ポップにラップ、ロックンロール、ボサノヴァ、チルアウト……。
たった一言で表すことの出来る「音楽」という娯楽はその実、数え切れないほど様々なジャンルによって成り立つ無限の可能性を秘めた代物である。
特に最近では、音楽性のみならずVOCALOID、K-POP、ネット音楽など、ツールや発表される場所によってその分類は更に多様化を極めている状況にある。この記事を読んでくださっている読者の方々にとっても、「私は○○系の音楽が好き!」という大まかな感覚は存在することだろう。
そんな中、これまで明確なジャンル分けが成されて来なかった音楽もいくつかある。そのうちのひとつが今回タイトルにも記した「ボソボソしゃべる系」の音楽だ。
ちなみに「ボソボソしゃべる系」というのは筆者が勝手に呼んでいるだけなので、抽象的な表現となってしまい申し訳ないのだが、一般的にはスポークン・ワードと呼ばれるジャンルにあたる。
鼓膜の裏で囁くような歌声で注目を浴びたビリー・アイリッシュよりももっと淡々と語る音楽、と言えば伝わりやすいかもしれない。ただ、これらの音楽は明確な音楽ジャンルとして知られていないため、検索が難しく、もし好きだと感じても、調べることさえ苦労する……。
前置きが長くなってしまったが、今回はそうした形容し難い『ボソボソしゃべる系の音楽(スポークン・ワード)』にフォーカスを当て、特に20代前後の新進気鋭の洋楽アーティストに絞って紹介していく。
なお彼らはまだ日本では馴染みがなく(もちろん来日公演もない)、おそらく大多数の人々が初見であることと推察する。しかしながら海外では有名フェスにも名を連ねるアーティストばかりなので、その注目度は折り紙付き。
是非ともその素晴らしい音楽性にも耳を傾けつつ、未だ謎なジャンルの稀有なミュージックセンスに浸ってみてほしい。Wet Leg - Chaise Longue (Official Video)
デビュー前というタイミングにも関わらず大バズを巻き起こしたのが、女性二人組バンドのウェット・レッグ(Wet Leg)。
その楽曲というのが“Chaise Longue”なのだが、タイトルからして「長椅子」だし、歌声は言葉を選ばずに言えばヘタウマの感覚で、なおかつ音も軽い。そんな一見超インディー感さえ抱かせる現在地には思わず笑ってしまいそうになるが、彼女たちの凄いところはこれらを本能のままやってのけたことだ。
今の音楽は基本的に、サビが耳に残る、MVがキュートなど、その作品に触れたリスナーに何かしらが刺さるようにつくられることが多い。もちろん全部が全部そうとは言い切れないけれども、これらが意味するのはつまり、天然型の音楽が生まれづらくなっているということでもある。
ではウェット・レッグはどうか……と考えたときに面白いのが、彼女たちは田舎町でフラっとギターを構えて曲をつくった結果この音楽性に辿り着いていて、そこにほとんど音楽的背景がないことだ。
何となーくつくった曲が何故かバズってしまって、自分たちも驚いているけどまあ別にどうでも良いっちゃあ良いよねという、今の若者的思考も楽しい。
思いを力強く放つことなくまるで何かを諦めるが如くのマイペースを貫くウェット・レッグは、あのイギー・ポップからも太鼓判を押されながら現在音楽シーンを躍進中。
4月にリリースされた初アルバムが早くも爆発的な売上げを記録していることからも、きっと今後大きな何かが動き出すはずだ。Yard Act - Rich
続いてはイングランドからヤード・アクト(Yard Act)。
彼らについて語られる際は、その音楽性はもちろんのこと、しばしばその歌詞に注目が集まることも多い。というのも、彼らが歌うのは、ほとんどのアーティストが歌わないような、生活の端々に現れる貧富の差だからだ。
物々交換によって日銭を得る行為であったり(“The Trapper‘s Pelts”)、ポスターに記された半額の文字や住宅所有者や路上駐車(“Fixer Upper”)など、確かに存在するが、普通は歌詞に入れないようなことを歌うからこそ、稀有さが生まれ、現在、メキメキと頭角を現しつつある。
しかもその表現もかなりグレーゾーンというか、場合によっては表現規制をされる可能性もあるレベルの際どいものばかり。今を生きるヤード・アクトという若者たちは、世間を常に俯瞰して楽曲に落とし込もうとしているのだ。
加えて彼らのライブパフォーマンスもキワキワを攻めており、演奏が熱を帯びるにつれてどんどん歌唱が肉体的になっていくジェームス・スミス(Vo)の姿も注目ポイント。
彼らは現在、各地でハードなスケジュールでのライブの武者修行を行っている。来日公演も、近いうちに実現するかもしれない……。Dry Cleaning - Scratchcard Lanyard (Official Video)
