『アサシン クリード』と「弥助」を巡る批判とその経緯──“政治的正しさ“への反発と“エアプ“について

『アサシン クリード』と「弥助」を巡る批判とその経緯──“政治的正しさ“への反発と“エアプ“について
『アサシン クリード』と「弥助」を巡る批判とその経緯──“政治的正しさ“への反発と“エアプ“について

『アサシン クリード シャドウズ』キービジュアル/画像は公式Xから

現在、ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』を発端として、「弥助」の扱い方を巡る批判と、それに関連する議論がSNS上で巻き起こっている。

ゲームへの批判に対して、開発元であるUbisoftのチームが声明を発表した。

批判が巻き起こっていたのは、主人公の1人として発表された歴史上の人物「弥助」の扱いを含む描写の歴史的な正確性と、コンセプトアートに使用許諾の取られていない素材が登場していた件について。

声明では、懸念を生じさせたことを謝罪しつつ、前者について同シリーズがあくまで「歴史フィクションを描くエンターテイメントゲーム」であり「史実や歴史上の人物を再現する目的で作られたもの」ではないと説明。

後者については、素材の監修が行き届いていなかったことに謝罪しつつ、ゲーム映像は開発中のものであり、寄せられた意見に基づき「ゲームを皆様にお届けするその時まで、そしてその先も、改善の努力を続けてまいります」としている。

本稿では、「アサシン クリード」というゲームシリーズがどんな作品なのかについて説明しながら、なぜ声明がこのような形になったのかを考えていく。

開発チームが発表した声明の全文

「信長に仕えた黒人」弥助という存在の曖昧さ

ゲーム「アサシン クリード」は歴史に焦点を当てたシリーズではあるものの、「かつて来たりし者」という強大な力を持った古代文明がかつて人類を支配していたことが示されていたりと、作中の歴史は現実のものとは異なっている

最新作『アサシン クリード シャドウズ』では日本が舞台となっており、侍の弥助と忍者の奈緒江という2人の主人公が描かれる。

そして、論争の中心となっている弥助は「織田信長に仕えた黒人」として有名な歴史上の人物だ。一方で、その詳細は歴史的に不明な点が多く、ミステリアスな存在ともいえる。

コーエーテクモが手掛けるゲーム『戦国無双5』にも登場しているほか、Netflixでは『YASUKE -ヤスケ-』として2021年にアニメ化されるなど、日本作品にも登場する機会が多い。

『戦国無双5』の弥助/画像は公式サイトから

「政治的正しさ」への反発を背景とした弥助を主人公とすることへの批判

米メディア「TIME」は5月16日に、論争に関する「アサシン クリード」ファンの声をまとめた記事を掲載している(外部リンク)。

その中では、ファンからの意見として「日本を舞台にしているのに、日本人の男性主人公を使わないなんてバカげている」という批判が紹介された。

この意見は、近年、エンタメ作品において本来は黒人やアジア人であるキャラクターを白人が演じることで、活躍の機会を奪ってしまう「ホワイトウォッシュ」へ批判が集まったことが背景にあると思われる。

「ホワイトウォッシュ」批判のように、欧米圏から波及する価値観である政治的な正しさ(Political Correctness、略してポリコレとも)を追求する潮流に対して、国内でも一定の反発が見られる。

もちろん全員がそうだというわけではないが、今回のケースでは、批判を行っている層の中に「お前たちは自分の正しさを押し付けてくるくせに、俺達アジア人が活躍する機会は奪っていくのか」という怒りがあるように思われる。

そのため、普段は「ポリコレ」に反発している人々が、日本を舞台にした作品の主人公が黒人である点に疑義をを呈し、結果的に「ポリコレ」を実践しているというねじれがあるように見受けられる。

「TIME」は一方でまた、そういった意見に対して「『アサシン クリード』が弥助をモデルにした黒人サムライを登場させるまで、一貫して歴史を誇張したりフィクションにしたりすることを誰も気にしなかったなんて、ちょっとクレイジーだ......」という声も上がっていることを提示している。

