持って生まれた肉体より、自ら生み出したキャラクターの方が自分らしい
──キャラクターが単なる舞台装置で終わってしまわないように、ということですね。生み出してきたキャラクターとの距離感については、どういった意識を持っていますか?
はるまきごはん 自分の中では、キャラクターは自分そのものに近い感覚です。自分が話すよりも、キャラクターのセリフとして発信する方が、本心に近い言葉でしゃべれている感覚があるんです。
──キャラクターを挟んだほうが素直になれるということでしょうか?
はるまきごはん というより、自分が今入っている器、つまりこの肉体があまり好きじゃないんですよね。
自分の肉体は親が用意してくれたものなので、自分の持ち物という感覚が薄くて。叶うなら──ゼロから自分で自分をつくりたいです。
だから“キャラクター”に憧れるし、みかげやリリやナナといった、これまで楽曲を通じて生み出したキャラクターの方が自分を入れる器として落ち着く。それらを通して言葉を話す方が、自分にとっては自然なことなんですよね。
──自分がゼロから生み出したものの方が、より自分らしくあれる、と。
はるまきごはん そう思います。キャラクターのセリフを考えているときは、まさにキャラクターの中に入っている感覚なんです。すごく安心感があるし、しっくりきます。
──キャラクターという存在をすごく大切にされていますが、これまでの人生で、様々なコンテンツのキャラクターとの印象的なエピソードはありますか?
はるまきごはん 中学生のときに『ローゼンメイデン』のアニメ(2004年版)を見たんですが、登場人物の一人・真紅の「生きることは戦うことでしょ?」というセリフが、当時の自分にすごく刺さりました。
『ローゼンメイデン』はわりと悲劇的な物語で、人形たちが自分をつくった人形師、つまり父親に愛されるために生き残りを賭けて戦うストーリーです。その戦いのプレイヤーとしてこのセリフを言っているので、あまりポジティブなニュアンスではないんですよね。
──ポジティブではないセリフが刺さった理由を教えてください。
はるまきごはん さっきの学生時代の話につなげると、自分はボカロをはじめるまで、攻撃されることから逃げ続けるような人生を送っていました。でも周りの人は僕とは対照的に、「◯年◯組は最高だ!」と言って楽しそうだったんです。
今でこそ、生きることにはいろんな側面があって、人生がつらい人もいれば楽しい人もいることは当然わかっています。ただ、中学〜高校の頃はまだ視野が狭いので、同級生や家族の考え方が自分と違うだけですごく孤独でした。
そんなときに、真紅がこのセリフをさも当然のように言っているのが、自分にとってすごく救いだったんです。そういう考えの人もいるってことが、作品を通して感じ取ることができたんです。
──ご自身は、作品を通してしがらみを持つ人の救いになりたいという思いはあるのでしょうか?
はるまきごはん 誰かを救うためにつくっているわけではありません。でも、あくまでも自分がつくりたいものをつくった結果、それに共感してくれる人が救われたとしたら、そこには誇りを持ちたいです。
「誰かを助けたいんだ」みたいなことを言いながら活動するのは、あまり自分には合わないんですよ。それを声高に宣言したとしても、その声は本当に苦しい人には届かないと思うし。
真紅のセリフも、きっとそう。『ローゼンメイデン』という作品がすごく面白くて、僕自身が大好きだったからこそ、刺さったんだと思います。
少女性の美しさを追い求め、向かっていく姿こそが美しいのかもしれない
──10周年プロジェクトもそうであるように、はるまきごはんさんは徹底してキャラクターを介して作品づくりをしている印象です。だからこそ、2月に発表した「僕は可憐な少女にはなれない」という曲は、ご自身発のメッセージを直接込めた内容だったので、はじめて聞いたとき衝撃的でした。
はるまきごはん 「僕は可憐な少女にはなれない」という曲のテーマは、「1人でつくること」でした。初音ミクも使っていないし、MVの制作もスタジオごはん(※)で制作してません。
普段当たり前のように頼っているものが何なのか、それらがなくなったらどうなるのかを知ろうとした曲です。結果的に、やっぱりこれからも初音ミクを使い続けていこうと思いました。
もう一つは、あの曲自体が初音ミクという存在に向けた自分なりのメッセージになっていて、出すこと自体に意味がありました。
※はるまきごはんさんを中心としたアニメーション映像制作スタジオ。
──この曲で歌われている“少女”は、今まではるまきごはんさんが生み出してきたキャラクターのことなのかと思っていたんですが、どちらかというと初音ミクを想定したものだったんでしょうか?
はるまきごはん どちらもですね。MVに描いたのはエテル・シアナといって、2月のワンマンライブで主人公にしていたキャラクターなんです。
彼女たちと初音ミクが重なるようにつくっています。それらを包括して、“少女”と呼んでいるイメージです。
はるまきごはん 自分がこれまでつくってきたキャラクターや「僕は可憐な少女にはなれない」の”少女“がそもそも何なのかというと、現実に存在する特定の少女ではなく、自分が漠然と憧れていた存在しない少女像みたいなものなんですよ。
その一部が初音ミクであり、自分のつくったキャラクターである。もっと言うと、アニメの好きなキャラクターとか、そういう「自分がなりたい、これになれたらよかったな」という思いを向けてきた少女性に形を持たせた感覚です。
──はるまきごはんさんは、どのようなものを指して「少女性」と呼んでいるのでしょうか?
はるまきごはん 言葉としては様々な使われ方をしていますよね。僕の場合、歌詞では「イノセンス」と表現することが多いんですが、純粋さというかピュアさというか……ただ若い年齢を指しているというわけではなく、「大人になっても心の中に残されているもの」ですかね。
誰しも赤ちゃんの頃はピュアであり、いろいろな経験を積んでピュアじゃなくなっていくと思うので、いろんな経験をしながらも心の中に残った宝石のような部分。自分が言う少女性はそんなイメージですね。
──少女性は、はるまきごはんさんの創作において、非常に重要な要素ということですね。
はるまきごはん 個人的に、人間の営みはあまり美しくないなと思っていて、それに対して「きれいだな」「美しいな」と感じるものを描きたいんです。それが僕のものづくりにおける、一番大事な部分です。それを求めていった先に、少女性があるような感覚ですね。
じゃあそれが具体的に何なのかと言われると難しくて、たぶん少女性なんてものは、実際には存在していないんですよ。創作を通じて、その存在しないものに向かっていく「憧れ」自体に美しさを感じているのかもしれません。
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はるまきごはん
ボカロP
札幌市出身のミュージシャン、イラストレーター、アニメーター。作詞作曲編曲、イラスト、映像、アニメーション制作まで、全てのクリエイションを手がける。VOCALOID、自身歌唱によるMVで描かれる物語を軸に、本人がコンセプトからパッケージイラスト・デザインまで手掛けるアルバムや、オリジナルアニメを駆使したライブ、グッズ制作、個展などを展開、最新作「幻影シリーズ」では、ゲームアプリや漫画も手掛けている。2019年よりアニメ制作チーム・スタジオごはんを立ち上げ、アシスタントと共にアニメーション制作を行っている。スープカレーが好き。
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