッパをもぎ取ったり本を破いたり、意味不明な癇癪を起こしては浴室のタオルを全部隠したりと、やりたい放題です。
一体「客」の目的は何なのか? 読者は全く手がかりを与えられないまま、ひたすら「客」のわがままに付き合わされる一家の姿を見せつけられます。そう、最後の1ページまでは……。
短歌形式の邦訳のなか、唯一普通文で訳されたラスト
邦訳書『うろんな客』には、英語の原文と日本語訳の両方が収録されており、ほとんどの翻訳には短歌形式が用いられています。この形式を採用した理由について、訳者の柴田元幸さんは「ゴーリーの文章は、シンプルながら(というか、シンプルなゆえに)見事な韻文になっているものが多い」と指摘した上で、「形は非常にかっちりしていて、にもかかわらず中身はシュール、というずれがポイントだと思う」と後書きで述べています。
14の原文のうち、短歌形式ではなく通常のです・ます調で訳されたのはたった一つ。最後の文章です。なぜならこの一文(原文では二つのセンテンス)こそ、「客」の正体を明かす“オチ”だからです。
全編に漂う「不可解さ」の正体とは
“オチ”といっても直接的な表現ではなく、これだけでピンとくる人もいれば、初読時の私と同じように「?」となる人もいるであろう終わり方。そんな「?」となった読者のために……なのか、訳者後書きでアリソン・ビショップ/ルーリーさんのコメントが紹介されています。彼女は著者・ゴーリーの友人で、ゴーリーは本書を彼女に捧げると巻頭に記しています。
そう、言われてみれば、この物語でもっとも不可解な点はここでした。「客」はなぜこの家に居座るのか、家族に嫌がらせをするのか、何が目的なのか?ではなく、なぜ家族はそれを受け入れているのか?(「客」は)時が経つにつれ、欲張りに、そして破壊的になっていく。(中略)……。なのに誰も、この生き物を追い出そうとはしない。家族はみな、一貫して、諦念に彩られた受容ともいうべき態度を示しているのだ。
アリソンさんはコメントの中で、この本が自分に捧げられた理由を推察しています。その推察こそ、本書のすべての不可解さを解き明かし、「?」となっていた読者に「あーなるほど!」というカタルシスを与えてくれるものでした。
予想できない映画化に期待が高まる!
奇怪で非現実的な物語に見せながら、オチまで(あるいは後書きまで)読むと、実は時代や文化の垣根を超えて多くの人にとって身近な物語だったとわかる本書『うろんな客』。普遍的なモチーフを究極的にシンプルに描いた絵本から、一本の映画としてどんなストーリー、登場人物が生み出されるのでしょうか? 期待が高まります!
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