猛り狂った叫びのように
あなたのいない日々の残酷さを体と心に刻み付け、私の物語は終盤へと差し掛かる。そしてクライマックスへと突き進む情念がそのまま音になったかのような立ち上がりから「ハグ」へと突入。 様々な弾き語りを経て、ハンドマイクオンリーのスタイルに辿り着いたカンザキイオリさんは、身振り手振りもふんだんに交えながら文字通り全身で音楽を奏でる。裸足のまま、外へ降りる。裸足のまま雪に降りる。冷たさで身が裂けるようだった。
そのままもう一歩進もうと思ったのだけど、頭と体が結びつかず、その場で膝を着いてしまう。
しかしすぐに立ち上がった。寒さも熱も、喉の渇きも、強い鼓動も、今生きているという証だ。
そしてそれが、無性に煩わしかった。あなたの居ない人生の中で、ずっと煩わしかった。
それももう、終わり。終わらせよう。全て。
一転静まり返った会場に心臓の鼓動が響き渡ると、きらめくような旋律から「ダイヤモンド」へ。
満たされる日々の中で自らを許せなくなっていた──KAMITSUBAKI STUDIOからの卒業を発表した時のメッセージにも連なるような葛藤をストレートに書き記した歌詞を歌う様は、歌うと形容するのが適切ではないと思えるほど猛り狂った叫びのようであった。君が眠る日々の中で今じゃ抜け殻のように音楽をしている
今じゃこれがないと 僕は飯も食えない
服も着られない 家にも住めない
だから僕は嫌いだ 心臓一つになってしまった君が
音楽が嫌いだ 金のために生み出す 仮初めの音楽が僕だって嫌いだ
何もかも嫌いだ「ダイヤモンド」
だがそうして隠しておきたいような心の弱さをまざまざと晒し、その美しさに光を当てることこそが彼の音楽の真骨頂だ。ステージ上で繰り広げられた生き様は、真正面から受け止めるにはあまりに壮絶で、だが同時に目を逸らせないほどに美しかった。
「別れなど、少年少女に恐れなし」
雪が降りしきる中、あなたと私の物語は最終盤へ辿り着く。四季を巡り、別れを噛みしめ、そして再び立ち上がる物語は、本人の心情とも強くシンクロしているようで、語りにも強い意志が込められていることがよくわかる。私は今でもあなたに縛られている。
あなたの思い出に縛られて、肉が削げ落ち、
心は糜爛して、ただの骨が動いているような人生。
しかしそれでいい。老いなど、何も怖くない。
私はどこにだって行ける。いつだって少女になれる。
創作をしている限り、私はあなたに会えるのだから。
過ぎ去った美しき日々を取り戻すことはできない。
あなたも、もう居ない。
全て風化していく。だけど捨ててはいけない。
切り捨ててはいけない。押し花も、あなたの言葉も、全部捨ててはいけない。
創作を、やめてはいけない。押し花を、やめてはいけない。
生きるのを、やめてはいけない。
演奏と朗読、このライブの中で一貫して届けられていたのは、創作を続ける限り、別れなどは恐れるものではないという彼が辿り着いた境地、すなわち「別れなど、少年少女に恐れなし」だったのだ。 ライブタイトルに込められた意味を誰もが心で理解したところで、本編は最新曲「なぜ」で幕を下ろす。
春夏秋冬を渡り歩いた物語の後に届けられたことで、旅立ちの歌がより深くオーディエンスの心に染みわたっていく。カンザキイオリさんの決意から滲む熱が会場を暖かく包むと、大きな拍手に送られてステージを後にした。
そうさ俺は不器用な男
すぐさま巻き起こったアンコールの声は、時間が経っても衰えることなくむしろさらに勢いを増していく。そしてその熱狂がピークを迎えたその時。「あっ。」
という一言からまた少し物語が続く。
創作を続ける限り、別れなど恐れるものではないと知り、再びの春を迎えた私の声は先ほどまでと比べていくらか明るく、確かな希望を胸いっぱいに抱きしめているようだった。 万雷の拍手の中ステージに再び現れたカンザキイオリさんが囁くように歌い始めたのは、花譜さんのカバーで「狂感覚」だ。一言ひとことを刻み込むように歌う立ち上がりから、ステージをゆらゆらと漂ってバンドメンバーたちとアイコンタクトも交わし、今日という日を楽しみ尽くす。無邪気さや、愚かさや、無謀さや、鈍さは、
私の武器だ。力だ。源だ。
私は少女だ。好きな物を、好きなように、好きなときに、作る少女
そうして今も、少女のように あなたに恋焦がれている。
さあ、今日も生きよう。
そしてピアノの前へ舞い戻り「不器用な男」を披露。2ndアルバムの表題曲にして、タイトルの通り自らの生き様を克明に示した楽曲を歌う様はまさに圧巻。
消え入りそうな囁きと絶叫とのコントラストが複雑な光彩を描き出し、最後に絞り出された「死にたくない」の声が聞くものすべての魂に刻み付けられた。
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