僕にとってのはじめてのワールドカップは1998年のフランスでのワールドカップ。ちょうど20年前だ。86年生まれの編集・ライターの和田拓也氏による寄稿。彼は自らサッカーカルチャーマガジン「DEAR Magazine」を立ち上げ、今回のサッカーW杯においても様々なメディアの編集や番組協力に携わっている。
多くの方がよく知る「ドーハの悲劇」で日本が逃した94年のワールドカップは、当時あまり関心がなかった。93年の最終予選は中継で見ていたし悲しかったが、一番印象に残っているのは全国の視聴者の前で号泣する川平慈英の姿だった(いまではことあるごとにドーハの映像と岩井俊二の手によるドキュメンタリー「6月の勝利の歌を忘れない」を観て泣いている)。
最大の関心ごとは同年に開幕したばかりのJリーグで、キャッチボールのやり方を僕に仕込み、野球をやらせたがった父親の思いも虚しく、すぐにサッカーを始めた。三浦知良と前園真聖は僕のアイドルだった。
そのアイドルたちは、いまではプロサッカー選手の尊敬を一手に受ける最年長プロサッカー選手、もう一人は素晴らしいサッカー選手だったことすら10代の人たちには知られていないのだから、時間の破壊力は凄まじい。書いていて嫌になる。
そしてそんな彼らも、ワールドカップには出ることはなかった。
98年、日本はワールドカップへの出場権を初めて獲得した。このときも川平慈英は泣いていた。
フランスのワールドカップは、僕にとっても日本のサッカーにとっても、初めて目の当たりにした世界だった。ジダン、アンリ、ロナウド、ベッカム、オルテガを初めて観た。そしてバティストゥータとオーウェンは僕の次なるアイドルとなった。このとき小学6年生だった。
それから20年、日本代表は6回連続でワールドカップに出場する国になった。
文:和田拓也
86世代の星。本田、長友、岡崎
自分の世代を代表するスターは、誰もが思い浮かぶはずだ。僕が生まれた1986年、いわゆる86世代の星は、僕にとっては本田圭佑だった。長友佑都、岡崎慎司も86年生まれだ。8年前の南アフリカワールドカップ、今大会にも劣らない下馬評の低さの中、ベスト16という衝撃的な躍進を遂げた。そのチームの中心にいたのは本田たちだった。
南アフリカから8年間、彼らは海外クラブでまさに漫画で描くしかなかったようなキャリアを築いた。本田のACミラン、長友のインテル、岡崎はレスターで主力としてプレミアリーグも制覇、それ以外にも香川のマンチェスター・ユナイテッド移籍もある。すべてが所属クラブで満足の行く結果を残せたわけではないが、それでも彼らが日本の中心選手であったことには変わりない。
岡崎がよもやプレミアリーグでタイトルを獲得するチームでプレーし、日本代表では釜本、三浦カズに次いで歴代日本代表選手の得点数で3位を記録するとは思わなかったし、長友があのインテルで、代表で世界のサイドアタッカーを封じる光景を見ることができるとは思わなかった。A special T-shirt to #welcomeHonda / ようこそ本田圭佑! pic.twitter.com/sXJmN6cmoT
— AC Milan (@acmilan) 2014年1月8日
そして、本田のワールドカップ3大会連続での得点・アシストは世界でも過去5人しか記録していない。また日本代表が過去のワールドカップで記録したゴールが10得点。本田のワールドカップでの記録は4ゴール・3アシスト。正直にいって、2018年時点でもう本田にトップレベルでのプレーを期待するのは難しいだろう。
本田の起用に関しては議論紛糾、というより否定的な意見も多い。それでも、ワールドカップで、日本に点が必要なとき、そこには常に本田がいた。先日行われた本大会のグループリーグセネガルとの第2戦、首の皮一枚繋げたのは本田の得点だ。 しかし、彼らの過去を振り返ると、とても華々しいキャリアを歩んできたとは言い難い。本田が中学生だったジュニアユース時代、所属していたガンバ大阪でユースに昇格できなかった過去はよく知られている。
長友は高校時代、地区選抜に選ばれず大学のスポーツ推薦も得られずに指定校推薦で大学に進学。進学先の明治大学では応援スタンドで太鼓を叩く日々だった。
岡崎などは清水エスパルス加入時には「FW8人の中で8番目」と監督に評価されていた。2005年のU-20ワールドカップでは1勝もできず(本田はサブ、長友・岡崎は選外)、北京オリンピックを3戦全敗で終え、本田・長友・岡崎は「谷底の世代」ともいわれた。
不遇の時代を過ごしても諦めず戦う彼らに…
