再評価される第6部「ストーンオーシャン」
主人公の話に続いて、アニメもあるし第6部の物語の話に移ろうと思います。
古見くんからのテーマは"複雑化する『ジョジョ』をどう思う?"です。
今回アニメ化される第6部が、これまでどのように評価されてきたかを振り返りつつ、話を進めていきたいなと思っています。
よねさんの話にもあったように、第1部から第3部までは、かなりシンプルな物語じゃないですか。
第3部に登場したスタンドも、スタープラチナのようにパワー・スピード・精密動作が凄かったり、マジシャンズレッドのように炎を出して操れたり、ザ・ワールドのように時を止められたりと、能力もわかりやすい。それに対して、後半の部になればなるほど、スタンドの能力も、説明するのが難しくなっていく。
敵の目的も、第1部・ディオの「人間を越えて世界の頂点に立つ」と比べて、第6部・プッチ神父(エンリコ・プッチ)の「全人類を天国へと導く」は複雑でわかりづらい。
正直、第6部以降って評価がかんばしくなかったと思うんですよね。いまだに「第3部・第4部が最高」みたいな雰囲気を感じるんですよ。
第6部で『ジョジョ』の顔とも言える承太郎が死んじゃいますもんね。思い出すといまだに悲しい気持ちになります😢
(え、泣いてる…!)第6部は承太郎はじめ主人公チームはほぼ全滅するし、プッチ神父が悪役・ボスキャラとしてどうなの?って意見もあるし。
第6部のスケール感、僕はめっちゃ好きなんだけどなあ。
プッチ神父の目的は、それこそ『ジョジョ』でずっと描かれてきた「覚悟」の話じゃん。『ジョジョ』における覚悟って、自分が損や不利益を被ることを知りつつも、目的のためにあえてその選択をすることだと俺は思ってて。
プッチ神父はスタンド「メイド・イン・ヘヴン」で世界を一巡させることで、全人類・全生物に未来に起こるすべての出来事を経験させることで全員が「覚悟」ができる幸せな世界になると考えた。
あの発想そのものは荒木飛呂彦的な価値観の順当な派生として、俺の中で割と腑に落ちたんだけどな。
スケール感の良し悪しや納得いく/いかないはともかく、複雑化はしているんじゃないですか?
複雑化はしているけど、そこが『ジョジョ』において僕が好きなところですね。
そもそも、『ジョジョ』はいつも連載中の部が批判されている印象がある。「前の部の方が良かった」って毎回言われている気がしている。
僕が連載で第5部を読んでた時も、第3部が圧倒的に人気で。読者はボスのスタンド「キング・クリムゾン」の能力が全く理解できないって感じだった。
それは単に懐古主義と言ってしまってもいいけど、部が変わるとキャラも物語の構造も変わる以上、そう思ってしまっても仕方がない側面はあるよね。
『ジョジョ』って連載中は意外と人気がないんですよ。で、単行本とかで読み返したときに「よく描けている」とか「いい漫画」って評価が後々から付いてくる。
確かに一気読みしないと理解しづらい作品というのはあるかもしれないですね。
でも、徐倫が現代的な主人公であるように、主人公チームが全滅するのも、世界が一巡しちゃう展開も、かなり今風だなって思うんですよ。
僕が第6部を読んでいたころ、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』のように、パラレルワールドが設定に組み込まれた作品が当たり前のようにあったので、特に理解に苦しまず読めたんです。だから、正直なぜ第6部が批判されているのかピンと来ていませんでした。
なるほど、この前の藤本タツキ座談会でも話題に上がってたけど(関連記事)、連載当時よりも読者が漫画を読むのが上手くなってきたのも影響しているかもしれないですね。
あると思います。結局、『ジョジョ』が時代より先を行ってただけなんじゃないかなと。だから、これからアニメで第6部を知る人たちは、素直に楽しめるんじゃないでしょうか。
