『るろうに剣心』と重なる戦後日本に生じた“ねじれ”
『るろうに剣心』の連載がスタートした半年後の1994年10月、批評家の加藤典洋は『東京新聞』に「敗戦論覚え書」という小論を何回かにわたって掲載している。これは同年末に『群像』に発表される加藤の代表作「敗戦後論」のベースになったものだ。
「敗戦後論」のなかで加藤は、湾岸戦争に反対する文学者の声明などを批判的に取り上げながら、戦後日本の原点に“ねじれ”があることを指摘している(※2)。
一切の武力の放棄を掲げた日本国憲法そのものが、原爆の威力を背景にアメリカから「押しつけられた」ものであり、しかもこの矛盾をもはや矛盾と感じないほどに、わたしたちは戦後民主主義を内面化してしまった。
加藤典洋『敗戦後論』/画像はAmazonより
その結果、アジア太平洋諸国の2,000万人の犠牲者に対する謝罪と追悼が行われる一方、国家のために戦い散っていった旧日本軍の兵士ら300万人の死者たちは「悪辣な侵略者」とされ、いわば見殺しにされている(それゆえに侵略そのものを否認する反対勢力も生まれてくる)。
このねじれを直視し、まずは自国の“汚れた”死者たちをそのままに深く哀悼しなければならず、そこからようやくアジア太平洋の死者たちへの謝罪の道もひらかれてくる──というのが加藤の主張である。
発表当時、加藤の論考は左右両方から激しい批判を浴びたが、同様の問題意識はその後の著作にも引き継がれていく。たとえば「敗戦後論」の15年後に書かれた「さようなら、『ゴジラ』たち」では、初代ゴジラが原水爆や東京大空襲はもちろん、旧日本軍の兵士たちを体現する存在としても位置づけられている(※3)。
加藤の考えでは、この怪物は戦後一転して「侵略戦争の尖兵」とみなされ、行き場を失った大戦中の死者たちが「亡霊」となって回帰してきた姿なのだという。
※2:加藤典洋『敗戦後論』(ちくま学芸文庫/2015年)。
※3:加藤典洋『さようなら、ゴジラたち──戦後から遠く離れて』(岩波書店/2010年)。ただし、初代ゴジラを旧日本軍の兵士として解釈するのは必ずしも加藤のオリジナルではなく、川本三郎や赤坂憲雄などの先行例がある。これについては、大塚英志『二層文学論 古層の実装』(大塚八坂堂/2024年)を参照。
志々雄は、旧日本軍の死者たちの無念を背負っている?
2019年に亡くなった加藤が、生前『るろうに剣心』を読んでいたかどうかはわからない。それでも『ジャンプ』での連載開始とちょうど同じ年に発表された「敗戦後論」は、剣心の宿敵について考えるうえでも重要なヒントを与えてくれるように思う。
京都編のラスボスにあたる志々雄真実もまた、幕末に剣心の後任として汚れ仕事を請け負い、のちの明治政府のために数多くの幕府要人を始末してきた。
ところが、彼を危険視する維新志士たちの裏切りに遭い、味方に襲撃されて全身に火をつけられる。大火傷を負いながらもかろうじて生き延びると、やがて裏社会で一大勢力を築き上げ、武力による明治政府の転覆をもくろんで剣心たちと激突する。
志々雄の壮絶な前半生は、加藤が「敗戦後論」で取り上げた旧日本軍の死者たちの境遇とよく似てはいないだろうか。どちらも国家のために命を賭して戦いながら、維新後/戦後は不都合な存在として打ち捨てられ、まともに哀悼すらされない汚れた兵士たち……。
焦熱地獄の底から亡霊のようによみがえり、弱肉強食を掲げて「国盗り」に挑む悪のカリスマは、そんな300万の死者たちの無念を一身に背負っているようにも見える。戦災から復興した東京を再び蹂躙し、放射熱線で破壊し尽くすあのゴジラのように。
もちろん、だからといって志々雄のテロリズムが正当化されるわけではない。剣心の言う通り、大きな犠牲を払って手に入れた維新後/戦後の平和な暮らしを、理不尽に破壊することは許されない。けれど『るろうに剣心』連載開始前後から本格化する「失われた30年」は、戦後民主主義のよって立つ社会経済的基盤を確実に掘り崩していった。
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