今回お話をうかがったのは、ロックバンド・パノラマパナマタウンのボーカル・岩渕想太さんだ。
北九州市・黒崎で育ち、現在は東京で活動している岩渕さん。自身のバンドでは、RUSH BALL、ROCK IN JAPAN FESTIVAL、RISING SUN ROCK FESTIVALなどの国内大型フェスに多数出演し、昨年にはメジャーデビューを果たした。
対談相手は、同じく黒崎出身で、現在は北九州市役所の地方創生推進室で広報担当として働く石川裕之さん。学生時代に音楽やカルチャー誌を漁り、雑誌『レコードコレクターズ』や『スイングジャーナル』に就職希望して編集長宛に直接手紙を書いた過去があるなど、行政の職員からはあまりイメージできないバックグラウンドをもつ。
KAI-YOUとともに北九州市の企画をつくり上げてきた張本人であり、市の職員とは思えないフットワークの軽さとカルチャーへの深い理解に、我々が度々面食らう“型破りな市役所職員”だ。 地元を同じくするだけでなく、なんと高校の先輩・後輩にもあたる(取材当日に判明)2人。
市職員として北九州市をPRする立場の石川さんと、北九州市を歌った楽曲はじめ“レペゼン北九州”を表明する岩渕さんに共通するのは、出自だけではなかった──。
取材・編集:新見直 執筆:和田拓也 撮影:山口雄太郎
北九州の移り変わり、2人の目が映した街の姿
──お二人とも、北九州市・八幡西区の黒崎が地元でした。同じ高校出身ということも判明しました。そして、石川さんは京都へ、岩渕さんは神戸へ、ともに10代で大学進学の際に北九州市を一旦離れています。共通する部分も多いお二人ですが、それぞれの10代の頃、地元はどういう街だったのでしょうか。石川 僕と岩渕さんはふた回りほど年が違いますけど、僕が高校を卒業して北九州を出る頃までは、黒崎の商店街はまだシャッターが開いていて人通りもあった時代だったと記憶しています。
岩渕 そういう意味だと僕は、黒崎が栄えているときの最後の世代だったかもしれません。子どものころは商店街を自転車で走れないくらい人がいて、実家の餅屋の前で補助輪を外すのも大変なくらい。
それが商店街の活気も次第に薄れて、CDショップも少なくなって。音楽はもちろん映画が大好きなんですけど、映画館も少ない。自転車で30分かけて若松まで行ってようやくタワレコにいける、といった感じでした。家が商店街の一角だったので、地元の活気が薄れていくのを間近に体感していたと思います。
友達は、呉服屋、八百屋、氷屋と商いをやっていた家が多かったんですが、それもみんな閉まってしまった。夜の飲み屋は今でも残っているんですけど。
それもあって、当時は「こんなところにいても何も始まらない」と思っていました。むしろ嫌いですらあった。地元から出たくて仕方なくて、関西に行きました。
石川 世代によって感じるところは違うと思うんですが、僕の場合は高校生のときにはもう黒崎が寂しくなったと思っていました。小学生の頃は本当に人が多くて。ある時久しぶりに部活で黒崎商店街に寄ると、人やものの「隙間」が大きくなっていることに気づくようになったというか。
京都に出たときも、30代で大阪に赴任したときも、地元に帰るたびにその隙間が大きくなっていて。その隙間が、地元に帰ったときに最初に目に入る景色なんです。毎回、ハッとするし、何とかできないのかと強く思います。
