『【推しの子】』は“オタクの夢”物語か? それとも使命への隷属を描いた物語か?
新見 『かぐや様』のテーマは、赤坂アカさん自身は「男女のディスコミュニケーション」って公言しているんだけど、都築さんがレビューで書いてるように、その軸を貫いていたのは「運命の超克」だったと思うんです。
生まれもった才能や与えられた環境、変えられない過去など、人が運命と呼ぶものにどう立ち向かうかという物語だった。
新見 でも逆に『【推しの子】』では、物語がいかにして登場人物に「自分には使命がある」と思い込ませることができるか、そして使命感に突き動かされた人間は、いかにして運命に殉じて愚行を犯すことができるかっていう話をメタ的に描いてる。
ちゃんよね 「思い込ませるか」っていう話なの?(苦笑)
うぎこ 星野アクアが、カミキヒカルと刺し違える使命があると、思い込ませられていた、ってことですか?
新見 そう。赤坂アカさんは恐らくかなり意図的に、「運命に絡め取られる人間の一生」という醜悪な話を描いてたと思う。
うぎこ 私はずっと、夢ハッピードリーム漫画だと思ってました。
ちゃんよね 僕も全然、醜悪だと思わなかった。
都築 いや、俺も新見さんと同じく「結構醜悪な話だな」って思いましたよ。
ちゃんよね ええ!? うぎこさんも言っている通り、最初から最後まで主人公の星野アクアの思い通りになったじゃん。「俺TUEEE」じゃん。思い通りに周りも敵も動くし。気持ちいいだろうなって。
うぎこ そうだよね。
星野アクア/画像はAmazonより
新見 それは、星野アクアがその謎の復讐プランを考えて実行するという使命を、物語の構造上帯びさせられてたからですね。
そもそも、現実には人に使命なんてないんです。人は無意味に生まれてきて、無意味に死ぬわけじゃないですか。偶然性の産物によって、人は生まれて死ぬ。これは別に厨二病的に声高に主張したいわけじゃなくて、ことさら特別な宗教観を内面化することのない人間にとっては、単に当たり前の話じゃないですか。
ちゃんよね はい。
新見 少なくとも、赤坂アカさんはそれを分かってる。『かぐや様』を読んでても、そこに自覚的な作家だというのはよく伝わってくるんですよ。
その上で、人が使命に翻弄される物語を成立させる方法のひとつが、「転生」なんですよね。
ちゃんよね ?????
新見 僕たちのようにたまたま遺伝子競争を勝ち抜いて生まれてきた人間には、生まれてくる理由はないんですよ。でも、仮に自分が一回死んで転生したとしたらどうだろう? そこに作為が介入するという意味で、必ず何らかの理由が宿る。自分はなぜ生かされたのだろう、と。
事実、ずっと星野アクアは「自分はなぜ転生させられたのか」や「自分の使命は復讐なのか? 復讐に人生を捧げるべきなのか」について、自問自答し続けてたじゃないですか。
都築 なんなら星野アクアは、姫川大輝に復讐対象である自分の父親がすでに死んでいることを聞かされたとき、むしろ安堵してましたもんね。
結局、本当の父親であるカミキヒカルが生きていることが発覚して、普通の幸せな人生を歩めなくなることに動揺してたり。
新見 そう。その結果として、星野アクアは妹の星野ルビーをカミキヒカルの凶行から守るために、自分を犠牲にせざるをえなかった。
明らかにもっと他のアプローチ、殺人が起きたことさえ隠蔽するような完全犯罪だって、彼の明晰な頭脳なら目論むことはできたはずなのに、「自分を犠牲にして自分のアイドルを守る」という使命に最後は盲目にさせられてしまった。
確かにうぎこさんの言う「オタクの夢」という見方もわかるけど、『【推しの子】』を俯瞰するなら、星野アクアは物語から要請されてその役割を果たさざるを得なくなった哀れな殉教者だと俺は感じましたよ。
ちゃんよね 物語の要請というより、星野アクア自身が、自分の意志でカミキヒカルに復讐したかったんじゃないの? 推しのアイドルであり母親の星野アイを殺したカミキヒカルに、復讐したいのは当然なのでは?
