「ハゲタカ・ジャーナル(predatory journal)」という、お粗末な論文を掲載してお金を稼ぐ悪徳学術誌の総称をご存じだろうか。
論文の著者から高額の論文掲載料を請求することのみを目的として発行され、学者/論文の信用を著しく損なわせる危険もはらむ「ハゲタカ・ジャーナル」は、アカデミックの場で大きな問題となっている。
そんな問題アリな詐欺集団──それを“逆に騙す”存在が「ポケットモンスター」の偽論文で知られるマタン・シェローミ(Matan Shelomi/薛馬坦)だ。
彼が2020年に発表した論文『Cyllage City COVID-19 Outbreak Linked to Zubat Consumption(ショウヨウシティでのCOVID-19のアウトブレイクとズバットの食用消費の関係性)』は、世界的で注目を集めた(外部リンク)。
論文の内容は、「コロナ・ウイルスの原因は食用のズバットにある」というもの。文字通り、あのポケモンの、あのズバットを、医学的な見地から論じた実にまじめな論文だ。そしてご想像通り、まったく現実に基づかない”偽論文”でもある。
本当はコロナ・ウイルスとは全く関係のないズバット/画像は『ポケットモンスター サン・ムーン』公式サイトから
ポケモン好きなら誰もが一目で偽物だと気付くはずの彼の偽論文は、コロナ禍のパニックの中で学術雑誌(ハゲタカ・ジャーナル)に掲載されてしまい、他の著者による論文に引用までされ、世界中に”ポケモン・フェイク論文”が伝播してしまったのだと言う。
一体なぜ、彼らは「ポケモンをテーマにした偽論文」をまるで現実の出来事かのように受け止め、それを掲載・拡散してしまったのだろうか。そしてなぜ、マタン・シェローミさんはポケモンをテーマに偽論文を書こうと思ったのだろか。
このインタビューでは、偽論文の著者本人に、その活動の背景とこれから、そして現在学術の場が抱える問題について話をうかがった。
インタビュー/執筆:赤野工作 編集:タナカハルカ
目次
ハゲタカvs.偽ポケモン 論文で不正を暴く
──まずはマタン・シェローミさんの自己紹介をお願いします。
マタン・シェローミ 出身はアメリカで、ハーバード大学で学士号を取得しました。その後、カリフォルニア大学デービス校で昆虫学の博士号を取得して、2017年から国立台湾大学(※1)で昆虫学の准教授をしています。
※1 国立台湾大学は台湾トップの国立大学で、日本で言うところの東京大学。
国立台湾大学/画像は国立台湾大学公式サイトから
──2020年に書かれた『Cyllage City COVID-19 Outbreak Linked to Zubat Consumption(ショウヨウシティでのCOVID-19のアウトブレイクとズバットの食用消費の関係性)』という論文は、当時世界的に大きな話題になりました。この論文を書こうと思ったきっかけを教えていただけますか?
マタン・シェローミ 実はこの論文の発表時点で、私はすでにポケモンを題材にしたいくつもの偽論文を書いていました。これは学術用メールアドレスを持っている人に一斉送信で寄稿依頼のスパムを送りつけてくる詐欺的な学術雑誌──”ハゲタカ・ジャーナル”の連中をからかうための、楽しい抗議手法の一つだったんです。
マタン・シェローミさんが手がけた偽論文一覧学術の場において、この「ハゲタカ・ジャーナル」は非常に大きな問題です。何故なら彼らは、お金さえ払えば提出された論文を”すべて”受理してしまうから。誰も論文の内容をチェックしていない偽物の学術雑誌、そこにどれほどくだらない論文が掲載されているかを知ったら皆さんも驚くはずですよ。査読もない場所で発表される学術論文に価値はありません。
──ズバットというアイデアはどこから思いついたのでしょうか。
マタン・シェローミ パンデック初期の「コウモリスープとCOVID-19」に関する大騒ぎを見て、すぐにポケモンに置き換えた偽論文のアイデアを思いつきました。
今回の偽論文は注目されるだろうという直感があったので、単にいつも通りこっそりと偽論文を出すだけでなく、The Scientist誌に記事を書き、私が何をしたか、なぜそうしたのかを解説したんです(外部リンク)。
予想どおり、ポケモンへの愛とCOVIDへの世界的関心が相まって、この偽論文は大きな注目を集めました。この偽論文によって、少しでも「ハゲタカ・ジャーナル」への認知を高められたことを願っています。
ズバットスープのイラスト/画像はThe Scientist公式サイトから
──「コロナの原因はズバットである可能性」という論文がアメリカの医学雑誌に実際に掲載されたと分かったとき、どのようなお気持ちでしたか?