「ドライ・クリーニング(Dry cleaning)」とのバンド名を付けたとき、彼ら自身ここまで注目される存在になるとは、流石に思っていなかったに違いない。
まだまだ若手ながら、早い段階でイギー・ポップから推され、大型フェスへのブッキングが決まったりしているのは、彼らに底知れぬ魅力がある証左だろう。そんな彼らの気になるサウンド面は、アート・パンクの異端児とも呼べる代物で、基本的には少ない音数でフローレンス・ショウ(Vo)がしゃべる挑戦的なスタンス。
それもそのはず、フローレンスはバンドを組んだ経験がないほぼ初心者であり、彼女をサポートする役割をバンド全体が担っているからだ。
どこか一箇所でも抜ければ破綻するだろうレベルのキワキワ感はリード曲“Scratchcard Lanyard”に顕著だけれど、逆にこのミニマルさが無骨な雰囲気を醸し出していて最高だ。
その他、音楽的広がりにも若干の懸念点はあれど、結成したてとしてはかなりの注目度を得ているので、これからの飛躍に期待が高まるバンドだ。……先日リリースされた新曲“Tony speaks!”も想像を遥かに上回る脱力ぶりなので、この機会に是非一聴を。Billy Nomates - No
次世代アーティストの稀有な雰囲気がじわじわと注目を集めている今、取り分けどこにも染まらないオリジナリティーを醸し出す人物がいる。
名前をビリー・ノーメイツと言い、緑広がるイギリス・レスターシャー州の田舎で育ったポストパンクアーティストだ。
彼女が鳴らす楽曲はとにかくミニマルで、具体的には必要最小限のベースとドラムがぐるぐる回る中、マイペースに言葉を紡いでいくという独特のスタイル。そんな彼女は名前と雰囲気の類似からビリー・アイリッシュと比較されたりもするけれど、ビリー・ノーメイツの本質は決してそこじゃない。
彼女はとにかく、伝える内容が等身大だ。彼女の楽曲は例えるとすれば日記の朗読で、理路整然と話すのではなく箇条書きにした言葉を読み上げる感覚に近い。
故に我々的にはどこか青年の主張を聴いているようで新鮮味もある訳だが、イコールそれが彼女の魅力として確立しているのも面白い。
ちなみにライブではバックバンドを一切入れずたったひとりでステージに立つ(!)超ストロングスタイルで、よりシンプルに曲に没入出来るつくりになっているのも特徴的だ。
まだ日本での知名度は低いし、CDも輸入盤を取り寄せるしかない現状ではあるが、それでも、一聴した瞬間「この才能が埋もれることは避けなければならない」とする直感が働く稀有なアーティストだ。black midi - John L - Live at Coachella 2022
弱冠20歳、ロンドンの若きロックバンド、ブラック・ミディ。
彼らが今回取り上げた他アーティストと大きく異なるのは、楽曲をどこか自己探求の一環として捉えている点だ。
そのためサウンドも歌詞も良い意味で一貫性がなく、中には“John L”のように弦楽器や不協和音、更には変拍子要素も盛り込んだカオスな曲も多数存在する。
ライブパフォーマンスも先日の『コーチェラ・フェスティバル 2022』ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズの“Can't Stop”を独自のアレンジで展開したりと自由奔放。
彼らの音楽はまさしくそんなルール無用の探求を体現したものとなっており、先日リリースされたアルバム『Cavalcade』では、CDショップ展開の際に「無尽蔵の音楽隊列が戦慄の速度で駆け抜ける!」との印象深いキャッチコピーが記されたことは記憶に新しい。
なお、彼らのバンド名に冠されている「ブラック・ミディ」はMIDI……つまりは異様な音数でサウンドを支配する音楽ジャンルを元にしたもので、彼らが結成当初からこうしたサウンドを軸にしようと計画していたことが伺える。
事実上SquidやBlack Country, New Roadら若手スポークン・ワード系バンドが台頭している海外バンドシーンのブレイクの火付け役となったのは最も若い彼らである、ということも一緒に覚えつつ、カオティックなサウンドの沼に一度ハマってみてほしい。
これはとても素晴らしいことだと心底思う中で、やはり「聴いたことのない新しい系統の曲が聴きたい」と罪な感情に捕らわれてしまうこともままある。
今回のスポークン・ワードのジャンルはまだまだメジャーには程遠いけれど、数あるアーティストへの発見の意味も込めて、今後とも布教して行きたいと思っている。……実際、今回取り上げた中では取り分けウェット・レッグやブラック・ミディらは音楽評論家からも高い評価を受けていたりもして、あながち海外では未開拓・インディーという訳でもなかったりする。
