R&Bシンガーソングライター・藤井風さんのシングル「花」が人気を博する中、リリースから1ヶ月過ぎの11月24日にそのミュージックビデオが公開された。
MV監督のMESSさんは「まつり」(2022)、「Workin' Hard」(2023)以降、3度目の藤井風作品の仕事となる。
「花」のMVでは、荒涼な砂漠を背景に、鮮やかな色彩が広がる姿がカメラに美しく撮られている。
デビュー作『HELP EVER HURT NEVER』(2020)で多くの楽曲が見せた、プレーンな編成によって中音域で喋るように絡むメロディーで勝負する手法の延長にある。
「Workin’ Hard」のプロデューサー・Dahiさんに続いて、「花」でも海外勢のA. G. Cookさんがトラック制作を手掛けているのも特徴的だ。
A. G. Cookさんが代表にいたレーベル「PC Music」特有のアグレッシブなエレクトロポップの傾向から考えると意外な曲だが、宇多田ヒカルさんの「One Last Kiss」(2021)を含め、アルバム『BADモード』(2022)の曲多数に参加した前例が思い出される。宇多田ヒカル『One Last Kiss』
黒いスーツを着た藤井風さんが砂漠の真ん中で棺を運ぶ。「枯れて行く」と歌い出すのは、花で埋め尽くされた棺に眠る、もう一人の藤井風さん。 1節の最後「みんな儚い みんな尊い」と歌うリズムに合わせて葬儀車に乗って走るシーケンスは、静から動に切り替わるエネルギーが歌詞の含むインパクトと交わった見どころだ。 2節に移る直前、サイケデリックな間奏の間に映る遺影には、棺を運んでいたスーツの人物が飾られる。この生死の逆転が面白い。
「咲かせに行くよ 内なる花を」といったサビのフレーズをもとに考えてみよう。
棺の中は実際に花で飾られて、その人物も鮮やかな色の衣装を着ている。花を咲かせるには養分が必要で、それは生物の死から成り立つのが生態の循環だ。 つまり死を経てこそ生の輝きを獲得するという一連の真義が描かれる。
「誰もが一人 全ては一つ」と歌ってすぐ、葬儀がはじまり、線香を持って踊りながら煙を撒き散らす姿も、死の弔いを背景に動的なダンスが行われるという矛盾も印象的だった。
ブリッジ以降、より宗教性を帯びた夜の宴のシーケンスへと突入する。
Spotifyでは、藤井風さんの「死ぬのがいいわ」(2020)は海外で最も多く聴かれた日本の楽曲としてここ2年連続ランクしている(外部リンク)。
そして彼はYouTubeで関心を引く方法をよく知っている様子だ。竹内まりやさんの「Plastic Love」(1985)がYouTubeで人気を得る際、そのカバー動画にネットミームを狙ったようなサムネイルをつけたり、自分の楽曲を通してわざとアマチュア的なダンスチャレンジ(踊ってみた)を仕掛けたり。
つまり、彼はいわゆる「現代的な」需要を正しく理解し、そして成功したJ-POPアーティストとして捉えられる。Plastic Love - Mariya Takeuchi 竹内まりや cover
Me trying to dance 'Kirari' by Fujii Kaze☹️ (cringe)
その一方で、今年の1月に『週刊文春』は「紅白歌手・藤井風(25)が“伝道”するサイババの教え」という記事を掲載(外部リンク)。
藤井風さんがカルト宗教を楽曲を通し、ステルスに布教している疑惑があると報道した。
大のヒット作『HELP EVER HURT NEVER』(2020)などのタイトルすら宗教の教義から出てきたことなどが公に知らされることで、「“藤井風の言葉”を信じていたファンを失望させた(外部リンク)」と論じられるように、アーティストやファンダムにとって打撃のある騒ぎとなった。
本稿では、この問題についての倫理的判断は保留する。重要なのは、本作「花」を通して彼が宗教観をより露骨に貫いた事実だ。 MVの話に戻ろう。夜の宴は、遺影と棺と焚き火を幾何学的に配置してその周囲を回りながら踊る様子が映る。
それはエキゾチックでありつつ、ダンスチャレンジを意識したような群舞はいかにも情報社会時代のMVの一形態だ。
ある種の宗教的な悟りで満ちた歌は、それが起源する宗教の象徴を隠さぬことで報道による批判に真っ向からぶつかりつつも、甘く洗練された工程を経て、より多くの大衆にわかりやすく伝える、恐ろしいほど挑発的で巧妙な「ポップ」を感じさせる。
MV監督のMESSさんは「まつり」(2022)、「Workin' Hard」(2023)以降、3度目の藤井風作品の仕事となる。
「花」のMVでは、荒涼な砂漠を背景に、鮮やかな色彩が広がる姿がカメラに美しく撮られている。
楽曲について──広まっていくJ-POPの海外コラボ