岩渕 昔、「こども文化パスポート」といって、北九州の文化施設を回るスタンプラリー企画のようなものがありましたよね。
いのちの博物館とか、北九州市立博物館、ゼンリン地図の資料館など、水環環境館、山田緑地とか、よく行きました。文化に触れたい欲の強い子供だったから、こども文化パスポートにはすごく思い出があります。50箇所全部回りましたから(笑)。
石川 それはすごい! 山口県(下関)も対象に入っていて、フルコンプリートできた人なんてそうそういませんよ(笑)。 岩渕 そんな自分にとっては、文化の中心地が黒崎にあった4階建ての本屋「ブックセンタークエスト」で、それがなくなったときに石川さんと似たような感覚がありましたね。
石川 大学で京都に行って、文化的な感度の違いに衝撃を受けたことが大きかったですね。地元の文化的な情報の少なさを初めて知った。
黒崎には当時、マニアックな輸入盤や海賊盤も置いているレンタルレコード屋があって、ハードロックが好きだったので中学・高校の頃はよく通っていました。けれど、京都では、ポストロックとかそれまで自分が聞いたことのない音楽をみんな知っていて。レコードショップも感度が全然違うんですよ。お客さんのレコードの掘り方も雰囲気があってかっこよかった。
岩渕 僕も大学で神戸に行った時の感覚は同じでした。こんなに音楽や映画が身近にたくさんあって、共通の音楽を話せる人がゴロゴロいてびっくりしました。
北九州が、多くのことを教えてくれた
──岩渕さんはパノラマパナマタウンの楽曲「街のあかり」で北九州のことを歌うなど、今では地元をレペゼンする意識が強いですよね。岩渕 バンドマンや表現をする人間はみんな、自分のアイデンティティやルーツを見つめる必要があるんですよね。
──音楽ライターの三宅正一さんと対談された際におっしゃってたことですよね(外部リンク)。ロックで歌われているメッセージが本質的に変化していないから、誰がどういう風に歌うかが重要になっている。だからバンドも、ラッパーと同じようにセルフボースト(自分を偉大に見せる自己賛美的手法)する必要があるし、自分という人間のルーツを示す必要があると。
岩渕 そうなんです。自分を突き詰める一つとして、北九州の商店街に育ったということが大きなルーツとしてありました。
地元を出たあとになって、気づくと北九州っぽさみたいなものを探している自分がいました。神戸の新開地や新宿のゴールデン街を見ると「北九州っぽいな」と思ったり、表参道を歩くよりも北千住の飲屋街を歩いているほうが気持ちよかったり。
ショッピングモール的な、画一的で無味無臭のものに気持ち悪さを感じるのも、昔栄えていて今も人情でやっているお店に惹かれてしまうのも、僕が商店街で育ったからというのもあるかもしれません。
商店街を通って帰宅してると街の人たちが「おかえり」と声をかけてくれたり、余った売り物を持たせてくれたり、生まれ育った商店街に温かい繋がりがあった。 ──「街のあかり」は郷愁的な歌詞ですが、すべてが画一化される中で、そうではないものとして地元の商店街を象徴的に歌っているということですよね。
岩渕 「みんな同じになっちゃうよ!」って。それは怖いと僕は思います。街灯の明かりなんていらないぜ
見渡せばほら 店のきらめき
愛情が溶け込んだ商店街
あの頃はまだ気づくでもなく そりゃそうか パノラマパナマタウン「街のあかり」より
石川 バンドメンバーの方々は北九州市に対してどういう印象を持ってました?