開発側の明確なミスが発覚し、批判が加速

弥助の扱いについて疑義を呈する声が上がると、SNSでは、多くのアカウントが過激に囃し立て、意見を拡散した。

そうして悪い方向に注目が集まる中、公式のコンセプトアートに、関ヶ原の観光を盛り上げるため結成された「関ケ原古戦場おもてなし連合」の旗が無許諾で使用していたことが発覚してしまう。

7月8日には公式Xに謝罪文が掲載。今回の開発チームの声明の中でも改めて謝意が述べられている。

弥助の扱いに対しての批判が高まる中で、開発側の明確な過失が発覚した。このことは、同作を批判する層を勢いづかせるには十分だった。

弥助を巡る議論は、日大准教授トーマス・ロックリーの研究にまで波及

『アサシン クリード シャドウズ』をきっかけに、弥助という存在が話題になった結果、日本国内と海外で「彼の評価にギャップがある」という意見が話題になる。

その結果、日本大学の准教授 トーマス・ロックリーさんの著書『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(2017年に太田出版より刊行)に注目が集まった。

同書は海外でも出版されており、日本国外での弥助観に大きな影響を与えた書籍だとされている。

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』/画像はAmazonから

事実、2021年に弥助を主人公とするアニメ作品が制作された際に「TIME」が掲載した記事(外部リンク)には、トーマス・ロックリーさんがコメントを寄せており、識者としての信頼がうかがえる。

批判を行う層にとっては《海外の弥助観の起点となっている同書の記述に正当性がなければ、そこから影響を受けた『アサシン クリード シャドウズ』の描写も、やはり正当ではない》というロジックが成り立つ。

そのため同書にも注目が集まり、記述に主観的な想像が盛り込まれており、史実を歪めているのではないかとの批判が集まるまでに至っている。

一方で、批判者の側にも、著書の記述を拡大解釈していたり、憶測を拡散していたりする人間が多いという指摘がされている。

弥助は侍か否か──国際日本文化研究センター・呉座勇一さんの提言

現在、議論の中心はトーマス・ロックリーさんの著書に移ってしまい、『アサシン クリード シャドウズ』の話題はやや後景化するような印象さえ見受けられる。

国内でも、国際日本文化研究センターの助教をつとめる呉座勇一さんが、言論プラットフォーム「アゴラ」(外部リンク)へ私見を寄せた。

その中では騒動の争点として、作中で弥助が「伝説の侍」として紹介されていることが、歴史の歪曲に当たるのではないかという点に注目し、検討が行われている。

呉座勇一さんは寄稿の中で、『家忠日記』や『信長公記』の伝本、イエズス会の宣教師が送った書簡の記述を引用しつつ「この記述に従えば、弥助は明らかに信長の家臣、すなわち武士(侍)として遇されている」と記述している。

一方で、その根拠となる記述が『信長公記』の伝本のうち『尊経閣文庫本』にしか見られないことから、該当の記述が伝来の過程で付け足されたものである可能性を排除できないことにも言及。

寄稿は「弥助を『黒人のサムライ』と断定するのには慎重であるべきではないだろうか」とまとめられている。

高い評価を得た『オリジンズ』から広まった誤解

これまで振り返ってきたとおり、今回『アサシン クリード シャドウズ』に批判が集中してしまったのには、「弥助の扱い」「素材の無断使用」「トーマス・ロックリーさんの著書」という3つのトピックが芋づる式に注目を集めたことが作用している。

経緯を振り返ったうえで注目したいのは、開発チームが声明の中で、同作を「史実や歴史上の人物を再現する目的で作られたもの」ではないと強調していることだ。

この点を強調する必要があったのは、「アサシン クリード」シリーズに対する誤解が広まっていたことも要因だと考えられる。

同シリーズは声明の通り、あくまで歴史をモチーフにしたフィクション作品だ。一方で、古代エジプトを舞台にした『アサシンクリード オリジンズ』(2017年)では、ピラミッドの忠実な再現が高い評価を獲得した。

