『アサシン クリード』と「弥助」を巡る批判とその経緯──“政治的正しさ“への反発と“エアプ“について

“エアプ”で語らず、キャンセルせず、ちゃんと遊ぼう

今回の騒動に関しては、Ubisoft側やその対応にもミスがあったことは間違いない。しかし、発表された声明の中で、開発チームは改善の努力を続けることを約束している。

一人のゲームファンとしては、その意思を貫き、ぜひとも面白いゲームを今後も末永く開発してほしいと願っている。

筆者は、明確に「ポリコレ」を支持している人間だ。しかし「ポリコレ」に沿っていないからといって、その作品に価値が無く、物語が描かれるべきではないとは思っていない。

全ての作品には描かれる自由があり、作品として世に放たれる自由がある。私が「ポリコレ」を支持するのは「まだ見たことのない面白いものが見たい」と思っているからだ。

これまでのエンタメを取り巻く構造に偏りがあったのであれば、それが是正された後に生み出される作品は、きっとこれまで見たことのないものになるはずだ。

もし、ある作品の描き方に「正しくない」部分があり、批判を集めたとする。その作者は次の作品をつくる際、その意見を踏まえて、さらに尖った作品をつくることも、別の表現を模索することもできるだろう。

表現の自由があるからこそ、世に放たれたものは一度受け止める。そのうえで、ユーザー側もその作品を自由に評価する。そして、その評価が次の作品に反映される

作品をキャンセルするのではなく、次に繋げる。そしてその中で、既存の構造に縛られず、別の可能性が提示されることこそが、創作の豊かさにつながると信じている。

作品の中でアジア人が不当に扱われていたら声を上げて然るべきだし、今回開発チームが改善を約束したのは、目に余る経緯を前提としても、悪いことではないとも思っている。

ただし、まだ『アサシン クリード シャドウズ』がリリースされていない以上、この世界にはまだ“エアプ”の人間しかいないことには注意したい。ゲーマーたるもの、やはり最終的なレビューはゲームを遊んでからするべきだろう(もちろん、不当な扱いを受けても黙っていろということではない)。

今現在『アサシン クリード シャドウズ』に対して不平不満を述べている人こそ、同作がリリースされたらぜひ一度遊び、改めてどんな作品だったのかを見届けるべきだろう。

筆者自身も『アサシンクリード オリジンズ』以降、久しく同シリーズには触れていない。今作がリリースされたらのんびりと遊んで、改めて考えてみようと思う。

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28件のコメント

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匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10517)

あの形式的な中身のない公式声明だけで、これからのUbiの次回作に期待して買ってくださいは無理があると思う。

たしかに小林さんが言うように、「シャドウズ」問題はゲーム外の要因が関わりすぎて、一つのゲームとして純粋に評価できない状態になってるし、トーマス・ロックリーとポリコレへのヘイトが合わさって、そこに炎上系YouTuberやらがどんどん焚きつけてるから場外乱闘が本番になってるのはある。

ただ、それを抜きにしてもみんな「シャドウズ」を買わないと思う。
記事では「アサシン クリード オリジンズ」を引き合いに出してるけど、真に引き合いに出すべきは「Ghost of Tsushima」じゃないかな。

「Ghost of Tsushima」は元寇という史実を元に、武士の誉れという当時の日本人の価値観をうまくゲームに落とし込んだことで世界的に評価されてるけど、史実の元寇と比較して粗探ししたら、てつはうは実は兵器として有効じゃなかったとか、当時の武士には現代の武士道のようなものはなかったとか、異説を持ち出して指摘できる点はないわけじゃない。
それでも「Ghost of Tsushima」が評価されてるのは、そうした色々な情報を含めて調べ上げたうえで「私たちの解釈した日本(元寇)はこうですよ」と出されたものが高品質で、プレイ中に粗を感じないレベルで練り上げられてるから評価されてる。

一方、その名作の4年後に発売される「シャドウズ」は、発売前PVだけで時代考証に関する無数の粗が出てくるし、何より「Ghost of Tsushima」にあった「私たちの解釈した日本はこうですよ」という統一された世界観がない。粗だけな戦国日本と、そこに制作人の意図で継ぎ接ぎされた黒人・LGBTなどのポリコレ要素があるだけ。

ユーザーが「シャドウズ」を買わない一番の要因はポリコレ関係じゃなく、2024年にこのレベルの日本オープンワールドを出されたことに失望してるからだと思う。(そもそもXでトーマス・ロックリーや弥助関連の討論してる人は購買層じゃないと思うが……)

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10516)

フィクションと現実の区別もつかずに制作者や企業に対してキャンセルカルチャーと誹謗中傷を行う人々に正義がある筈もない
彼らはもはや対象の全否定以外は許さないというカルトの領域にまで達してしまっている
昨今はSNSによるエコーチェンバー現象で先鋭化・過激化する人々が増えており
この件の様に企業や制作者がその攻撃の対象にされる事があるが
こうした人々はカスハラを行う迷惑な連中の様にまともな対話は不可能なので
企業側は相手にせず粛々と法を用いた対応を行って身を守っていく事がこれからの時代は重要だろう

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10513)

「Xbox Wire Japan」さんの記事は、ピックアップした部分の後ろ「so you’re not only playing in feudal Japan, but learning about this fantastic time period.」を取り上げないのはなぜなんでしょう?
Ubisoftさんは「学ぶことができる」と言ってるんですよ。
それならば、できるだけ海外の人に誤解を与えない描写を求めるのは当然じゃないでしょうか?

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