そんなやつらが、そんなやつらがである。諦めもせずに世界の化け物たちと戦い、同世代の自分に、多くの人にワールドカップという途方もない舞台で夢を見させてくれる。それが誇らしかった。サッカーというのは、会ったこともない他人の人生に自分の希望をのせるなんて野暮なことも許されてしまう。
『俺たちのフィールド』という、僕が愛してやまないサッカー漫画がある。
サッカーは、ピッチ内に22人の人間が入り混じり、結びつき合って試合が運ばれる超複雑系のゲームだ。いくらメッシが怪物であろうと、有機的に動くピッチ内の22個の駒の中では機能しないこともある。サッカーとは自分以外の他者と繋がり、関わり合うスポーツなのだ。だからこそ、関わりあった人々の思いは重なっていく。夢は叶わなかったんですがね…。今、彼らはサッカーを通じてかかわりあったり、競いあったり、憧れたりしている人々の代表としてフィールドにいます。サッカーに関わったスベテの人々の破片をまとって、彼らは今戦っています。彼らは「私」です。「私たち」です。だから頼む。勝って、勝ってくれ。勝ってくれたら、死んでもいい。『俺たちのフィールド』より
僕のサッカー選手としての人生はパッとしないものだった。選手として頭角を表すことなど小中高一貫してなかったし、その点は本田たちとの語るまでもない大きな違いだ。だが、恐れずにいうと、本田たちも凡人なのだ。凡人がサッカーを諦めた僕らの思いを紡いでまだ諦めずに戦ってくれている同世代。それが本田圭佑たちだった。
「おっさん」と呼ばれるJAPAN
そんな僕にとっての同世代を象徴する存在には、「ビッグ3」という手垢のついた肩書きだけではなく、平均年齢の高さを指して「おっさんジャパン」という陳腐なキャッチフレーズがつけられている。 凝り固まった価値観をもって時代に適応できない存在のメタファーとして幅をきかせた陳腐な言葉で、こうもやすやすと世代を括ってしまうことにげんなりしてしまう。おっさんなんて単に年齢(中高年)を指す記号とも言えるし、その通りだと思う。しかし、実際そうは使われていない。「おっさん」という言葉をパッと頭に思い浮かべてほしい。どこかの経済メディアも「脱出すべき存在」として「おっさん」をキャッチコピーに使うくらいだ。
自分が30代に突入したことで「自分はおっさんなんかじゃない!」と過敏に自己防衛したいわけじゃないし、別に「おっさんなんて言われたら傷つく人がいる!」とか声高に叫びたいわけでもない。単純に、30歳ちょっとの人間を「おっさん」と呼んでしまう社会に未来はあるのか……? ということだ。
「なりたくないもの」「なりたくはないがいずれ自分に迫るもの」として「おっさん」が認識されている以上(というかおっさん自身が勝手にそう認識、区分けしている)、「おっさん」だと自分と他人を認識することは(しかも人生30年そこそこで)、ただでさえライフステージの中で「年齢」を意識することが多いこの国にあって、挑戦を促し活発に循環する社会を阻害してしてしまう。
また若い世代とその上の世代との余計な分断も生む。僕たちは下の世代とも、上の世代とも、妙な線引きで隔てられることなく溶け合って生きていきたいだけなのだ。これは上下の礼儀や敬意とは別の問題だ。
何より、身体的・精神的な衰えを揶揄する言葉として「おっさん」が使われている限り、その言葉には愛がない。そして格好が良くない。僕が気にくわないのはもしかしたらそこかもしれない。
31~32歳の選手なんて、平均寿命が26歳といわれるプロサッカーの世界においてはキャリアの晩年もいいところだ。それこそ三浦カズが51歳で現役を続けていることなど、考えられないことだ。しかし一般社会に目を向けたとき、「30歳?おまえなんぞひよっこだ。縮こまってるんじゃねぇ」と教えてくれる社会であってほしい。
「僕らのワールドカップ」が終わるとき
今大会は、これまでのワールドカップにはなかった、特別な思いをもって観戦している。それは、自分と同世代の選手が日本代表としてプレーする、おそらく最後のワールドカップになるだろうということだ。
サッカーファンにとって、プロサッカー選手が次第に自分より年下になっていくことへの哀愁はサッカーあるあるなのだが、ロシア大会は、ある世界で自分の世代がひとつの役目を終える瞬間、「僕らのワールドカップが終わる」大会でもある。
僕より年上のサッカーファンからすると、この感覚はきっと通過儀礼のようなものなのだろうが、僕の中でとても大きな意味を持っている。#JPN #JPN #JPN #JPN#JPNSEN 2-2 pic.twitter.com/DGnFJz2Jyp
— FIFA World Cup 🏆 (@FIFAWorldCup) 2018年6月24日