公式からも後に、古代エジプトを観光できる「Discovery Tour」モードが「学習用教材として使える」という謳い文句と共にリリースされている。

その結果、「アサシン クリード」は史実や現実を忠実に描いた作品である、という認識が広まってしまった。

「Discovery Tour」モードのトレーラー

『アサシン クリード シャドウズ』のPVが公開された際には、弥助の扱い以外にも、映像に登場した畳が正方形であることなど、作中の描写と実際の日本文化との食い違いが指摘されている。前述したピラミッドの完成度と比較するのであれば、たしかに気になる箇所ではある。

一方、「登場人物の扱いが史実から誇張されている」という点については、そもそも“ハイテク古代文明”が登場するシリーズに対して、そのような批判が有効なのかについては疑問が残る。

開発チームが声明の中で、謝意を示しつつも「フィクションであること」を強調したのは、そういった理由からだろう。

もちろんフィクションにも、描く対象に対するリスペクトは必要であり、本作の描写がどうだったのかについては、リリース後も慎重に議論されていくべきだろう。

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28件のコメント

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匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10517)

あの形式的な中身のない公式声明だけで、これからのUbiの次回作に期待して買ってくださいは無理があると思う。

たしかに小林さんが言うように、「シャドウズ」問題はゲーム外の要因が関わりすぎて、一つのゲームとして純粋に評価できない状態になってるし、トーマス・ロックリーとポリコレへのヘイトが合わさって、そこに炎上系YouTuberやらがどんどん焚きつけてるから場外乱闘が本番になってるのはある。

ただ、それを抜きにしてもみんな「シャドウズ」を買わないと思う。
記事では「アサシン クリード オリジンズ」を引き合いに出してるけど、真に引き合いに出すべきは「Ghost of Tsushima」じゃないかな。

「Ghost of Tsushima」は元寇という史実を元に、武士の誉れという当時の日本人の価値観をうまくゲームに落とし込んだことで世界的に評価されてるけど、史実の元寇と比較して粗探ししたら、てつはうは実は兵器として有効じゃなかったとか、当時の武士には現代の武士道のようなものはなかったとか、異説を持ち出して指摘できる点はないわけじゃない。
それでも「Ghost of Tsushima」が評価されてるのは、そうした色々な情報を含めて調べ上げたうえで「私たちの解釈した日本(元寇)はこうですよ」と出されたものが高品質で、プレイ中に粗を感じないレベルで練り上げられてるから評価されてる。

一方、その名作の4年後に発売される「シャドウズ」は、発売前PVだけで時代考証に関する無数の粗が出てくるし、何より「Ghost of Tsushima」にあった「私たちの解釈した日本はこうですよ」という統一された世界観がない。粗だけな戦国日本と、そこに制作人の意図で継ぎ接ぎされた黒人・LGBTなどのポリコレ要素があるだけ。

ユーザーが「シャドウズ」を買わない一番の要因はポリコレ関係じゃなく、2024年にこのレベルの日本オープンワールドを出されたことに失望してるからだと思う。(そもそもXでトーマス・ロックリーや弥助関連の討論してる人は購買層じゃないと思うが……)

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10516)

フィクションと現実の区別もつかずに制作者や企業に対してキャンセルカルチャーと誹謗中傷を行う人々に正義がある筈もない
彼らはもはや対象の全否定以外は許さないというカルトの領域にまで達してしまっている
昨今はSNSによるエコーチェンバー現象で先鋭化・過激化する人々が増えており
この件の様に企業や制作者がその攻撃の対象にされる事があるが
こうした人々はカスハラを行う迷惑な連中の様にまともな対話は不可能なので
企業側は相手にせず粛々と法を用いた対応を行って身を守っていく事がこれからの時代は重要だろう

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:10513)

「Xbox Wire Japan」さんの記事は、ピックアップした部分の後ろ「so you’re not only playing in feudal Japan, but learning about this fantastic time period.」を取り上げないのはなぜなんでしょう?
Ubisoftさんは「学ぶことができる」と言ってるんですよ。
それならば、できるだけ海外の人に誤解を与えない描写を求めるのは当然じゃないでしょうか?

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