星野アイ/画像はAmazonより
新見 物語の順序から考えると、星野アクアの前世である雨宮吾郎は、そもそも転生したいなんて思ってなかったですよね。
星野アクアが雨宮吾郎の転生ではなく、母親を殺されて復讐に命を燃やしているキャラクターだったら、よねさんたちの言うように単なる復讐、あるいはうぎこさんの言うようなヒロイズムと解釈できたと思います。もっと言えば、その手前で、復讐以外の道、幸せに生きる道を選択もできたとも思います。
都築 転生ものとして見たときのヒロインである星野ルビーでも、復讐劇として見たときのヒロインである黒川あかねでもなく、本筋には関わらないヒロインの有馬かなに星野アクアは一番惹かれていた、というのが象徴的ですね。
(書影左)黒川あかね(書影右)有馬かな/画像はAmazonより
都築 『【推しの子】』における有馬かなの役割は、復讐をしない普通の幸せな人生を歩むルートとしての選択肢だった。
新見 そう。でも事実としては、自分には使命があるんだと思わされた星野アクアという転生者は、有馬かなと普通の幸せな人生を送るというルートを初めから選べないという運命を背負わされた。
偶然巻き込まれて殺された医者が、転生させられて。妹はかつて救えなかった患者である天童寺さりなの転生で、自分は何としてでも彼女を守らなくてはいけない。そして母親の復讐もしなきゃいけないっていう、作劇上の使命を背負わされている。すごい可哀想なキャラクターだという風にしか、俺には見えなかった。
うぎこ いやいや新見さん、それは星野アクアの視点に立ちすぎていて。『【推しの子】』は、夢小説として読まないと駄目だと思う。
夢小説の主人公だって、「俺TUEEEE」ばかりじゃなくて、迷ったり悩んだりするよ。いじめられたり、「こんな辛いならもう別れよう」って思ったりするわけよ。それと一緒だと思うよ。
というか「復讐をやめて、好きな女と恋をして生き延びる」より「女にモテてて、みんな俺のことが好きだけど、結局初志貫徹して復讐相手と刺し違える」方が、物語の主人公としては格好よくない?
新見 夢小説として読むならね。それもむしろ、不憫だと思った。少なくとも『かぐや様』と同時並行して連載されていた物語という点で、赤坂アカさんはかなり意識的にやっていたと作品のテーマからは考えられるけど……。
我々オタクの夢に殉じさせられなきゃいけないキャラクターは、やっぱり哀れだとは思う。
ちゃんよね なるほど。ただ、そもそも多くの人は、むしろ逆に“使命”を持って生きたい思っているはず。みんな何か虚構でもいいから使命を持って、それを全うして生きたい。
そして、星野アクアは使命を獲得できたから、新見さんのようにメタ的に『【推しの子】』を捉えたとき、多くの人は可哀想とは思えないと思う。
その上で、もし新見さんの言う通りだとしたら、最後に星野アクアの死に顔が笑顔だったのは良くないと思うな。だって使命を全うして、満足して死んでるんだもん──だから、多分赤坂アカ先生もそういう意図で描いてないんじゃないかな。
うぎこ そうじゃん。救いとしての、フレーバーだったわけじゃん。復讐者としての本懐を遂げて、最後に妹の歌が聴こえるって、素晴らしい、王道の物語の締め方だと思うんだよね。
新見 もちろんそうは描いてない。だからこそすごい皮肉にも思えた。『かぐや様』が描いた運命から自由になる物語と、『【推しの子】』で運命に殉じて満足気に退場していった星野アクアは、見事なまでに対極にいるなと。
都築 「オタクの夢小説」と読む人もいれば、「運命に隷属させられる人物を描いた物語」と読む人もいる……そう言う意味でも、『【推しの子】』は光と闇を描く衝撃作だったんですかね。
赤坂アカさんが、あおいくじらさん、漫画ユニット・アジチカとチームを組んだ新作『メルヘンクラウン』も、新たに4月から『ヤングジャンプ』で連載スタートしましたが、一体どんな物語になっていくんでしょうか。

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