岩渕 ライブでいろんな街に行きますが、「よく見せよう」という意図を感じることがよくあるんです。でも北九州市は「そのままの街だね」と。飾らないし、変に取り繕ってない人間臭さが良いと言ってくれます。自分が感じるこの街の良さもそういったところです。
黒崎は何もないんですけど、みんながニコニコしている。同じ市内の小倉の魚町商店街には今も昔ながらの店が残っていて活気があるから、僕にとってはあそこが理想です。
人は本当に減りましたが、「飾らない心地よさ」を自然な形で誇れるようになればいいとなと。「〇〇の街」みたいに、無理やりつくっていく必要はないと個人的には思います。
昔のような人に溢れて盛り上がる街の姿に戻るのは難しいですし、それは過去の話。過去をいつまでも引きずっても仕方ないし、強引に演出するのも違うじゃないですか。今の北九州市の、ポジティブな街の有り様を、できれば伝えていきたい。
パノラマパナマタウンの“むき出し”でいようというテーマも、元を辿れば飾らない北九州で育ったからということもあるかもしれないです。
岩渕 そこまで店を増やそうとしないから、その土地にしかないものは多いですよね。餅屋を切り盛りしている親父も、通信販売も店舗展開もしない。今の規模感で十分だといっていて、そこはカッコいいなと思います。
飾らないから見えにくいところもあるんですけど、中に入ると、実は他にない色濃い固有の在り様があったりするんですよね。
石川 単なる観光でいったら、角打ち(北九州市発祥の、酒屋での立ち飲みスタイル)なんてまず入れないですからね。ただ、一歩踏み込んだら、北九州の個性みたいなものが見えてくる。 粗い部分もあって見えにくいんですけど、踏み込めば受け入れてくれる懐の深さがある。
たけのこや魚といった特産も自慢ですが、そこで暮らすありのままの人にフォーカスしていくのがいいのかもしれないですね。そうした土着性が、北九州の1番の魅力なのかもしれない。
一言では語り得ないものの魅力
──KAI-YOUも、何度も北九州に足を運んできました。見えにくい魅力があるというのはとても実感する一方で、“見えにくい”ものを発信するのは、簡単ではないなとも思います。岩渕 そうですね。あるバンドから聞いた話なんですが、売れたきっかけは、たった一言のキャッチコピーをメディアがつけたことだったと。本人的には不本意だったけど、めちゃくちゃわかりやすいフレーズで、それによって思わぬ広がりを見せたと言っていました。わかりやすいものは、商業的には強いですよね。 石川 北九州市だったらそれが「修羅の国」なんですよね(笑)。
博多はいい意味でわかりやすいものがたくさんあるんですけど、「北九州市といえば」という象徴的なものが少ないので説明が難しい側面があります。
北九州市に来てくれたラッパーのハハノシキュウさんとも「北九州をひとことで表すのは難しい」という話にもなった。本当にごった煮なんですよ。
それだけ多面的だということでもありますし、一方で表立って見えない(もしくはそこまで見せつけようとしない)こともあって、PRという観点からは必ずしも有利には働かない。
岩渕 北九州市とパノラマパナマタウンの抱えてる難しさと魅力って、すごく似ているなぁと思います。
工場萌えやレトロ、手榴弾、肉うどんとか、それぞれ個性も立っているんだけど、かと言ってそれが本質じゃない。「これです」と一言では言えないこと、それ自体が魅力なんですよね。
北九州市の飾らなさってさっき言いましたけど、人間臭く、ありのままあろうとすると、わかりやすく語ることができない何かが絶対に出てくるんですよね。
でも、語り得ないものは、最初の敷居が高い。だから、そこは自分たちで乗り越えないといけない。パノラマも、全く同じ悩みを抱えています。 ──一言では言い表せない、“わかりづらい”多面性を持っている北九州市とパノラマパナマタウン。しかも、そのルーツが共通しているというのは運命的ですね。
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パノラマパナマタウン
オルタナティヴロックバンド
福岡、広島、大阪、神戸と、それぞれ出身の異なる4人が、神戸大学の軽音楽部で集まり、結成された4ピースオルタナティヴロックバンド。バンド名の由来は自分達の多様性を表す「パノラマ」という言葉とポップ過ぎて違和感を感じるほどの発語感を意識したもの。高笑いをしながらシーンのちゃぶ台をひっくり返すことを目論む、2010年後期、ロックシーン最終兵器。Vo&Gtの岩渕想太は、福岡県北九州市出身を公言している。
石川裕之
北九州市企画調整局 地方創生推進室
1972年、北九州市八幡西区黒崎生まれ。1997年に北九州市役所に入職し、主に産業振興に携わる。現在は地方創生推進室にて、市外に向けた戦略的広報を担当。人生のテーマソングはBeastie Boysの「(You Gotta)Fight for Your Right(To Party!)」。
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