総じて今回の記事が未知のサウンドに出会うきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。
たった一言で表すことの出来る「音楽」という娯楽はその実、数え切れないほど様々なジャンルによって成り立つ無限の可能性を秘めた代物である。
特に最近では、音楽性のみならずVOCALOID、K-POP、ネット音楽など、ツールや発表される場所によってその分類は更に多様化を極めている状況にある。この記事を読んでくださっている読者の方々にとっても、「私は○○系の音楽が好き!」という大まかな感覚は存在することだろう。
そんな中、これまで明確なジャンル分けが成されて来なかった音楽もいくつかある。そのうちのひとつが今回タイトルにも記した「ボソボソしゃべる系」の音楽だ。
ちなみに「ボソボソしゃべる系」というのは筆者が勝手に呼んでいるだけなので、抽象的な表現となってしまい申し訳ないのだが、一般的にはスポークン・ワードと呼ばれるジャンルにあたる。
鼓膜の裏で囁くような歌声で注目を浴びたビリー・アイリッシュよりももっと淡々と語る音楽、と言えば伝わりやすいかもしれない。ただ、これらの音楽は明確な音楽ジャンルとして知られていないため、検索が難しく、もし好きだと感じても、調べることさえ苦労する……。
前置きが長くなってしまったが、今回はそうした形容し難い『ボソボソしゃべる系の音楽(スポークン・ワード)』にフォーカスを当て、特に20代前後の新進気鋭の洋楽アーティストに絞って紹介していく。
なお彼らはまだ日本では馴染みがなく(もちろん来日公演もない)、おそらく大多数の人々が初見であることと推察する。しかしながら海外では有名フェスにも名を連ねるアーティストばかりなので、その注目度は折り紙付き。
是非ともその素晴らしい音楽性にも耳を傾けつつ、未だ謎なジャンルの稀有なミュージックセンスに浸ってみてほしい。
マイペースを貫き躍進するウェット・レッグ
その楽曲というのが“Chaise Longue”なのだが、タイトルからして「長椅子」だし、歌声は言葉を選ばずに言えばヘタウマの感覚で、なおかつ音も軽い。そんな一見超インディー感さえ抱かせる現在地には思わず笑ってしまいそうになるが、彼女たちの凄いところはこれらを本能のままやってのけたことだ。
今の音楽は基本的に、サビが耳に残る、MVがキュートなど、その作品に触れたリスナーに何かしらが刺さるようにつくられることが多い。もちろん全部が全部そうとは言い切れないけれども、これらが意味するのはつまり、天然型の音楽が生まれづらくなっているということでもある。
ではウェット・レッグはどうか……と考えたときに面白いのが、彼女たちは田舎町でフラっとギターを構えて曲をつくった結果この音楽性に辿り着いていて、そこにほとんど音楽的背景がないことだ。
何となーくつくった曲が何故かバズってしまって、自分たちも驚いているけどまあ別にどうでも良いっちゃあ良いよねという、今の若者的思考も楽しい。
思いを力強く放つことなくまるで何かを諦めるが如くのマイペースを貫くウェット・レッグは、あのイギー・ポップからも太鼓判を押されながら現在音楽シーンを躍進中。
4月にリリースされた初アルバムが早くも爆発的な売上げを記録していることからも、きっと今後大きな何かが動き出すはずだ。
生活の中に見える貧富の差を歌うヤード・アクト
彼らについて語られる際は、その音楽性はもちろんのこと、しばしばその歌詞に注目が集まることも多い。というのも、彼らが歌うのは、ほとんどのアーティストが歌わないような、生活の端々に現れる貧富の差だからだ。
物々交換によって日銭を得る行為であったり(“The Trapper‘s Pelts”)、ポスターに記された半額の文字や住宅所有者や路上駐車(“Fixer Upper”)など、確かに存在するが、普通は歌詞に入れないようなことを歌うからこそ、稀有さが生まれ、現在、メキメキと頭角を現しつつある。
しかもその表現もかなりグレーゾーンというか、場合によっては表現規制をされる可能性もあるレベルの際どいものばかり。今を生きるヤード・アクトという若者たちは、世間を常に俯瞰して楽曲に落とし込もうとしているのだ。
加えて彼らのライブパフォーマンスもキワキワを攻めており、演奏が熱を帯びるにつれてどんどん歌唱が肉体的になっていくジェームス・スミス(Vo)の姿も注目ポイント。
彼らは現在、各地でハードなスケジュールでのライブの武者修行を行っている。来日公演も、近いうちに実現するかもしれない……。
想像を遥かに上回る脱力系バンド、ドライ・クリーニング
まだまだ若手ながら、早い段階でイギー・ポップから推され、大型フェスへのブッキングが決まったりしているのは、彼らに底知れぬ魅力がある証左だろう。そんな彼らの気になるサウンド面は、アート・パンクの異端児とも呼べる代物で、基本的には少ない音数でフローレンス・ショウ(Vo)がしゃべる挑戦的なスタンス。
