連載 | #4 KAI-YOU編集部ネタバレ全開座談会

『呪術廻戦』連載再開記念ガチ考察座談会 冨樫義博へのリスペクトと、その超克

『呪術廻戦』は『幽☆遊☆白書』や『HUNTER×HUNTER』を、冨樫義博を越えられるか?

なんか議論の雲行きが怪しくなってきましたが、続いてのテーマに行きましょう。次は「『呪術廻戦』は冨樫義博を越えられるか?

ちゃんよねさん…また炎上しそうなテーマを持ってきましたね。

いやいや! 芥見先生も明らかに冨樫義博作品へのオマージュやリスペクトを仄めかしているから!

というか、最初『呪術廻戦』を読んだとき、特に9巻ぐらいまで「完全に『幽☆遊☆白書』じゃん」って思ったんですよ。

例えば、夏油って当時の描き方は完全に仙水忍ですよね。人間なのに呪い側についている呪詛師って立場もそうだし、顔というかデザインも似ている。実質は呪いなのに人間側についてる虎杖の構図も魔族の血を引いていながら人間側に立っている浦飯幽助と同じ。

(注1)『幽☆遊☆白書』魔界の扉編では、かつて浦飯幽助と同じ霊界探偵として妖怪たちから人間を守っていた仙水忍が、人間が妖怪を捕らえ凌辱する様を目の当たりにしたことで人間を滅ぼそうとする。ヒーローの側に経っていたキャラクターが守るべき対象に疑念を抱き主人公たちと対立するという構図が『呪術廻戦』と共通している。

DVDパッケージの一番右側に描かれているのが仙水忍/画像はAmazonから

僕は仙水忍が出てきた『幽☆遊☆白書』魔界の扉編が、少年漫画の中で最高峰だと思ってるくらい好きなんですよ。だからこそ、現代で改めてそれをリビルドしようとしている『呪術廻戦』にかなり期待していたんですよね。なんでわざわざ、あの出口のないテーマをまた描こうとしているのか。

でも、蓋を開けてみると『呪術廻戦』は進めば進むほど『幽☆遊☆白書』魔界の扉編のテーマが掘り下げられているようには感じられなくなってしまって。

もちろん、何かを模倣したり引用したりすることは創作で必要なことだし、むしろやるべきことだとも思うんだけど。ただ、ここまで露骨にサンプリングするのだったら、現代なりのテーマや独自の視座から過去作を乗り越えて欲しいなって思って……

みなさんは『呪術廻戦』が越えられると思いますか?

『幽☆遊☆白書』ってそんなに深いテーマを描いているかな?

深いというか、『ジャンプ』や少年漫画にアンチ勧善懲悪みたいなテーマを初めて持ち込んだのは『幽☆遊☆白書』だと思います。善悪の反転・価値観の転倒みたいな。そういう点で完全にエポックな作品です。中でも仙水編の悲哀はすさまじいものがある。

でもそれでいうと、『呪術廻戦』も実はかなり難しいことをやっていると思うんですよ。

ステレオタイプな少年漫画って、絶対的な正義と絶対的な悪を描いていたけど、それはあらゆる価値観が尊重されようとしている現代では絶対に描けないじゃん

ものさしが無限にある中、それらに配慮していこうとするとむしろ「正しいってなんだろう」ってことになっていくじゃないですか。

『呪術廻戦』は、最初からそれをテーマに据えているんだよね。虎杖は「正しい死」にずっと拘っていて

「せめて自分が知ってる人くらいは正しく死んでほしいって思うんだ」とかね。

そうそう。それは虎杖が祖父の死の間際に受けた呪いじゃん。「オマエは強いから人を助けろ」「オマエは大勢に囲まれて死ね」と。

しかも、虎杖自身もそれが呪いだと自覚している、それに縛られていると分かっている上で、自分にとっての「正しい死」をずっと考え続けているじゃない?

