ロスジェネ世代に向けられた物語でもある『VRおじさんの初恋』
ここからは主人公・ナオキ(直樹)の人物造形について考えていきたいと思います。便宜上、VR世界での少女の姿をナオキ、現実での姿を直樹とします。単行本のあとがきにこうあります。
あとがきにあるように、直樹はロスジェネ世代と呼ばれてきた人間です。ロスジェネ世代は一般的に1970年前半~1980年前半に生まれ、バブル崩壊後に到来した就職氷河期のあおりをもろに受けた人々を指しています。『VRおじさんの初恋』は、ナオキというロスジェネ中年を傍観するだけの作品です。
奇跡が何も起こらない。
「自己責任」「努力不足」という言葉で自分を追い詰め、社会の隅っこに移動するナオキ。
異性にもただ憧れることしかできない彼のような人を、そのままの大きさで描くことでしか表現できないものがあると信じて制作した漫画でした。『VRおじさんの初恋』あとがきより抜粋
直樹は、不景気の真っ只中を上手く乗り越えられなかった人間であることが示唆されています。自己責任論が身に染み付いており、作中では時おり自虐の言葉を口にします。「『より良く生きる現実の人生』とかどうでもいい」と思っている。
だから現実に背を向けVR世界へ逃避しているのですが、もう彼にとってはVR世界の方がリアルなのかもしれません。ホナミがナオキを初めて見た時に「現実の人間と変わらない存在感」があったと話すシーンは、彼がVR世界にどれだけ心の比重を置いているのかを端的に示しています。
現実を生きる“直樹”はほとんと言葉を発しないのに、VR世界を生きる“ナオキ”は饒舌なのも対照的です。
また、ホナミはナオキを「いつでも夕暮れのような雰囲気をまとう人」と表しています。これってどういう意味なのか?
夕暮れは作中で繰り返し描写される重要なファクターでもあります。本作における夕暮れにはどんな意味合いがあるのでしょうか。
変わらない夕日と変わることのない現状
朝でも夜でもない、半端な時間である夕暮れ時。これはそのままナオキの現状を表しているのではないかと思います。社会人として現実を生きはじめる朝。VR世界の住人として生きはじめる夜。そのどちらにも寄らず、谷あいの夕暮れ時に佇み続けている直樹≒ナオキの今を表しているのではないか。毎日変わらない夕日に、自分の変わることのない現状を重ねているのではないか──。
そうして現実を諦め逃げているナオキは、ホナミと出会うことでどう変わっていくのか。ぜひその目で見届けて下さい。
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連載
テーマは「漫画を通して社会を知る」。 国内外の情勢、突発的なバズ、アニメ化・ドラマ化、周年記念……。 年間で数百タイトルの漫画を読む筆者が、時事とリンクする作品を新作・旧作問わず取り上げ、"いま読むべき漫画"や"いま改めて読むと面白い漫画"を紹介します。
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