アニメ映えする話だと思うしね。前半には第4部のような狭い世界観でのホラーミステリーが、後半に『ジョジョ』の王道であるロードームービーが両方詰まっているから、いいとこ取りをしてると思うよ。
正直に言うと、第1部や第2部ってアニメ化するまでは今のようには評価されていなかったんですよ。
もちろん、「何をするだァーッ! ゆるさんッ!」とか、「そこにシビれる!あこがれるゥ!」「逆に考えるんだ」みたいにインターネット・ミーム的な知名度はありましたが。
それがアニメをきっかけに、ちゃんと物語として親しまれるようになった。
わかる! 私も漫画だとサラっと読んじゃった第2部が、アニメだとすごいよかった。
ジョセフ・ジョースターを杉田智和さんが演じているのもあるし。ストーリーもすっきりまとまってるのに感動もあってカッコいいし。
評価変わりますよね! 確かに、第1部や第2部はとりあえず原点だから読んでおけってくらいの扱いでした。
俺なんか、スタンドが登場しはじめる第3部から『ジョジョ』を読んで、後から第1部・第2部を読みましたからね。むしろそっちの方が、同年代だとわりとスタンダードな読み方だったりするくらい。
第1部や第2部って、80年代の漫画ですからね。絵柄を含めてとっつきにくいかも。
それをあそこまで現代的にアニメ化して、スタイリッシュに仕上げたのは良かったなと。主題歌の「ジョジョ~その血の運命」「BLOODY STREAM」もよかったし。
そもそも『ジョジョ』はアニメをきっかけにポップになった作品だからね。それまではあくまでサブカルの代表格というか、『ジャンプ』の裏番長みたいな存在だったのに。
……そう考えてみると、今は色々言われている第8部「ジョジョリオン」も、アニメ化されたら受け入れられるんでしょうか?
史上最高難度・第8部「ジョジョリオン」を紐解く
古見くんからもあったけど……第8部、みんなはどうでしたか?
正直、いろいろと難しい作品だと思った。
ヒロインの広瀬康穂ちゃんも、回り回って元の「守られるヒロイン」に戻ってきちゃってるよね。
第8部は、謎を解き明かすというある種のミステリーを売りにしていたじゃないですか。
ミステリーって伏線が張られてそれを回収するのが醍醐味なんだと思うんですけど、荒木先生のスタイルとそれが噛み合ってなかったんじゃないでしょうか。
『ジョジョ』は全体として投げっぱなしの伏線や突っ込みどころが多い作品ですが、長編ミステリーということもあり、それが際立ってしまったんじゃないかなと。
伏線を丁寧に張って回収するというより、熱さでどうにかするタイプだもんね。
『岸辺露伴は動かない』とかを読む限り、一話完結型のミステリーはすごいハマるんだけどね。
一旦整理したいんですけど、第8部は、等価交換の実「ロカカカ」を巡って、異種族・岩人間たちと対立する話でしたよね。
健康な身体の一部を失う代わりにどんな病気や怪我も治せるロカカカの実が、2つの物を埋めるとそれらが混ざり合う性質を持つ「壁の目」の果樹に接木されたことで、偶然別の性質を発現。自分の身体ではなく、他人の身体と等価交換する「新ロカカカの実」が誕生した。
それを使って何でも治せる技術を確立し、その利益を独占するのが岩人間たちの目的でしたよね?
本当の目的は種の入れ替えじゃないの?
岩人間のひとり、アーバン・ゲリラは「おまえたちが『金もうけ』と『健康』に夢中になっている時『新ロカカカ』でオレたちにとって新しい世界がやって来るんだ」「おまえたちが落ち込み続け…オレたちが昇って行くワクワクする世界が来る」って言ってたし。
そんな崇高な目的だったっけ…??
たしかに「『大地からの恵み』こそが真の利益であり、岩人間に特別な力を与えてくれる『特別な場所」こそが真の棲み家」みたいな記述もあって、歴史的に拡散・移動してきた、さらに大地を汚して発展してきたヒトと対称的な種族って描写はあったけど。
やっぱり、全部読んだ人間の中でさえ意見がわかれてしまうということは、岩人間やボス・透龍の目的がわかりづらいんだと思う。
僕は8部のボス、割と評価してますけどね。
マジすか!?
