屈折に屈折を重ねた逆張り野郎の漫画コンシェルジュの私、コバヤシが第1話を読んだ感想を、書いていく。
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『チェンソーマン』第2部2話レビュー 戦争の悪魔は惚れっぽいデンジの天敵?自意識と外連味あふれる「藤本タツキ」全開な1話
大前提として、『チェンソーマン』第2部の1話はめちゃくちゃに面白かった。人間とは異なる立場から、人間とともに存在するか弱き存在「コケピー」を飼育するクラスと、欺瞞あふれるそのノリにうすら寒さを感じながらも、どこかあこがれを持っている主人公(?)・三鷹アサ。 彼女はそのあこがれを自覚し、一歩踏み出そうとするも、とあるミスで全てをぶち壊してしまう。彼女はそれによって、自分が今まであこがれていた場所もまた「地獄」だったことを見せつけられる。
後悔の念で悶える三鷹アサと、その後に来る委員長の内心・委員長と先生の関係の吐露で貯めにためたフラストレーションを、「戦争の悪魔」の登場とハイテンポかつダイナミックなアクションで覆していく展開のカタルシスは、同時代においても並び立つ者がいないであろう、圧巻と言わざるを得ないクオリティだった。
そういった本筋に加え、同じく『ジャンプ+』に連載された『タコピーの原罪』をオマージュしたコケピー自体の存在や、「100日後に死ぬ」というバズワードをためらいなく使ういい意味での節操の無さや、「田中脊髄剣」「ハッピーエンド」といった外連味あふれる諸要素もニクい味付けになっていた。
「戦争の悪魔」が「正義の悪魔」をボコボコのずたずたにするなんて、まさに非倫理的でアイロニーの効いた藤本タツキイズムの真骨頂だろう。
エンタメに、倫理的・社会的な視点を持ち込むことへの葛藤
感想をつづってはみたものの、同時に、読む前も、読んだ後も、大きな不安をぬぐえないでいる。それは、『チェンソーマン』第1部の連載終了後、精力的に短編作品を世に送り出してきた藤本タツキさんが、直近の数作品で批評・考察といったものを、特に、社会的な視点をエンターテイメント作品に導入するべきだという圧力を強く拒否しているように思えるからだ。
私は、KAI-YOU.netにて行われた『タコピーの原罪』についての座談会でも「社会的な作品だと思って読んでいた」という立場をとっているように、倫理的な視座からエンタメを見てしまうことが多い。 正直、今の日本の政治や社会には多く不満もあるし、SNSにあふれる不満を訴える声を意識的・無意識的に吸収してしまい、その不満は年々強化されてしまっている。
逆に、自分の属性(“オタク”とか“男”とか、そういうことだ)が構造的な暴力に加担していると言われれば、非常に申し訳なく思うし、改善しなければと考えている。エンタメでも社会問題や辛さ、苦しさをテーマとして選択する作品は増えているように思う。
頁(ページ)を一つの「単位」としている漫画は、読み進める際に、どうしてもめくる瞬間の余白がある。それは普段は余韻として機能しているはずだが、私は最近その少しの時間に、作中で扱われている社会的なモチーフに関して「こういう議論があるよなぁ」ということが連想され、頭の片隅に引っかかったまま読み進めることが多くなっている。
その結果、本来は作中でそこまで気にしないでもいいであろう、描く際に社会問題の中からモチーフとして取捨選択された要素に対して「あれは捨象されたんだな」とどうしても思いやすくなってしまっている。
読むのに集中していればいるほどこの連想は起こりやすくなるし、いろいろな情報にアンテナを張るほど、そのリファレンス先は増えていってしまう。
このような漫画の読み方は世間的に見れば「逆張り」なのかもしれないが、私にとって倫理的な視点は、むしろ順張り、真剣に読めば読むほど出てきてしまうようになものだ。
だからどうしてくれということもないのだが、センセーショナルで露悪的なノリに年々乗れなくなっている自覚があり、そこに対して寂しさを感じることもある。
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連載
2019年1月より『週刊少年ジャンプ』で第1部が連載、2022年7月より『少年ジャンプ+』で第2部の連載がスタートした漫画『チェンソーマン』。 ダーティーかつスタイリッシュな描写とアクの強いキャラクターを武器に次々とヒット作を生み出していく、さんの代表作です。 2022年10月からはMAPPA制作のTVアニメが放送が決定。「藤本タツキ『チェンソーマン』超特集」では、『チェンソーマン』に魅せられたKAI-YOUの面々が、その魅力を紐解いていきます。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:5737)
倫理的?自分の価値観的の間違いだろ。
匿名ハッコウくん(ID:5736)
自分でも迷惑だってわかってんじゃん。なら何も考えずに楽しく読もうぜい。
少なくとも俺は、毎週の憂鬱な水曜日が楽しみになった。それだけでいいじゃないか。たかが娯楽に、意味や人生を見出して他人より自分が優れていると誤解する明治〜昭和の学生の様なメンタリティだからそんなことで一喜一憂してんだろ。
少なくともこのマンガについては、ただ感想をワイワイ言い合うくらいでいいんじゃないかな?