『ジョジョの奇妙な冒険』第8部こと『ジョジョリオン』が完結しましたね。
さっそくなのですが、本編のクライマックス「回転しているから存在していない、存在していないから全てを越える」という台詞。
このシーンがどういう意味か分かりましたか?
それを考えるために、少し唐突ですがあなたの脳内に「宇宙ステーション」を思い浮かべてみてください。
思い浮かんだイメージは、テレビなどでよく見かける国際宇宙ステーション、通称ISSでしょうか。漫画好きで読みに来て下さってる方なら、『プラネテス』や『宇宙兄弟』のイメージでしょうか。映画好きの方なら、『2001年宇宙の旅』のパッケージなど思い浮かべるでしょうか。 さて、あなたの脳内の宇宙ステーションは、回転していますか?(地球を中心に衛生上を回っているかという意味ではなく、宇宙ステーションそのものが自転しているか、という意味です)
答えを言ってしまうと、回転している、回転していない、どちらも正解です。昔は回転していましたが、ある時期から回転しなくなったそうです。映画やアニメのイメージでは、なんとなく回転していたものが多かった気がしますね。
では、なぜわざわざ回転させていたかご存知でしょうか? 「回転」することで、何が起きるのでしょうか?
……という問いに答えるために、『ジョジョの奇妙な冒険』(以下『ジョジョ』)という作品について、頭から振り返ってみたいと思います。
そんな『ジョジョ』とはいったいどんな物語なのか。無理やり一言でいうと「「黄金の精神」を持つ主人公(ら)が、運命を乗り越える物語」です。
黄金の精神(心)とは辞書的な意味では思いやりの心、『ジョジョ』内のニュアンスとしては「困難に立ち向かう諦めない心」「悪を許さない正義の心」などでしょうか。
故に運命とはそういった困難や悪、または文字通り「決定されていること」を指すのですが、『ジョジョ』では主人公に立ちはだかる運命≒ラスボスの在り方がパート毎に異なります。
第1部「ファントムブラッド」から、少し細かめに考えていきます。
パート1と言えば主人公であるジョナサン・ジョースターと“侵略者”ディオ・ブランドーの物語であり、この「ジョースターの系譜vsディオの系譜」こそが『ジョジョ』の主題である、と言っても過言ではないのですが、この二項対立には実に様々なものが内包されています。軽く例を挙げますと
では「ファントムブラッド」においてジョナサンはディオを克服できたのかというと、結果は相打ちです。ディオの野望を打ち砕いたという点では成功と言えますが、ディオを完全に葬ることはできませんでした。
そんな第1部を経て、第2部「戦闘潮流」で描かれた運命(困難)とは何か。それは第1部のラスボスであるディオが石仮面を利用した人間≒人類の最強であったのに対し、そもそもその石仮面を発明した人類の上位互換……柱の男カーズ(ら)になります。
ここで②炭素生物とケイ素生物という対比について少しだけ説明しておきます。
『ジョジョリオン』を読んだ方の中にも「岩人間ってなんやねん」と思われた方もいるかもしれないのですが、「ケイ素を基板にした生命が存在するかもしれない」という仮説はSFの世界では割とポピュラーです。
人間を始め地球上の生物は炭素を中心に構成されていますが、炭素と同族であるケイ素から生命が生まれてもおかしくないのではないか? という発想が元にあります。体がシリコン(ケイ素)で構成されている、弐瓶勉作品の敵キャラなんかがイメージしやすいでしょうか。
そして仮にケイ素生命のようなものが存在するとしても、ケイ素は酸素との結びつきが強いため、地球のような惑星では岩石のような性質を持ち客観的には「生きている」かどうか判断できないのではないか、と言われています。
……で、それが実際に活動していてかつ人類よりヒエラルキーの上に位置するのが柱の男たち、というわけです。
そんな最強生物を、主人公であるジョセフ・ジョースターは火山の噴火を利用して宇宙空間に吹っ飛ばし、無事勝利を収めました。ここでのポイントは、永遠の命を持つが故に永遠に何もできない状況に追いやったことで、『ジョジョ』という作品にはこういう皮肉の効いた倒し方をするというか、発想を逆転させるという特徴があります。
先述しました通り、このスタンドという概念こそが『ジョジョ』の『ジョジョ』足る所以であり、その後の少年漫画やバトル漫画に大きな影響を与えました。
もちろん「スタンド」以前にも超能力や魔法を使って戦う世界観の漫画は存在しましたが、特殊能力を守護霊のように発現させて戦うスタイルや他に類を見ないそのデザイン性など、スタンドという設定の偉大さは枚挙に暇がありません。
