願いを託すこと、思いを託すことは"呪い"足りえるのか?
『呪術廻戦』が描くテーマについての話も上がったところで、最後、小林くんの「呪いと祈りの違いとは?願いを託すこと、思いを託すことは呪いたりえるのか?」にいきましょう。
この作品の呪いや呪力は、人間の負の感情じゃないですか。だから、人口の多い都会の呪霊の方が田舎の呪霊よりも断然強い。
その一方で、虎杖の祖父の「お前は人を助けろ」だったり、七海の「後は頼みます」だったり、そういう願いや思いも「呪い」として扱われている。
そう言いたくなるのもわからなくもないんですけど、それは果たして呪いなんだろうか? 露悪的な捉え方ではないのかなって思っちゃうんですよね。
なるほど。そもそも、僕は、その呪いが生まれる根源であると定義されている「負の感情」ってなんだろうって考えたてんだよね。そもそも人間の感情って渾然一体になっているものだから、正も負もないんじゃないかって
で、調べてみたら、とにかく「本人が苦しんでいればそれは負の感情だ」っていう考え方があるんだって。
そうだね。
本人がその感情を想起したことによって苦しんでいれば負の感情だと。だから願いや祈りも、そうなって欲しいと強く思うことによって、結果的にそれが自分を苦しめてしまうのなら、それは負の感情に反転してしまうという考え方なんだろうね。
そういう意味では腑に落ちるというか、『呪術廻戦』ってとにかく色んなものを反転させてるじゃない。虎杖と呪霊の考え方もそう。
ある種、祈りや願いは人のしがらみになってしまうよね、っていうのは第1話から描かれてきたから、そのテーマは一貫していると思う。
本来、正と負の感情って切り分けられないんだよね。だからこそ、切り分けられないものなんだということを物語で検証するために「正しさとは何か」を問い続けてきたんだと思う。
ちなみに、この作品の呪術って縛りを設けると強くなるんじゃないですか。それこそ、『HUNTER×HUNTER』の「制約と誓約」なんですけど(笑)
それならば、七海が託した「願い」も、虎杖を強くするんでしょうか。
それはもちろんするでしょう。
強くするからこそ、反転してしまうことを七海は恐れたんだと思います、夏油みたいな例を見てきたから。
夏油だって呪術は弱者を守るためにあると考えていたのに、反転して最悪の呪詛師になってしまった。
託したら、いつかは裏返る危険性がある。だから、「それは彼にとって“呪い”になる」って言葉だったんじゃないでしょうか。
反転して苦しんでいる。僕もその点は良いテーマだと思います。
その一方、人のしがらみたる呪力を一切持たない代わりに、異常な身体能力を持つ伏黒恵の父・伏黒甚爾の存在が、この作品の面白いところのひとつですよね。
真人戦での、東堂葵の「拍手とは魂の喝采」もそう。あれは明らかに『HUNTER×HUNTER』キメラアント編のネテロの「祈りとは心の所作」の本歌取りでしたが、呪いの力を失ったことで彼の存在はこれ以上なく輝いていた。
『呪術廻戦』の世界では、呪いがないのが一番強いんですよね。
結局ね(笑)。東堂の師匠であり特級呪術師である九十九由基も、呪力からの“脱却”を目指しているしね。
全人類から呪力をなくすか、全人類に呪力をコントロールさせようとしてますよね。それってつまり、しがらみからの解放なんじゃないでしょうか。
まあ反転ばっかりしてても前に進まないから。立ち往生しているのと同じだよ。
すべての感情が反転して呪いになってしまうのか、それともしがらみから解放されるのか。
この物語は虎杖がどういう答えにたどり着くかでしかないんだろうな。
連載再開ありがとうございます!!!
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その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
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