1979 「機動戦士ガンダム」第1話を観る
待ちに待った「機動戦士ガンダム」の第1話でした。もう、冒頭から最後まで、充実した30分でした。「これはすごい」と思いましたね。完全にやられました。まず、ナレーションが何を言っているのか理解できない!!今でこそ、いろんな設定、ディティールを理解していますけど、いきなり、こんなナレーションに、わけのわからない巨大なものが地球に落ちてくるというビジュアルで、理解できるもんですか! そして、こう思うわけです。「わけのわからないまま話が進むところが大人っぽい! これは『宇宙戦艦ヤマト』どころの騒ぎじゃないぞ!」と。「地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した」(『機動戦士ガンダム』第1話「ガンダム大地に立つ!」より)
主人公はどうも「たくましいヒーロー」だったり「わんぱくな熱血漢」ではないところも目新しかったんです。さらには、敵ロボットのデザインが垢抜けているし、ミリタリー的な匂いがする! 第1話を観終えた時点で、もう虜になりました。これがアニメの未来だ、アニメファンでいて良かった! と思えましたよ!
この年に、テレビスペシャルとして放送された宇宙戦艦ヤマトの新作『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』に、なんだかズレた印象はうけたものの、もう自分には「ガンダム」があるから大丈夫だ、とも思ってましたね。
当時は毎月の購読誌が山のようにあったので、そこで収集した情報をもとに漫画を読んだり、音楽を聴いたりとやることは山ほどあったんですよ。おまけにガンダムショックで、アニメの面白さも再認識しています。それでも、各ジャンルをおこたらずに1年間を暮らせたのは、この年が受験勉強の年だったからだと思います。
3年にもなれば、同級生たちもそれなりに「お勉強」をはじめるじゃないですか。春先から、校内での模試もひんぱんに行われるようになりますよ。そんなムードに流されて、なんだか勉強嫌いの自分にも義務感が芽生えてきちゃうんですよ(悪いことではないといは思うけど)。
で、帰宅後は数時間の受験勉強をするようになってましたね。雑誌やマンガを読んだり、テレビを観たりは、その合間。むしろ、そんな縛りがなかったとしたら、際限ない自分の好奇心で、どうかしちゃってたんじゃないかと想像します。
この当時、毎月の購読雑誌は『ぱふ』『LaLa』『ビックリハウス』『ホットドッグ・プレス』『ポンプ」『OUT』『アニメック』『ランデヴー』『少年マガジン』『テレビマガジン』『平凡パンチ』など
まず6月には朝日ソノラマから「マンガ少年別冊 『すばらしき特撮映像の世界』」というムックが発売されましたが、これは最高でした。子供の頃に大好きだった怪獣をはじめとする日本の特撮作品から、海外のSF、ファンタジーまで、大人の趣味人なり(現在考えれば、当時は執筆者の皆様も20歳そこそこの方々だったのだとは思います)の視点で紹介されていました。米田仁士さんの特撮マン漫画も、いたはししゅうほうの「ウルトラマンタロウ」も、どれもこれもが刺激的でした。これは「ガンダム」とは別の意味で、現在の自分の趣味嗜好をつくり上げた、重要な一冊になりましたね。
それから、4月には、あの『マニフィック』が『アニメック』と誌名を改め、リニューアルしました。ガンダムに関しては他誌とは差別化した特集を組み始めたので、読まないわけにはいかなかったんですよ。この時点で、『アニメージュ』の購読はすっぱり止めちゃったくらいです。
各話ダイジェストストーリーに加え、スタッフインタビュー、設定資料を所狭しと掲載。アニメック誌上でしか確認できない設定画が山ほどありました(後で知ったのですが、設定画を勝手に切り貼りしてつくった「ドダイ搭乗時のグフ」なんてものまで載せていたんだそうです)。
当時、登場モビルスーツの形状を全て確認できたのは、『アニメック』だけでした。また、劇中に登場する「ミノフスキー粒子」という謎の単語について、監督の解説がなされたのも、アニメック誌上のインタビューが初だったと思います。
また、ガンダムに併せて、誌上ではさまざまな個人ファンクラブが紹介され(放送翌月の号には既にガンダムファンクラブ会員募集の告知が読者欄をぎわせていた)、会報誌、同人誌というものが多数出版される実情も知りました。あまりにも、濃く、博識なアニメファンたち。知識を蓄えたつもりになっていた自分ごときでは到達できない世界でした。そこで、なんとなくわかってきたんですよ。アニメについて情報を貪り、築き上げてきた「他の人とは違う」という「優越感」が、まるきり勘違いだったことを。
世間には、自分と同レベルの知識を持つファンは山ほどいて、そんな自分たちこそが、メディアに先導される側の大衆なのだ、というのが現実だったのです。「アニメを極めるには奥が深すぎる」と感じ始めると、徐々に「アニメへの知識欲」は方向性が変わり始めました。全てを網羅できないなら、より特殊なものを! より変わったものを! 今思えば、それは今時の「サブカル病」にも共通する、「変わった趣味のオレえらい!」的な浅はかな思考でした。
11月には「アニメージュ増刊 SFコミックス リュウ」、「月刊ジ・アニメ」が創刊され、世間でもテレビまんがのことを「アニメ」というのだ、という認識が一般的になっていた。
それでも、「機動戦士ガンダム」だけは逃さずに見続けていました。雑誌に載っていた「サンライズ公式、記録全集出版」の広告に、たまらず予約のハガキを出してしまったのもこの年の夏だったと思います。「一冊3000円。全5巻を順次出版」。トータルで1万5千円ですよ! 中学生にとっては、かなり厳しい値段ですよ。それでも、その興奮と嬉しさには変えられなかったんです。受験を縦に、親に交渉したんじゃなかったかなあ…(思い出せないです)。今思い起こすと、高校受験に向けた日々の中、むさぼり読んだ雑誌やまんがの情報が、未だに「受験科目」以上に、頭の中に残っていることが驚きです。また、しっかりと年末に公開された『ルパン三世 カリオストロの城』や『戦国自衛隊』を観に劇場へ足を運んでいたことも、今となっては意外ですよね。まじめに勉強してたんでしょうかねえ?
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Takayoshi Saito
構成作家/インタビュアー。テレビ、ラジオ、イベントの企画、構成。BMSKコンサルティングの研究員としてブランディングコンサルタントと、その一貫でアートディレクションも生業にしています。その他ゲームの企画、シナリオ、キャラクター研究家。京都精華大学、非常勤講師。オタクの学校@模型塾、講師。アクトオンTV「つくろうプラモNAVI」ナビゲーター。
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