その中でも自分が凄いと感じるのは「自分の知識や知恵や能力によって、相手の能力を打ち破る」という「能力バトルのフォーマット」を完全に確立したことです。今でこそ当たり前かのように繰り広げられる「能力バトル」ですが、『ジョジョ』以前以後でバトル漫画の在り方は明らかに変わっています。
具体的に言葉にするなら……スタンドとは「戦いにおけるルールの追加」です。第2部のジョセフなどは波紋と知恵だけで無理やりカーズを倒したわけですが、そこにさらにボードゲーム的世界観やカードゲーム的世界観、もしくはMCバトルのような世界観を取り入れた感じといえば、KAI-YOUの読者の方には伝わりやすいでしょうか(ターン制バトル的と言いますか)。
ではそんなスタンドの中で、最強のスタンドとはどういったものか。それが第3部のラスボス・ディオの操る能力“ザ・ワールド”、自分以外の時間を止めてしまう力です。
時を止める能力が何故強いのかを説明する必要はないと思いますが、この記事に則って解釈するならば「相手のターンをスキップする」能力だからです。スタンドをメタれるスタンド、と表現しても大丈夫です。
ではそんな無敵にも見えるディオのスタンドを第3部の主人公である空条承太郎はどうやって克服したか。それは承太郎のスタンド“スタープラチナ”によってこちらも時間を止める、というものでした。これには先ほども書きました意趣をそのまま返すというアイロニックな意味合いもあれば、ゲーマー向きに「メタり合う」と表現しても大丈夫です。
また先に書いてしまいますが、第4部「ダイヤモンドは砕けない」第5部「黄金の風」第6部「ストーンオーシャン」でのラスボスのスタンドも時間に関係する能力です。荒木飛呂彦先生がいかに「時間を操る能力」というものに比重を置いているかがよく分かります(厳密には第7部「スティール・ボール・ラン」の途中や最後に戦う相手の能力も時間にまつわるものなのですが、本記事ではあまり重要視しません)
さっそくなのですが、本編のクライマックス「回転しているから存在していない、存在していないから全てを越える」という台詞。
このシーンがどういう意味か分かりましたか?
それを考えるために、少し唐突ですがあなたの脳内に「宇宙ステーション」を思い浮かべてみてください。
思い浮かんだイメージは、テレビなどでよく見かける国際宇宙ステーション、通称ISSでしょうか。漫画好きで読みに来て下さってる方なら、『プラネテス』や『宇宙兄弟』のイメージでしょうか。映画好きの方なら、『2001年宇宙の旅』のパッケージなど思い浮かべるでしょうか。 さて、あなたの脳内の宇宙ステーションは、回転していますか?(地球を中心に衛生上を回っているかという意味ではなく、宇宙ステーションそのものが自転しているか、という意味です)
答えを言ってしまうと、回転している、回転していない、どちらも正解です。昔は回転していましたが、ある時期から回転しなくなったそうです。映画やアニメのイメージでは、なんとなく回転していたものが多かった気がしますね。
では、なぜわざわざ回転させていたかご存知でしょうか? 「回転」することで、何が起きるのでしょうか?
……という問いに答えるために、『ジョジョの奇妙な冒険』(以下『ジョジョ』)という作品について、頭から振り返ってみたいと思います。
目次
『ジョジョ』に通底する「黄金の精神」と対立
言わずもがなですが、『ジョジョ』は少年漫画の金字塔的作品であり、現在進行系で新たな伝説を作り続けています。数々の名言や名シーン、また海外文化やファッションへの造形の深さなどはもちろんですが、漫画史的にいうといわゆる「能力バトルもの」を確立させた作品であり、精神を具現化して戦う「スタンド」のイメージはその後の少年漫画に多大な影響を与えました。そんな『ジョジョ』とはいったいどんな物語なのか。無理やり一言でいうと「「黄金の精神」を持つ主人公(ら)が、運命を乗り越える物語」です。
黄金の精神(心)とは辞書的な意味では思いやりの心、『ジョジョ』内のニュアンスとしては「困難に立ち向かう諦めない心」「悪を許さない正義の心」などでしょうか。
故に運命とはそういった困難や悪、または文字通り「決定されていること」を指すのですが、『ジョジョ』では主人公に立ちはだかる運命≒ラスボスの在り方がパート毎に異なります。
第1部「ファントムブラッド」から、少し細かめに考えていきます。
パート1と言えば主人公であるジョナサン・ジョースターと“侵略者”ディオ・ブランドーの物語であり、この「ジョースターの系譜vsディオの系譜」こそが『ジョジョ』の主題である、と言っても過言ではないのですが、この二項対立には実に様々なものが内包されています。軽く例を挙げますと
など色々なのですが、前者(ジョースターの系譜)が後者(ディオの系譜)を克服することは『ジョジョ』全体を通して通奏低音として機能しています。①人間(今を生きる者)と吸血鬼(永遠を生きる者)