それもそのはず、フローレンスはバンドを組んだ経験がないほぼ初心者であり、彼女をサポートする役割をバンド全体が担っているからだ。
どこか一箇所でも抜ければ破綻するだろうレベルのキワキワ感はリード曲“Scratchcard Lanyard”に顕著だけれど、逆にこのミニマルさが無骨な雰囲気を醸し出していて最高だ。
その他、音楽的広がりにも若干の懸念点はあれど、結成したてとしてはかなりの注目度を得ているので、これからの飛躍に期待が高まるバンドだ。……先日リリースされた新曲“Tony speaks!”も想像を遥かに上回る脱力ぶりなので、この機会に是非一聴を。
淡々と言葉を読み上げるビリー・ノーメイツ
名前をビリー・ノーメイツと言い、緑広がるイギリス・レスターシャー州の田舎で育ったポストパンクアーティストだ。
彼女が鳴らす楽曲はとにかくミニマルで、具体的には必要最小限のベースとドラムがぐるぐる回る中、マイペースに言葉を紡いでいくという独特のスタイル。そんな彼女は名前と雰囲気の類似からビリー・アイリッシュと比較されたりもするけれど、ビリー・ノーメイツの本質は決してそこじゃない。
彼女はとにかく、伝える内容が等身大だ。彼女の楽曲は例えるとすれば日記の朗読で、理路整然と話すのではなく箇条書きにした言葉を読み上げる感覚に近い。
故に我々的にはどこか青年の主張を聴いているようで新鮮味もある訳だが、イコールそれが彼女の魅力として確立しているのも面白い。
ちなみにライブではバックバンドを一切入れずたったひとりでステージに立つ(!)超ストロングスタイルで、よりシンプルに曲に没入出来るつくりになっているのも特徴的だ。
まだ日本での知名度は低いし、CDも輸入盤を取り寄せるしかない現状ではあるが、それでも、一聴した瞬間「この才能が埋もれることは避けなければならない」とする直感が働く稀有なアーティストだ。
一貫性のないカオスさが魅力、ブラック・ミディ
彼らが今回取り上げた他アーティストと大きく異なるのは、楽曲をどこか自己探求の一環として捉えている点だ。
そのためサウンドも歌詞も良い意味で一貫性がなく、中には“John L”のように弦楽器や不協和音、更には変拍子要素も盛り込んだカオスな曲も多数存在する。
ライブパフォーマンスも先日の『コーチェラ・フェスティバル 2022』ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズの“Can't Stop”を独自のアレンジで展開したりと自由奔放。
彼らの音楽はまさしくそんなルール無用の探求を体現したものとなっており、先日リリースされたアルバム『Cavalcade』では、CDショップ展開の際に「無尽蔵の音楽隊列が戦慄の速度で駆け抜ける!」との印象深いキャッチコピーが記されたことは記憶に新しい。
なお、彼らのバンド名に冠されている「ブラック・ミディ」はMIDI……つまりは異様な音数でサウンドを支配する音楽ジャンルを元にしたもので、彼らが結成当初からこうしたサウンドを軸にしようと計画していたことが伺える。
事実上SquidやBlack Country, New Roadら若手スポークン・ワード系バンドが台頭している海外バンドシーンのブレイクの火付け役となったのは最も若い彼らである、ということも一緒に覚えつつ、カオティックなサウンドの沼に一度ハマってみてほしい。
聴いたことがないものが聴きたい、音楽の無限の可能性
音楽の可能性は無限大……という言葉を発したのは誰だったか、今や本当に多種多様な音楽が日々生まれ、消費されている。これはとても素晴らしいことだと心底思う中で、やはり「聴いたことのない新しい系統の曲が聴きたい」と罪な感情に捕らわれてしまうこともままある。
今回のスポークン・ワードのジャンルはまだまだメジャーには程遠いけれど、数あるアーティストへの発見の意味も込めて、今後とも布教して行きたいと思っている。……実際、今回取り上げた中では取り分けウェット・レッグやブラック・ミディらは音楽評論家からも高い評価を受けていたりもして、あながち海外では未開拓・インディーという訳でもなかったりする。
総じて今回の記事が未知のサウンドに出会うきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。
様々なジャンルで台頭する才能
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キタガワ
島根県在住音楽ライター。酒好きの夜行性。rockin‘on外部ライター他諸々。
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