「黄金の精神」「漆黒の意思」に次ぐ第3の信念
先ほど敵の話もあったので、次のテーマに移りますね。続いては、都築くんの"「漆黒の意思」と「吐き気をもよおす『邪悪』」の違いとは?"。
よねさんが編集を担当した岩永亮祐さんのコラム、とても素晴らしい論考だったんですが(関連記事)、1点だけ気になったところがあるんですよね。
あのコラムでは、『ジョジョ』における善悪の境界線を「自己中心的であるかどうか、自分のためなら他人を踏みにじってもいいと考えているかどうか」と説明しているんですよ。
だから「自己中心的でなければ不良やギャングであろうと主人公足りえる」と。でも実は、第7部はそこに転換が起きてるんですよ。
お? はい、どうぞ。
第7部の主人公のひとり、ジョニィ・ジョースターは、不随となった下半身を再び動かすため、ツェペリ家の回転の技術を身につけ、奇跡を起こす聖人の遺体を集める。
まさに利己的な目的で突き動かされるキャラクターだったじゃないですか。
それに対する、第7部のボスであるファニー・ヴァレンタイン大統領は、利他的な愛国心のために遺体を集める。聖人の遺体を他国に渡せないし、戦争するよりも犠牲が少ないからレースに便乗した。
文庫版の前書きでの荒木先生の言葉を借りれば、大統領はジョニィたちよりも「正論」を掲げるキャラクターとして描かれている。
第6部までの『ジョジョ』って、他人のために犠牲になる、その「黄金の精神」が受け継がれていく物語じゃないですか。ジョナサンを守るために母親が死んだところから始まり、最後は徐倫からエンポリオ少年に託される。
それは正しいし美しいし尊いけど、辛いじゃないですか。じゃあ、どうしたら自分のために生きていいのかを、第7部以降は追求していると思うんですよね。
確かに。
自分の欲望を叶えようとすると、どこかで他人とぶつかってしまう。誰もが誰かにとっての悪役になってしまうのは避けられないと思うんですよ。
その極地がDIOでありカーズであり吉良吉影でありディアボロだった。
じゃあ、ジョジョにおいて肯定されているジョニィの「漆黒の意思」と、否定されている「吐き気をもよおす『邪悪』」には、どこに違いがあるのか議論したいと思うんです。
なるほどね。
「漆黒の意思」って悪そうな字面なんですが、劇中でもマイナスイメージで語られてないよね。
リンゴォ・ロードアゲイン戦で登場した概念だけど、目的を叶えるためなら人殺しも辞さない「漆黒の意思」を持つことで、真の勝利者を目指す「男の世界」に入れるみたいな感じだった。
だから、他人を犠牲にすること自体が問題ってわけじゃないってことだね。「吐き気をもよおす『邪悪』」はどういう意味合いだったっけ?
第5部で、ディアボロが自分の保身のため、トリッシュを殺そうとエレベーターから連れ去ったときにブチャラティが怒って叫んだセリフですね。
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ……!!自分の利益だけのために利用する事だ…父親がなにも知らぬ『娘』を!!てめーだけの都合でッ!」
そう。自分が犠牲になる「覚悟」をしてでも前に進む「黄金の精神」を正義としているから、逆にいうと覚悟を持たない人間を、自分のために踏みにじるのが一番許せない行為だってことなんだよね。
第1部でスピードワゴンがディオに「こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!」って言ったように、『ジョジョ』シリーズの悪に通底する概念だと思ってます。
じゃあ「漆黒の意思」は、「覚悟」を持ったもの同士における話なんじゃないですか?
なるほどね。その観点から考えると第8部はどうだったんだろう? そもそも、定助くんは何で戦ってるのかよく分からなかった💦
一応、ジョニィの「漆黒の意思」と同様、瞳に炎が灯る描写はありましたが…。
最初は、記憶喪失の自分の正体を知るためだったよね。
その出自を知った後は、病床に伏している吉良・ホリー・ジョースターを救うため、彼女は「幸せになるべきだ」という考えのもと、他者のために戦ってたんじゃないですか?