透龍のスタンド「ワンダー・オブ・U」って、このスタンドに何かしようとすると厄災が振りまかれる能力じゃないですか。
『ジョジョ』は運命に抗っていく物語だと思うんですが、その運命の流れそのものが敵になるのは、正当な進化だと思うんですよね。
スタンドの設定は良かったと思う。
『ジョジョ』のテーマっていかに「覚悟」を決めて足を踏み出すか、前に進むかじゃん。立ち向かうためにボスに近づこうとすればするほどかえって厄災が悪化するという能力は、『ジョジョ』のテーマと最も反するんだよね。
踏み出そうとする者の足を止めるって意味では、象徴的なボスだったと俺も思う。でも、いかんせんキャラの魅力がな…。
スタンド能力は確かに良いですよね。ボスの正体を知りたいのに、その能力のせいで近づけないってところが特に。
なんで透龍がこのスタンド能力に目覚めたのかとか、いまいちピンと来てはいないんですが…。
透龍のキャラクター性は正直よく分からなかったね。本当に突然出てくるし。でも、それすらも計算の内だったのかもしれないな。
どういうこと?
第8部は東日本大震災後のS市(仙台市)杜王町を描いた作品じゃないですか。言ってしまえば『ジョジョリオン』は露骨に震災文学的な作品です。
だから、災害的・震災的に、物語として文脈を組み立てず、人知が及ばない存在として急に登場したんじゃないかな。
それが漫画として面白いかどうかは別の問題なんだけど!
やりたいことは確かにわかるけど、って感じなんですかね?
そうなんだよ。確かに透龍も悪意を持ったキャラだったけど、結局何が目的なのか、このメンバーで意見が別れるくらいフワっとしているじゃん。
『ジョジョ』歴代のボスって、主人公たちと同じくらい強い意思と欲望を持った人物だったから魅力的だったのに。震災的なメタファーとして、という意味では理解はできるんだけど。
『ジョジョ』の魅力のひとつに、ボスのカッコよさは絶対ありますからね。
でも、今回やりたかったことはそれとは違うということですよね。
そもそも、僕は岩永亮祐さんのコラムを読まなければ、それすらも理解できてなかったと思う。本当に今までの『ジョジョ』と全く違う物語だったから。
バトル漫画としても、敵のスタンドと肉弾戦をするというより、罠に嵌められてそこからどう脱出するかという展開がとても多い。近距離パワータイプの敵が全然出てこなくて。そういう意味では、第8部はバトル漫画では全くない。
何か強い意図を感じるくらい、第8部はしつこくそれをやっている。
それも厄災っぽいですよね。敵のスタンドも「現象」みたいな能力が多かった。
少年漫画としての面白さを考えると、戦闘シーンは欲しいってことですよね。『ウルトラジャンプ』は青年誌なので、それも理由にあるのかもしれませんが…。
荒木飛呂彦がインタビューで言ってたんだけど、今回は「より日常感を表したかった」んだって。すごい能力とかパワーじゃなくて、小さい細やかな能力にすることで、微妙な心理が描きやすくなった。
それもあってか、今までと比べて書き込みも如実に減らしている。第8部って明らかに絵が白いじゃないですか。
「今までは怖さとかそういうものばかりを追求していたので、適当感というか、ゆるさを入れたい」「読者がここでぎちぎちにならないで、さらっといきたいと思わせるため」とも言ってたけど、そこには読み手の解釈の幅を広げるって意図もあるんじゃないかな。
ただ正直、俺はこのミニマルな画風は『ジョジョ』に合わないと思う!
にいみさん、ちょっと老害化してきてるよ(笑)。僕は画風そのものは第8部好きですよ。
いやいや、そもそも荒木飛呂彦が描きたいのはもっとバタ臭いことなのに、それと今の「文体」が合ってないのではないかと。
第8部は引きのカットがとても多い。ガーンとアップで、効果音がズバーンみたいなのが、かなり減らされてたり。『ジョジョ』が描きたいテーマ性と文体がそもそもあんまり合ってないんじゃないかなって思う。
第8部って、震災後のある種、諦めの中を生きる人たちの物語じゃん。
その雰囲気とはマッチしていると思うけどね。もちろん、これまでの”熱さ”とかは全くないんだけど。
この記事どう思う?
連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
0件のコメント