諫山創が示した、2つの答え
続いては、五十嵐さんからの「人種差別と平和」。『進撃の巨人』にはそういう要素がかなり織り込まれていましたが、なぜこのテーマを持ってきたんですか?
まず、古今東西様々な漫画がある中で、ファンタジーでここまでちゃんと人種差別について描いているのが珍しいな、と。
例えば、壁の外で生きるエルディア人が腕章をして隔離地区で生きてたり、妹が犬に食わされたり、リアルな戦争映画で見るような描写がしっかり行われていて。
ヨーロッパやアメリカ、海外でも人気を博している理由はそこにあるんじゃないかな、と。
ナチス時代のユダヤ人差別や今も起こっている黒人差別などを踏まえると、欧米の人たちにとってより敏感な問題だと思うんですよね。
海外の人たちからは、「よくそれをテーマにしたな」って評価されているのか。
本当に真正面から描いていますからね。
エルディア人は、巨人化するから恐れられて「悪魔の子どもたち(末裔)」と言われてるじゃないですか。
弱いからじゃなくて力を持っているからこそ生まれている差別、歴史的な洗脳と罪の意識の再生産という構造があまりに生々し過ぎて…。
そういう背景があったがゆえに、「あの最終回は別の答えを出すべきだ」って海外からの反響というか批判があったみたいですね。
いや、そうだよね。普通、差別を扱うなら「差別をなくす」って結論にするよね。それこそエレンは神になったのだからそれもできたはず。
だけど『進撃の巨人』は本当にタブーを描いていて、「そもそも差別をなくすのは不可能だよね」って結論になっていますよね。
諌山先生もおそらく、めちゃくちゃ考えて幸せな結末を描こうとしたんだけど、不可能だった。
最終回では、パラディ島のエルディア人たちが報復を恐れて軍備増強するところで終わって。それが衝撃的で、このテーマを提案しました。
難しい問題すぎるよ。
人は、それぞれの個性や自我を持った存在だからこそ、他者との輪郭を保つためにも差別感情はなくならない。そして人と人が関わりあったら、絶対に摩擦も起きるし。
そういう真理に気づいてしまったから、諫山先生はサウナにハマってしまったんだなと(涙)。
孤独な魂とサウナの相性はすごいですからね。諌山先生、善悪とか戦争とかについて考え抜いた結果、この結論にたどり着いたってことなんですかね?
そもそも差別を描くとかも、諌山先生の大好きな『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下『ゲースロ』)にも通じる部分がありますよね。
はい、そうなんです。
出た、『ゲースロ』大好きおじさん。
実は、『進撃の巨人』のラストも、『ゲースロ』と非常に通じる部分があって。
『ゲースロ』では、最後にある人物が王に選ばれるんだけど、その人が選ばれたのは力でも金でも権力でもなく、「物語」を一番背負っているからなんですよね。人々を団結させるものとは、物語だ。良い物語ほど強いものはない、と。
『進撃の巨人』のアルミンたちも、最後で、争いはなくならないけど「僕達が見てきた物語、そのすべてを話そう」と言っていましたよね。
「現実はどこまでも残酷なんだけど、僕たちが目撃した奇跡の物語を語り継ぐことで、何かを変えることがあるんじゃないか」という可能性を残していたのは、『ゲースロ』の描いたテーマに通じています。
いい話。アルミンたちはまさにそうだよね。語り部として、今まであったことを世界の人に話そうと。
そうそう。『ゲースロ』でも、愛する人をこの手で殺すことで、国を救ったけれどその代わりに国に隷従することになった人物がいて。『ゲースロ』では、その人物は自由どころか誰よりも自由を奪われ、どちらかと言うとエレンに近い結末を迎えてる。
『進撃』では、一方は、物語ることの力で未来をより良くしようと奮闘するアルミンたち。そしてもう一方は、物語ではなく、現実の自分の力を行使することで独りになったミカサという2つの“自由”を描いてるんですよね。
『ゲースロ』から先の、もう一つの自由を用意したんじゃないかって話ですよね。
…そもそも、ミカサが一人でいたラストの演出は、本当に「人が自由になるためには、人との関係を断たなければならない」みたいな話なんですかね?
僕は、マフラーを巻くという行為を通して、エレンとミカサのラブストーリーに対して決着をつけるためだと思ってました。
物語の軸としてそこは別だと。
アルミンたちとミカサが別々の場所に存在していたのは、あくまでそのラブストーリーを際立たせるためにであって、そういう意味では、プラスアルファの選択肢が示されたというわけではないのかなと思ってます。
エレンの墓の横で、ミカサも「もうすぐみんなが会いに来るよ」って言ってるし。
それだとしたら、『進撃の巨人』は残念ながら『ゲースロ』を更新できてないということになってしまう。
そもそも、ミカサとアルミンたちが無事出会えるかどうか、未来は確定していないんだよね。アルミンたちがパラディ島を目指すあの船が、本人たちが冗談めかして言っているように、次の瞬間に撃沈される可能性だって大いにあるわけじゃん。
もっと言えば、アルミンたちは、そこにミカサがいることを知らないだろうし。あの「会えるよ」は、埋葬されたエレンがアルミンたちに再会できるという意味であって、ミカサ自身が会うつもりがあるようには読めなかったな。
そうだね。アルミンたちはみんなでスーツで揃えていて、ミカサだけはたった一人で、カジュアルな服装に身を包んでいたのも象徴的で。
でも、諫山先生は優しいんだよ。鳥を使って最後にミカサにマフラーを巻いてあげた。それで、ただの悲痛な物語にさせていない。
優しい描き方だったと思います。
印象的だった鳥と空の描写をどう捉えるかだと思うんだけど、あれは、それぞれ決別して違う道を歩いているけど、同じ空の下では繋がっているんだよという余韻を描いているように僕には読めた。
もっと言えば、死んで飛び立ったエレン、地に足をつけたミカサ、どう転ぶかわからない海上のアルミン、それぞれが全く違う自由への選択をしたけど、きっとどこかでは繋がっているんだっていう描写だったと解釈したな。
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その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
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