アニメーション監督 山田尚子は悩み続ける
──劇中では「ニーバーの祈り」(※)が重要なフレーズとして登場しますが、これはミッションスクールが舞台となると決まった後から出てきたアイデアだったのでしょうか?
山田尚子 ミッションスクールを舞台にすることが先に決まって、「ニーバーの祈り」は吉田玲子さんにシナリオを書いてもらった時に初めて出てきました。
吉田さんがこれを支柱にして脚本を書いたのなら、「これに対して山田尚子はどう考えるのか?」みたいなでっかい宿題をもらったような感覚でしたね。
※ニーバーの祈り:アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者とされる祈りの言葉の通称。劇中では「変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与えください」の一節が繰り返し登場する。
──劇中に登場した最初の文章は広く知られていますが、「ニーバーの祈り」にはもっと続きもあります。特に、その後に続く「この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」という言葉については、監督は何か意識されていましたか?
山田尚子 もちろん作品づくりの中で意識していたんですが、どちらかというと「トツ子がどう考えているのか」とか、それが「日吉子にどう返ってきているのか」みたいに、劇中のキャラクターたちの気持ちに夢中になっていたんです。
なので作品づくりが終わって、一息ついた今のタイミングで、ようやく「自分はこの言葉をどう受け入れるのか?」と考えられるようになってきました。
劇中では登場人物たちの中で決着させられたような気がするけど、自分の中ではまだまだ決着せずにずっと考えることになってしまったので、本当に恐ろしい言葉です(笑)。
でもきっと答えは出ないと思いますし、出たら作品づくりができなくなっちゃうかもしれない。そう考えると、ずっと悩んだままでいたいとも思います。
──劇中ではルイがスマートフォンではなく昔の携帯電話を使っていることが印象的に描かれているものの、直接的な言及がなかったと思います。そうしたそれぞれの人物のディテールをどこまで描くかのバランスについて、監督はどう考えられていたのでしょう?
山田尚子 あの携帯は一応まだ中古屋さんとかで買えて、LINEも使えるらしいということはちゃんと調べました(笑)。
ルイ君がガジェットマニアだから古い携帯をつかっているということなんですが、そうしたディテールやそれぞれの悩みなどをどこまで描くかというのは、3人のバランスを見ながら考えていったところがあります。
トツ子が知りうるものと見ている人が知るものを、なるべく同じにしたかったという考えもあったんですが、そもそも3人とも互いに踏み込み過ぎないようにしている子たちなので、そのラインはあまり壊さないようにしたいと思いました。
──例えば『きみの色』の小説と漫画では、映画にはなかった描写が多々あり、小説ではルイの兄やエンドロール後のエピローグも描かれました。漫画ではバンド結成の場面で、きみが兄の言葉に後押しされていた描写など、媒体ごとの描き方も印象的です。
山田尚子 映画という時間が存在する媒体の場合は今回のようになりましたが、コミカライズやノベライズではそれぞれのメディアの特性を生かした描き方がされています。
そこはそれぞれの作者の方にお任せしながらできたので、もしもっと3人や作品について知りたいと思っていただけたら、ぜひコミカライズとノベライズも読んでいただきたいです。
山田尚子を唸らせた吉田玲子の一文字
──『きみの色』を含めて、これまで手がけてこられたオリジナル作品では、クライマックスで必ず登場人物が離れ離れになる、あるいは別れを想起させる場面が出てきます。今回もルイが島から出るという、別れのシーンが描かれましたが、監督の中で“別れ”は重要なテーマとして捉えているのでしょうか?