②炭素生物(人など)とケイ素生物(石や岩)
③改革(自由)主義と保守主義
④利他主義(正義)と利己主義(悪)
では「ファントムブラッド」においてジョナサンはディオを克服できたのかというと、結果は相打ちです。ディオの野望を打ち砕いたという点では成功と言えますが、ディオを完全に葬ることはできませんでした。
そんな第1部を経て、第2部「戦闘潮流」で描かれた運命(困難)とは何か。それは第1部のラスボスであるディオが石仮面を利用した人間≒人類の最強であったのに対し、そもそもその石仮面を発明した人類の上位互換……柱の男カーズ(ら)になります。
ここで②炭素生物とケイ素生物という対比について少しだけ説明しておきます。
『ジョジョリオン』を読んだ方の中にも「岩人間ってなんやねん」と思われた方もいるかもしれないのですが、「ケイ素を基板にした生命が存在するかもしれない」という仮説はSFの世界では割とポピュラーです。
人間を始め地球上の生物は炭素を中心に構成されていますが、炭素と同族であるケイ素から生命が生まれてもおかしくないのではないか? という発想が元にあります。体がシリコン(ケイ素)で構成されている、弐瓶勉作品の敵キャラなんかがイメージしやすいでしょうか。
そして仮にケイ素生命のようなものが存在するとしても、ケイ素は酸素との結びつきが強いため、地球のような惑星では岩石のような性質を持ち客観的には「生きている」かどうか判断できないのではないか、と言われています。
……で、それが実際に活動していてかつ人類よりヒエラルキーの上に位置するのが柱の男たち、というわけです。
そんな最強生物を、主人公であるジョセフ・ジョースターは火山の噴火を利用して宇宙空間に吹っ飛ばし、無事勝利を収めました。ここでのポイントは、永遠の命を持つが故に永遠に何もできない状況に追いやったことで、『ジョジョ』という作品にはこういう皮肉の効いた倒し方をするというか、発想を逆転させるという特徴があります。
ボードゲーム的、カードゲーム的──ザ・ワールドが最強である理由
さて、第1部と第2部で描かれたものは人(生物)はどこまで強くなれるのか、言わば「肉体の限界」です。第3部「スターダストクルセイダーズ」から描かれるものは精神エネルギーの具現化、すなわちスタンドの戦いになります。先述しました通り、このスタンドという概念こそが『ジョジョ』の『ジョジョ』足る所以であり、その後の少年漫画やバトル漫画に大きな影響を与えました。
もちろん「スタンド」以前にも超能力や魔法を使って戦う世界観の漫画は存在しましたが、特殊能力を守護霊のように発現させて戦うスタイルや他に類を見ないそのデザイン性など、スタンドという設定の偉大さは枚挙に暇がありません。
その中でも自分が凄いと感じるのは「自分の知識や知恵や能力によって、相手の能力を打ち破る」という「能力バトルのフォーマット」を完全に確立したことです。今でこそ当たり前かのように繰り広げられる「能力バトル」ですが、『ジョジョ』以前以後でバトル漫画の在り方は明らかに変わっています。
具体的に言葉にするなら……スタンドとは「戦いにおけるルールの追加」です。第2部のジョセフなどは波紋と知恵だけで無理やりカーズを倒したわけですが、そこにさらにボードゲーム的世界観やカードゲーム的世界観、もしくはMCバトルのような世界観を取り入れた感じといえば、KAI-YOUの読者の方には伝わりやすいでしょうか(ターン制バトル的と言いますか)。
ではそんなスタンドの中で、最強のスタンドとはどういったものか。それが第3部のラスボス・ディオの操る能力“ザ・ワールド”、自分以外の時間を止めてしまう力です。
時を止める能力が何故強いのかを説明する必要はないと思いますが、この記事に則って解釈するならば「相手のターンをスキップする」能力だからです。スタンドをメタれるスタンド、と表現しても大丈夫です。
ではそんな無敵にも見えるディオのスタンドを第3部の主人公である空条承太郎はどうやって克服したか。それは承太郎のスタンド“スタープラチナ”によってこちらも時間を止める、というものでした。これには先ほども書きました意趣をそのまま返すというアイロニックな意味合いもあれば、ゲーマー向きに「メタり合う」と表現しても大丈夫です。
また先に書いてしまいますが、第4部「ダイヤモンドは砕けない」第5部「黄金の風」第6部「ストーンオーシャン」でのラスボスのスタンドも時間に関係する能力です。荒木飛呂彦先生がいかに「時間を操る能力」というものに比重を置いているかがよく分かります(厳密には第7部「スティール・ボール・ラン」の途中や最後に戦う相手の能力も時間にまつわるものなのですが、本記事ではあまり重要視しません)
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