まずは楽曲について。「花」はミディアムテンポで弾むピアノを引っ掛けて、シンプルなバンド編成で演奏するコンテンポラリー(同時代的)なR&B曲だ。デビュー作『HELP EVER HURT NEVER』(2020)で多くの楽曲が見せた、プレーンな編成によって中音域で喋るように絡むメロディーで勝負する手法の延長にある。
「Workin’ Hard」のプロデューサー・Dahiさんに続いて、「花」でも海外勢のA. G. Cookさんがトラック制作を手掛けているのも特徴的だ。
A. G. Cookさんが代表にいたレーベル「PC Music」特有のアグレッシブなエレクトロポップの傾向から考えると意外な曲だが、宇多田ヒカルさんの「One Last Kiss」(2021)を含め、アルバム『BADモード』(2022)の曲多数に参加した前例が思い出される。
魂の真価を咲かせるセレモニー
さて、MVの話に戻ろう。黒いスーツを着た藤井風さんが砂漠の真ん中で棺を運ぶ。「枯れて行く」と歌い出すのは、花で埋め尽くされた棺に眠る、もう一人の藤井風さん。 1節の最後「みんな儚い みんな尊い」と歌うリズムに合わせて葬儀車に乗って走るシーケンスは、静から動に切り替わるエネルギーが歌詞の含むインパクトと交わった見どころだ。 2節に移る直前、サイケデリックな間奏の間に映る遺影には、棺を運んでいたスーツの人物が飾られる。この生死の逆転が面白い。
「咲かせに行くよ 内なる花を」といったサビのフレーズをもとに考えてみよう。
棺の中は実際に花で飾られて、その人物も鮮やかな色の衣装を着ている。花を咲かせるには養分が必要で、それは生物の死から成り立つのが生態の循環だ。 つまり死を経てこそ生の輝きを獲得するという一連の真義が描かれる。
「誰もが一人 全ては一つ」と歌ってすぐ、葬儀がはじまり、線香を持って踊りながら煙を撒き散らす姿も、死の弔いを背景に動的なダンスが行われるという矛盾も印象的だった。
ブリッジ以降、より宗教性を帯びた夜の宴のシーケンスへと突入する。
宗教性への批判を挑発するような、濃厚なエキゾチズム
話が変わるが、藤井風さんはYouTubeやTiktok、Spotifyのおすすめアルゴリズムを通して世界的に広まったアーティストであることを前提に置く。Spotifyでは、藤井風さんの「死ぬのがいいわ」(2020)は海外で最も多く聴かれた日本の楽曲としてここ2年連続ランクしている(外部リンク)。
そして彼はYouTubeで関心を引く方法をよく知っている様子だ。竹内まりやさんの「Plastic Love」(1985)がYouTubeで人気を得る際、そのカバー動画にネットミームを狙ったようなサムネイルをつけたり、自分の楽曲を通してわざとアマチュア的なダンスチャレンジ(踊ってみた)を仕掛けたり。
つまり、彼はいわゆる「現代的な」需要を正しく理解し、そして成功したJ-POPアーティストとして捉えられる。
藤井風さんがカルト宗教を楽曲を通し、ステルスに布教している疑惑があると報道した。
大のヒット作『HELP EVER HURT NEVER』(2020)などのタイトルすら宗教の教義から出てきたことなどが公に知らされることで、「“藤井風の言葉”を信じていたファンを失望させた(外部リンク)」と論じられるように、アーティストやファンダムにとって打撃のある騒ぎとなった。
本稿では、この問題についての倫理的判断は保留する。重要なのは、本作「花」を通して彼が宗教観をより露骨に貫いた事実だ。 MVの話に戻ろう。夜の宴は、遺影と棺と焚き火を幾何学的に配置してその周囲を回りながら踊る様子が映る。
それはエキゾチックでありつつ、ダンスチャレンジを意識したような群舞はいかにも情報社会時代のMVの一形態だ。
ある種の宗教的な悟りで満ちた歌は、それが起源する宗教の象徴を隠さぬことで報道による批判に真っ向からぶつかりつつも、甘く洗練された工程を経て、より多くの大衆にわかりやすく伝える、恐ろしいほど挑発的で巧妙な「ポップ」を感じさせる。
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連載
大衆音楽は「音」だけで定義されません。特にMV(ミュージックビデオ)はレコードに準ずるほどの大きな影響力を及ばせてきました。 ラジオからテレビにポップの主導権が渡ってからビデオはさらに重要な位置を占め、21世紀に入ると動画配信サービスがその座を受け継ぎました。 今ではK-POPやボーカロイド、Vシンガーなどのジャンルにおいては特にMVが最重要に近い位置を占めており、それ以外の音楽分野でもより重要視されるべきビデオがたくさん存在します。 この連載では主に話題の新曲を対象に、定期的にMVに焦点に当ててレビューする連載を提案したいと思います。
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