山田尚子 今回モデルとなった長崎でロケハンをしたんですが、私たちが船に乗った時が偶然島から出る人たちのお見送りのタイミングだったんです。
その光景を見てしまったからには、しっかりと描かないと、島で生活している子たちの旅立ちに嘘をついてしまうことになると思って、吉田さんに相談して書き足していただいたのが最後のシーンでした。彼らが抱えている悩みや秘密への手の離し方が形を変えた感じです。
山田尚子 吉田さんから上がってきたラストシーンの脚本を見たら、旅立つルイ君に向かってきみちゃんが叫ぶシーンが書かれていたんです。その叫びが映画を見ていただくと分かる通り、「頑張れ」「頑張れ」「頑張って」なんですよ。三回目だけを「頑張って」にする、これがもうたまりませんでした。
たった一文字だけで、こんなにもキャラクターの人となりやバックグラウンドが匂ってくるなんて……! これが吉田玲子! と思っていたく感動しました(笑)。
──作中でも唯一の大きな声を出すシーンでとても印象的でしたが、監督にとっても思い入れのあるシーンだったんですね。
山田尚子 きっときみちゃんは人生で初めてあんな大声を出したんだと思うんですよ。そしたら最後が「頑張って」になるって、本当にもう玲子……!って感じで。吉田さんとのお仕事では、毎回こういうことがあって、その度に頭を抱えてしまいます。たった一つの文字で見える世界をガラリと変えてしまう。いつか“吉田玲子オフ会”をして、匿名で参加したいです(笑)。
──とても楽しい会になりそうです。最後に『きみの色』の公式サイトなどでは「集大成」という言葉が使われていますが、映像表現なども含めむしろ監督の新たなスタートを感じさせる作品でした。監督にとってはキャリアの中でどのような位置づけの作品になったのでしょう?
山田尚子 そのように言われることがあるので思わず「集大成」という言葉の意味を調べたのですが、今までやってきたことを集めたものという意味では、確かにこれまでの4本があっての今回の『きみの色』なので、そういった意味では集大成と言えるのかな、とは思います。
ただ今回の作品にだけ特別に思い入れがあるということではなく、どの作品も初めましてのところからつくり上げていったので、同じようにまっすぐ作品に向き合っているという感覚です。
集大成というとどうしてもラストっぽい印象がありますが、私としてはまだ道の途中の感覚ですし、これからもまだまだつくることをしていきたいです。
©2024「きみの色」製作委員会
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作品情報
きみの色
- 監督
- 山田尚子「映画 聲の形」「リズと青い鳥」「けいおん!」「平家物語」
- 声の出演
- 鈴川紗由 髙石あかり 木戸大聖 / やす子 悠木碧 寿美菜子 / 戸田恵子 / 新垣結衣
- 脚本
- 吉田玲子「猫の恩返し」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「若おかみは小学生!」
- 音楽・音楽監督
- 牛尾憲輔「映画 聲の形」「チェンソーマン」
- 主題歌
- Mr.Children「in the pocket」(TOY'S FACTORY)
- キャラクターデザイン・作画監督
- 小島崇史
- キャラクターデザイン原案
- ダイスケリチャード
- 製作
- 「きみの色」製作委員会
- 企画・プロデュース
- STORY inc.「君の名は。」「天気の子」「すずめの戸締まり」
- 制作・プロデュース
- サイエンス SARU「夜は短し歩けよ乙女」「映像研には手を出すな!」「平家物語」
- 配給
- 東宝
- 公開日
- 2024年8月30日(金)全国東宝系公開
関連リンク
山田尚子
アニメーション監督
2009年テレビアニメ「けいおん!」で監督デビュー。数々の社会現象を巻き起こす大ヒットを記録し、2011 年『映画けいおん!』にて長編映画初監督を務める。「たまこまーけっと」『映画 聲の形』などの話題作で躍進を続け、2022年TVシリーズ『平家物語』、現在配信中のショートフィルム「Garden of Remembrance」を監督。完全オリジナル劇場長篇最新作『きみの色』では、第26回上海国際映画祭金爵賞アニメーション最優秀作品賞を受賞。何気ない日常描写を瑞々しく描く映像センスと、繊細な映像演出で、現在のアニメーション界において日本のみならず世界で最も高く評価されている監督のひとり。
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