よく言われる“ミレニアル世代”の初期に位置付けられることもある86年生まれというのは、社会の価値観の中間層にいる世代だと感じる。価値観の棚卸しがかつてないくらい急速に行われる中で、古い価値観をアップデートすることも既存の枠組みからあがいて抜け出すこともできる。だが、いわゆる「おっさん的」な価値観もわからなくもなく、旧態依然とした発想に本能的に縛られている部分もある。そのはざまで闘っているのが僕が思う86世代なのだ。
テクノロジーと情報のシャワーを浴びたデジタルネイティブの10代、20代の人たちは本当にすごいと思わされることが多々ある。音楽においては個人的に今はとても面白い時代だと感じていて、これまでのフォーマットや固定概念に縛られない楽曲やアーティスト像が次々と生まれている。彼らを縛る枠組みそのものがもとよりないのではないかとさえ思う。
以前取材した弱冠20歳の「ぼくのりりっくのぼうよみ」氏にもそう感じた( 物語の終盤で、ワールドカップ初出場の日本が、物語上最も因縁の深いアルゼンチンとグループリーグの初戦で対戦するのだが、その中で実況を担当する登場人物が試合中に、小さい頃に運動音痴でサッカーを諦めた自分の過去を話し始める。 関連記事)し、アスリートもそうだ。平昌オリンピックでのあの物怖じしない選手たち。知り合いのフリースタイルフットボーラーやサッカー関係者の、ネットで海外の選手の映像を気軽に見れるようになってからの技術の発達と回転が著しいという言葉も腑に落ちる。仕事においても、僕より若くて優秀なひとがうようよいる。
いつも、「若い奴ら、すげえ」と唸らされるばかりだ。
常に抗ってきた僕らを映し出す鏡の終戦
一方で、彼らをニュータイプと位置付けることは、自分たちをオールドタイプだと位置付けることに等しく、同世代を「ミレニアル世代」、86世代と括ってしまうこともまた、その上の世代を「おっさん」と呼ぶことと変わりないことで、この上なくダサいことだ。僕らはそうした自身を縛り付ける枠組みから脱却しよう、抗おうとする存在なのかもしれない。
同時に、ワールドカップで本田たちが抗おうとしているものは、自分が抗おうとしているものと重なる。単に希望を託すだけのものではなく、世界を変えられる、中学生が描くような幻想を今でも描き、ことあるごとに自分の不甲斐なさに女々しいくらい絶望する。それでも自分はもっとやれると、この世界でまた立ち上がる。そんな自分を映し出すような鏡のような存在でもあり、ともに戦う存在でもあるのだ。Shinji Okazaki and #JPN can book their spot in the #WorldCup Round of 16 this afternoon!
— Leicester City (@LCFC) 2018年6月28日
They take on Poland in Volgograd at 3pm. pic.twitter.com/r80G0VxFpm
「ミレニアル」世代というレッテル貼りから逃れようとする「ミレニアル」世代として、その存在が、一度、戦いを終えようとしているのだから、僕は誰がなんといおうと彼らを応援したいと思う。
— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) 2018年6月30日ワールドカップ中、サッカーに興味のない人たちは、辟易しているかもしれない。ただ、これはサッカーが好きな人間の4年に一度の特権だから、あと少しの間だけ諦めてほしい。あなたにもきっとそういうものがあるはずだ。
本が、音楽が、ひとの言葉や行動が、自分の背中を押してくれる経験は誰にでもあるだろう。同じように、サッカーもまた僕の視線が足元を向いたときに顎を何度も突き上げてくれる言葉のひとつだ。そして僕にとって、否応なしに心が揺り動かされるエモだ。共感、懐愁などでは片付けられない初期衝動であり、激情なのだ。
途中出場でもいい、ベンチ要員でもいい。
頑張れ。
頑張れ。
負けるんじゃねえ。
つまるところ、僕がいいたいのはこれだけだ。
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和田拓也
和田拓也 // Wada Takuya Editor / Writer
1986年生まれ。サッカーメディア「DEAR Magazine」を運営する傍ら、「HEAPS Magazine」などWeb媒体を中心に執筆・編集を行っている。ストリートやカウンターカルチャーが好きです。
Twitter: @theurbanair
Instagram: @tkywdnyc
SIte: http://dearfootball.net
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