マタン・シェローミ 受理されたことには全く驚きませんでしたね。というのも、論文を送ったサイト「American Journal of Biomedical Science & Research」がハゲタカ・ジャーナルであることは分かってましたから。彼らは本当に執拗に勧誘メールを送りつけてくるんです! 本物の学術誌はそんなことは絶対にしません。
──なぜ、「American Journal of Biomedical Science & Research」がハゲタカ・ジャーナルであると見抜けたのでしょうか。
マタン・シェローミ このサイトは不可能なはずの「迅速な査読と出版」を謳いながら、サイトにはリンク切れやデザイン上の欠陥も多く見られます。
また、ここに載っている論文の著者のほとんどは南アジア出身なんですが、南アジアは「論文を出さなければならない」という強い社会的圧力がある一方で、「ハゲタカ・ジャーナル」への認識が非常に低いんです。さらに、ハゲタカ連中はメールアドレスやドメインをいくつも使い分けて、料金体系を頻繁に変えたりもしますから。
このサイトはかつてビールのリスト(※2)に掲載されていて、現在はKscienのリスト(※3)にも掲載されています。
※2 コロラド大学准教授ジェフリー・ビールによって作られたハゲタカ・ジャーナルのリスト、2017年に閉鎖。
※3 学術論文を監視するNGOによって運営されているハゲタカ・ジャーナルのリスト、ビールのリスト更新停止後にその代替として注目されている。
ちなみに、私は「American Journal of Biomedical Science & Research」を「米国の医学雑誌」と呼ぶつもりはありません。連中が「ハゲタカ・ジャーナル」だからです! 投稿される論文は全部受理される雑誌です。医学的である必要も、真実である必要も、現実に基づいている必要すらないんです。
この雑誌、あるいは同じ出版社BioMedGrid LLCやLongdom、OMICSといった他の「ハゲタカ・ジャーナル」に論文を出すことは、正直トイレットペーパーで尻を拭くのと同じくらいの権威しかありません。それが仮にアメリカ製であろうと関係ありません。クソはクソなんです!
なぜ、おとり調査のためにポケモンを論文に持ち込んだのか?
──「ソーカル事件(※4)」や「不満研究事件(※5)」など、論文精査システム対する告発のために偽論文を書く試みは過去にもありましたが、ズバットの論文プロジェクトはそこに「ポケモンを遊んでいれば嘘を見抜ける」というゲーム・カルチャーを持ち込んだことが革新的です。このアイデアにはどういった思想的背景があったのでしょうか?
※4 ニューヨーク大学教授アラン・ソーカルが1995年に執筆した論文に端を発する偽論文事件。ポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめただけの支離滅裂な論文が、現代思想系の学術誌にそのまま掲載されてしまったことを告発した。
※5 ピーター・ボゴジアン、ジェームズ・A・リンゼイ、ヘレン・プラックローズら3人の研究者による偽論文事件。社会学における「結果より社会的不満」を優先する風潮を問題視した彼らにより、2017年から2018年にかけて関連学術誌におとり論文20件が送られた。
マタン・シェローミ これは単純明快です。私はポケモンが好きで、ポケモンが人気だと知っていたからです! ポケモンを題材に使うことで、より広い読者層にリーチできると考えたんですよ。
──プロジェクトが明らかになったのち、この行為に対する人々の反応はどのようなものだったでしょうか? 批判、あるいは称賛など、記憶に残ったリアクションがあれば教えてください。
マタン・シェローミ ポケモンファンたちは大喜びでしたね。一方で、いまだに「ハゲタカ・ジャーナルなど存在しないし、問題でもない」と考えていて、「おとり調査そのものが非倫理的だ」と言う人もいます。でも、そういう人たちは間違っていて、愚かだと思いますね。
圧倒的多数の科学者は、おとり調査に肯定的に反応してくれます。有名なところで言えば、ボハノンによる大規模な「ハゲタカ・ジャーナル」調査などもその好例でしょう(外部リンク)。
──数多くのポケモン偽論文を残したと思うのですが、ゲーマーとしてプレイしたポケモンのエピソードなどあれば、教えていただけますか?
マタン・シェローミ ポケモンは最初のアニメ放送の時から大好きです!ただし私はそこまでゲーマーではなく、最初に遊んだのはNINTENDO 64の『ポケモンスタジアム』でしたね。実のところ、メインシリーズはプレイしたことがありません。
ただし『ポケモンGO』はリリース以来ずっと熱心に遊んでいます。台湾でも人気で、コミュニティデイには大勢が集まります。
『Pokémon GO』2025年10月の「コミュニティ・デイ」告知画像/画像は『Pokémon GO』公式サイトから
──ポケモンは生物学者として響くところがあるから論文を執筆しているのでしょうか。
マタン・シェローミ 私がはじめて書いたポケモン論文は、ユーモア系科学誌『Annals of Improbable Research』に掲載された半分冗談のような論文でした。
大学院の仲間たちとオーキド博士を共著に入れて、実際の進化生物学の研究に用いられるソフトを用い、ポケモンの技を形質として「進化系統樹」を作成したんです。偽の生物に本物の科学手法を使うというお遊びだったんですが、多くのファンが今でもコピーを欲しがります(外部リンク)。
本当は151匹すべてで偽論文を書きたかったんですが、時間もなくて難しいところですね……。もし誰かが私の偽名(Mattan Schlomi)を使ってポケモンの論文を書き、共著にしてくれるなら大歓迎なんですが。
最終的にはポケモン学の名誉博士号を実際の大学から授与されて、オーキド博士みたいに「ポケモン博士」と名乗るのが夢なんです。
ポケモン進化系統樹

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