そんな「正しさ」なんて現代には存在しないことはわかっていて、それでも正しさを自問し続けている少年漫画、最近だと逆にないんだよね

自問し続けているかな? 割と一貫して屈託ないように見えるんだけどな。

いや、虎杖の考え方は変わっていってる。そもそも、正しさなんてないんじゃないかと。

うーん。だとすると結局『幽☆遊☆白書』なぞってるやん……となってしまう。

それは、「正しさなんてないんだ」というスタンスがテーゼになっている現代だから、『呪術』はカウンターにはなっていると思うんですよね

渋谷事変編の特級呪霊・真人戦がわかりやすいですよね。

序盤、虎杖がなぜ人の命を玩ぶことができるのか問いかけたのに対して、真人は「オマエは俺だ」って答える。最初、虎杖はその意味を理解できなかったんですけど——(第121話)。

最後に、虎杖も真人に「俺はオマエだ」って言うんですよ(第132話)。

虎杖は、呪いによる殺人は「間違った死」だと否定しようとしていた。でも、「負の感情こそ偽りのない真実で、そこから生まれた我々こそ本物の“人間”」だとする呪い側から見れば呪いを祓うこと(≒人を助けること)も本質的には一緒なんだよね

真人が何も考えずに人を殺すように、虎杖も何も考えずに人を助けようとしていた。

多分、読者も最初の「オマエは俺だ」に違和感を覚えて、読み進めていくうちにその正体に辿り着いてったんじゃないかなと思う。

わかりやすさを重視したフルテロップみたいな説明からすると、難しいテーマを取り扱っているなと思いますけどね。

チャンネルの運営方針としてはね。

何が難しいって、今のトレンドって目的がはっきりしている作品じゃん。『鬼滅の刃』もそうだし『チェーンソーマン』もそうなんだけど。

あらかじめ奪われた何かを取り戻すっていう話に多くの人が共感しているんだけど、『呪術廻戦』は全くそうじゃない

確かに虎杖には両親がいないんだけど、第1話で「興味はない」とはっきり明言している。彼は何も奪われていない、何も欠けてない。それでも、とにかく人を助けたい

おじいちゃんに言われたからね。

そう。でも結局この助ける行為に、意味も理由もないんだってことにも徐々に気づいていく。意味も理由もないにも関わらず、主人公に物語を動かさせるのってとても難しい。

そういう意味で、珍しく難しいことを『呪術廻戦』はやっていると思うんだよね。それが逆につまらないという意見もわかる。

『幽☆遊☆白書』はともかく『HUNTER×HUNTER』なら、もしかしたら超えうるんじゃないでしょうか。

渋谷事変編での七海の死(第120話)のところ、あれって『HUNTER×HUNTER』キメラアント編のカイトの死に近いと思うんですよね。

真人が七海を殺した時、虎杖は「オマエはなんなんだ!!真人」って叫んだんですが、それもゴンのピトーに対する反応に似ていて。

その上で、いまの『呪術廻戦』では死滅回遊っていうデスゲームが始まったじゃないですか。これも異能力の存在すら知らなかった人間に能力が与えられ殺し合うという点で『HUNTER×HUNTER』の最新の長編である暗黒大陸・王位継承編での王位争奪戦と似ている。

だからもし『HUNTER×HUNTER』がこのまま休載し続けたら、いつか『呪術廻戦』が物語的に追い越して、『HUNTER×HUNTER』のまだ見ぬ地平を描くんじゃないかと思うんですよ

(注2)『HUNTER×HUNTER』キメラアント編では、キメラアントのネフェルピトーによって主人公・ゴンの兄貴分であるカイトが殺され、その遺体すら弄ばれてしまう。その怒りはゴンの強い原動力となるが、後にネフェルピトーが自分の命と引き換えにでも人を助けようとしたのを目の当たりにしたゴンは「なんでだ」と激昂する。

(死滅回遊……?)

冨樫先生が連載しないばっかりに……。それは見てみたいですね。

じゃあ『幽☆遊☆白書』を越えられるのかはともかく、『HUNTER×HUNTER』を越える可能性はあるかもということですかね?

そうですね。いや、『HUNTER×HUNTER』は冨樫先生の最高傑作なんで、もうよくわかんない構造になってますが。『呪術』には期待しています。

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その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。

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