初投稿は、ボカロ界が停滞していたと言われる2014年。以降デビューしたボカロPの中には、はるまきごはんさんの影響を受けた人も多い。
フォロワーを生み出すほどの存在となったはるまきごはんさんは2021年5月、楽曲「第三の心臓」のMVの投稿を皮切りに、プロジェクト「幻影」シリーズをスタート。楽曲だけにとどまらないその仕掛けは前作の「ふたりの」シリーズからさらに拡張した。
今回は、6月25日の幻影EP公演をもって、無事に一連のリリースを終えたはるまきごはんさんにインタビューを実施。アーカイブムービーのリリースに向けて「幻影」シリーズを振り返るとともに、制作エピソードや、プロジェクトの盛り上がりを最大化させたプロデューサー思考について話を聞いた。
取材・文:ヒガキユウカ 編集:恩田雄多 ライブ写真:田辺佳子
目次
はるまきごはんが描く、光と影の依存の物語
「幻影」シリーズに登場する4人のキャラクター。左から、主人公のみかげ、友人のスピカ、ゆうひ、うらら。
はるまきごはん シリーズの渦中ではあまり名言してなかったのですが、主人公のみかげは「影」で、友達のスピカ・ゆうひ・うららは「光」にまつわる名前になっています。みかげは周りに対する劣等感に近いものを感じていて、そこから生まれる「人間に対する依存」が「幻影」シリーズのテーマでした。
『幻影EP』付属のブックレットの漫画や、ライブのムービーに出てきた「みかげの影」は、依存から逃れて自立しようとするみかげの守り人です。依存を取払うべきものとして捉えた場合、影のしていることは正しいとも言えると思います。
でも、友達と離れ離れになってまで心の健康を選択することが幸せかはわからない。ライブで流したムービーでその結末を描いたんですが、見る人によってバッドエンドにもハッピーエンドにもなるのかなと思っています。
──「幻影」シリーズ」の一連の展開は「第三の心臓」のMV投稿ではじまりました。改めて、どのような経緯で物語がつくられていったのでしょうか?
スピカ・ゆうひ・うららも、「第三の心臓」以降に別の曲のMVをつくる過程で生まれていったキャラクターです。最後にパッケージとしてまとめる段階になって、細かいストーリーを詰めていきました。
──そういったつくり方は、前回の「ふたりの」シリーズ(※)と同様なんでしょうか?
はるまきごはん そうですね。最初の頃に細かく決めたとしても、その後曲やMVをつくりながらどんどん変わっていくんです。蛇行しながらつくっていって、最後の作品が出たときに全てが決まるような感じです。
今回はクライマックスで使いたいセリフのイメージがなんとなくあったので、それを一応のゴールにはしていました。ただそれを自分が思い描いたのも、アルバムの制作がはじまってからです。
※「ふたりの」シリーズ:2020年8月にリリースされたアルバム『ふたりの』に収録された、「再会」「約束」「秘密」といった楽曲群。
──制作過程で少しずつ変化していくところが、物語としての余白や、考察のポイントにつながっているのかもしれませんね。
複数媒体で展開された「幻影」シリーズの怒涛の日々
アルバム『幻影EP-Envy Phantom-』。漫画絵本「幻影」や設定資料、メイキングなどが収録されたブックレットが付属する。
はるまきごはん そのあたりは、2021年の秋ぐらいに大まかに決まりました。「第三の心臓」のMVを出した後、『キメラ』というボカロコンピレーションアルバムを主宰したんです。夏の間はそれにかかりっきりだったので、作業が落ち着いてから、次のMVをつくりつつシリーズをまとめていこうというタイミングが2021年の秋でした。
その時点ではまだ「第三の心臓」が出ただけだったので、次のMVの構想を考えながらアルバムのラフや『幻影AP』の企画書を書きはじめました。11月頃から『幻影AP』の制作メンバーが決まって動き出し、以降は「幻影」シリーズ第2弾となる楽曲「蛍はいなかった」のMV制作に追われていました。
はるまきごはん その後は、『幻影AP』における自分の担当作業を進めつつ、2022年1月に「蛍はいなかった」のMVを公開。2月から3月にかけては、『幻影EP』のアルバム情報解禁時に公開する「幻影」の楽曲とMVを制作しています。
空き時間で『幻影EP』のパッケージや特設サイト、あと諸々の施策──スープカレー店・マジックスパイスやタワーレコードとのコラボ、個展などの企画書を作成──を進めていきました。
5月は、一方で「幻影」シリーズ関連の制作を進めながら、もう一方では『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』用の楽曲「月光」(※作詞作曲はキタニタツヤさんと共同)のMVを制作・公開。6月頭から25日当日まではライブ『幻影LV』制作に集中していた、という流れです。
はるまきごはん クリエイティブ面だけじゃなくて、「どういう施策を、どういう形でやって、どう楽しんでもらうか?」みたいな部分も含めて、自分でつくるのが楽しいんですよね。そこを誰かに委ねたいとも思わなくて。
企画書を書きはじめたのは「ふたりの」シリーズぐらいからなんですが、特に『幻影AP』のように複数の人間が関わるものは、企画書がないと情報共有ができないので。あとは自分のためでもあるんです。絵コンテと同じで、自分がこの段階で何を考えていたのかを記しておくことで、それを軸に進めていけるんですよね。
──そうしたプロデューサーとクリエイターの両方を併せ持つような意識は、現在の活動をはじめられたときからあったんですか?
はるまきごはん もともと小さい頃から、CMの真似事のようなものをつくるのが好きだったんです。小学校の低学年ぐらいから、自分が描いた漫画のポスターをつくって家中に貼ったり、親のハンディカメラを使って、自分が持っているおもちゃのCMを撮ったりしていて。
作品をつくるなら、どう届けるかを考えるところまでがセットなんです。昔から、それが自分にとっての遊びだったんですよね。
プロモーションは大人に任せて、自分は制作だけに打ち込むタイプの人もいますし、それが合っている人はその方がいいと思います。ただ僕は「制作の半分を奪われる」ような感覚になるんです。
自分の場合、作品を好きになってもらえる人に届けるまでがものづくり、という意識なので、そのためにも自分で企画を立ち上げて、進行を管理して、人に届ける仕組みまでを考えたいんですよね。
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