半身・吉良吉影の母親であり、もう半身・空条仗世文の命の恩人である彼女のために。彼ら2人の意思を継いで。
その理由付けは弱かったよね。なんかフワッとしているし。
定助は巻き込まれ系主人公なんだよね。なんか襲われるからとりあえず対処しているみたいな感じだったよ。
そう言われると現代っぽい主人公ですよね。
でも、根っこにある動機として、定助は自分のルーツを見つけたい、それを大切にしたいと言っていたとは思います。
スタンド「ラブラブデラックス」の作並カレラが「過去なんてどうでもいいわ」と言ったとき嫌悪感を見せたり、初めて出会った康穂を大切にしたり。
自分のルーツや自分の記憶に執着するキャラクターではあったと思いますね。
なるほど、確かにそうかもしれない。
それが東方家の家族の物語に繋がってるのかもしれない。
東方家が、遺伝する疾患・石化病の呪いを解こうとするように、第8部は出自への意思や欲望が描かれていたんじゃないでしょうか。
「黄金の精神」や「漆黒の意思」とは、また別ベクトルのもののような気がしますね。
そうですね。岩永さんのコラムでは、主人公側と敵側の関係が「改革(自由)主義と保守主義」と説明されてましたが、定助たちは「過去を重んじる」「自分を取り戻す」っていう意味だと、ちょっと逆転してますよね。
家族・血統を大切にする人間サイドと、それらがどうでもいい岩人間たちが対比されてましたね。
「岩人間の行動は『単独』が基本の生態で家族を持たない」からね。
部単位で見てみると、第5部までは、主人公側の社会正義と敵が持つ個人の欲望が対立していた。
第6部では、敵も大義を持ち出してきて、ある意味で社会正義同士のぶつかり合いだった。
一転、第7部では敵が社会正義を掲げて、主人公が個人の欲望を胸に戦った。
その見方で言えば、第8部は個人の欲望同士の戦いだった気がしますね。
でも、その一方でボスは厄災の象徴でもあったわけでしょ? 複雑すぎるな…。
まあ震災というバックグラウンドは物語にあるよね。何度も読み返す必要があるな、第8部……!
「人間賛歌」の裏にあるもう一つのテーマ
『ジョジョ』のテーマについて話してきましたが、最後に新見さんの“「人間讃歌」の本当の意味”にいきましょう。
『ジョジョ』に通底するテーマとしてはよく知られてますね? 何なの「人間讃歌」って?
まず、みんなが「人間讃歌」をどういう風に解釈してるのか聞いてみたいな。
頑張って生きることとか…?🤔
生きる強い意思みたいなイメージでした。
ウィル・A・ツェペリさんが「人間讃歌は勇気の讃歌!! 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!」って言ってましたね。
そうだよね。俺もそう思う一方で、その裏には単純にポジティブなイメージで語れない面もあるんじゃないかってことを話したい。
荒木飛呂彦によれば、『ジョジョ』の作風は自分の中で第5部から変わってきたんだって。
曰く、「人間ってこの世に存在すること自体が哀しいんですよ。だからこそ、人生を通じて喜びや生まれてきた意味を見つけ出して行くと思うんですよ」「その辺のことを描いてみたかった」と。
人間は生まれた時点で既にマイナスだから、それをゼロに戻すために生きなきゃいけないんだという価値観が解釈荒木飛呂彦の根底にあるんだと解釈したんだけど、それが意外だった。
「『ジョジョ』は人間賛歌だ、人間存在の素晴らしさを描いているんだ」ってよく言われてるけど、それはだいぶニュアンスが違うんじゃないかと。
ジョニィのセリフと同じですね。「ぼくはまだ『マイナス』なんだッ!『ゼロ』に向かって行きたいッ!」。僕はジョニィに自分をトレースしているところがあるので。
(トレース…!?)俺が『ジョジョ』で一番好きなキャラクターは、第4部の虹村形兆と第5部のレオーネ・アバッキオと第6部のナルシソ・アナスイなんだけど。
彼らは罪を犯したことでその魂はすでに呪われていて、だからこそ最期の瞬間、他人の未来のために命を捧げる。真っ直ぐな主人公たちとは違う魂の覚悟の描かれ方で、俺はそこに惹かれてます。
人間は生まれながらに虚しい存在だからこそ意味を獲得していく姿が美しいんだ、というのがジョジョにおける「人間賛歌」だとすると、彼らのように罪を犯して呪われた人間は、他人に命を捧げないとそもそもゼロにもなれないというラディカルなテーマがあるようにも思えるんだよね。
第8部も、震災で傷ついた街と記憶を失った男が、マイナスをゼロに戻すための物語と解釈できるんじゃないのかな。
第8部、テーマ自体はめっちゃいいんだけどね。
今の時代だからこそ、っていう面もありますよね。景気が良かった昔と比べて今は不景気ですし、正直、未来に希望は持ちにくい。
ドンドン厳しくなっていく社会で、個人の努力ではどうしようもない。その中で、僕たちはどうすれば、どう生きればいいんだろう、みたいな。
なるほど、面白い。
確かにそうね。そのテーマはすごい今っぽいね。いまだには『ジョジョ』は成長し続けてるんだ。すごいですよね。
きっと第8部も何年後かにアニメ化されたら、すげえ面白く観れるんですよ。6部や7部もそうだけど、『ジョジョ』にはいつも後から時代が追いつく形なんです。
補完や矛盾する描写の解消は必要ですけどね。あまりにも訳がわからない作品ではあった。
第8部でこれだけ現代的な問題を描いて、それでも同じ時代に生きているのに、理解が及ばないことがあるってなったら、第9部「JOJOLANDS(仮)」どうなっちゃうの!?って。
わかる、それは思った。逆に第9部が楽しみになりましたね。
やはり、我々が追いつけない加速で荒木先生は描き続けてるっていうことなんじゃないですか?
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その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
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