K-POPグループ・(G)I-DLEのセカンド・アルバム『2』が1月29日に発表された。
表題曲「Super Lady」はファンキーなラテンポップをベースに、ユーロダンス風の分厚いシンセを加えたエレクトロポップに仕上がっている。
楽曲「LION」「TOMBOY」「Queencard」などにかけて、マイウェイをひた走る、孤高で、既存の価値観をひっくり返すような女性像を描いてきた(G)I-DLE。
特に「LION」以降は、フェミニズムの文脈からの読解が求められる楽曲がほとんどなくらいだ。「Super Lady」は、ある意味、その路線を締めくくる大曲にしようとする意欲が見える。
銀色に輝く高級なブロックバスター
とある韓国の芸能番組で、MV制作に11億ウォン費やしたとリーダーのソヨンさんが明かして話題になった「Super Lady」のMV(外部リンク)。
全体的にダークな背景に銀色で輝く演出が特徴で、まるで高級な大作映画(ブロックバスター)のようだ。
さっそくフィナーレから見てみると、直近2月に行われたスーパーボウルのハーフタイムショーや、スタジアム/アリーナを連想させる締めくくりは、いわゆる“ポップスター”を典型的に象徴する光景である。
ダンスシーンのミリタリールックもそうだが、その“典型”はビヨンセ(Beyoncé)さんやレディー・ガガ(Lady Gaga)さん、もう少し遡るとマドンナ(Madonna)さんのイメージにまでたどり着くものだ。
K-POPに限ってみても、Brown Eyed Girlsや2NE1のようなグループが示してきた強い女性像が連想される(筆者はBrown Eyed Girlsの「Sixth Sense」が特に思い浮かぶ)。
こういったビジュアル・演出は、長らくポップ・ミュージックに触れてきたリスナーから見ると、よく言えば親しみがある、悪く言えばありきたりなものなのかもしれない。
しかし、これまで先駆者たちが示してきた女性像の系譜を受け継ぐ、という視点で見てみるとどうだろうか。
時代の象徴たる女性像を受け継ぐ
“Mama said あなたはいつか世界を揺るがす悪 / 怯えるまなざしさえも性悪だから” / “Oh その目は覇王の覇気、女王の資質 the baddie / みんなが気絶する覚醒に怯えるdevil”(G)I-DLE「Super Lady」歌詞より(※翻訳は筆者)
「主体的な女性像」というものは、必ず既存の価値観を揺るがしうる。それは、これまでの歴史や物語がおおむね男性中心の視線で伝えられてきたからだ。
石化の呪いを持つメデゥーサ、童話の世界に君臨するハートの女王、政治の達人のクレオパトラ、戦争の女神のアテナ、狂気のデザイナーのクルエラなど──「Super Lady」のMV中で(G)I-DLEのメンバーが召喚するキャラクターのほとんどは、歴史・神話・物語上において、ヴィランや悪女と呼ばれた人物たちである。
これは、フェミニズムの普遍化と共に常に問い直されてきた問題だ。「悪女」のレッテルは家父長制から離れたりその制度を揺るがす女性によく付けられるという言説(外部リンク)もある。
その上で、男神像を壊すシーンは、“男どものありふれた虚勢”と罵る歌詞よりも重要で攻撃的なメッセージを発している。
ほかにも、メンバー二人が絡み合う女性愛的なシーンもそのままのクィア・プライドを示す同時に、いわゆる「シスターフッド」と呼ばれる女性間の連帯としても解釈できる。
きっと、これらが決して“新しい価値観”ではないことは、彼女たちも承知の上なのだろう。それでも、ポップ・ミュージックにおける独歩的な道を示してきた女性像の系譜を受け継ぐことを選んだ。
歴史・神話・物語上の人物たちにはじまり、前述したマドンナさんやビヨンセさん、レディー・ガガさんにまで至るポップスター像にまでたどり着くと、古代から現代に至る“Super Lady”系譜が完成する。
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連載
大衆音楽は「音」だけで定義されません。特にMV(ミュージックビデオ)はレコードに準ずるほどの大きな影響力を及ばせてきました。 ラジオからテレビにポップの主導権が渡ってからビデオはさらに重要な位置を占め、21世紀に入ると動画配信サービスがその座を受け継ぎました。 今ではK-POPやボーカロイド、Vシンガーなどのジャンルにおいては特にMVが最重要に近い位置を占めており、それ以外の音楽分野でもより重要視されるべきビデオがたくさん存在します。 この連載では主に話題の新曲を対象に、定期的にMVに焦点に当ててレビューする連載を提案したいと思います。
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