ここ数年でNO JOKEになってきてる
ライターが逮捕されること自体は、グラフィティにおいて珍しいことではない。VERYONEさん自身、起訴はされていないが逮捕歴は何度もある。「車で事故った、くらいの感覚です。忘れた頃にやってくる」。状況が変わってきたのは、2010年頃。特にここ5年ほどで、行政の締め付けがさらに強まっていったという。
圧力が強まっているのは、グラフィティに対してだけではない。都心から空き家や空き地が減っていき、無防備なスペース、つまり自体が減りつつある。街が整備され余白がなくなりスキマが埋められていく中で、グラフィティもまたその居場所を失いつつあるということなのだろう。「昔は、警察に見つかっても馬鹿のフリしてればなんとかなったんですけど、今はそういう雰囲気じゃない。それまでは、そもそも『グラフィティ=犯罪』という感じでもなく『変なとこに描いたらあかんやんけ』くらいだったけど、今はスプレー持ってるだけで犯罪者扱い。NO JOKEになってますね」(VERYONEさん)
VERYONEさんは、近年は日本でボムることはほとんどしなくなった。アメリカや北米、チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア、スペイン、スリランカ、韓国、中国、インドネシア…世界中を飛び回り、海外のライターと交流しながらグラフィティを残してきた。 もちろん、海外でもグラフィティを違法行為に認定する国も多いが、「文化として認めてられていてグラフィティに寛容な国も中にはある」という。
アメリカの警察に捕まって裁判になり、罰金を支払った過去もある。一方、鉈を持った警備員に追いかけられて捕まっても謝ったら許されたこともある。「インドネシアなんかでは、すごい盛り上がってますよ。面白いライターも生まれて、それに関連したブランドも増えてきてて、アジア圏では大きなカルチャーになりつつある」(VERYONEさん)
そうかと思えば、ある国ではVERYONEさんがグラフィティを描いた電車がそのままの形で2〜3年ほど走り続けているという。
「海外では、『絵を描いてくれた』と喜び、感謝してくれるところも多い。海外で描いているうちに、グラフィティシーンにおけるゲームとは別に、イリーガルなだけじゃないグラフィティの可能性も感じました」(VERYONEさん)
違法行為だけがグラフィティではない
グラフィティで社会と関わることもできる。その実感が後々、VERYONEさんも設立に関わった「西成WAN」に繋がっていった。日雇い労働者や浮浪者の多い街というイメージのある西成だが、「近隣住民にとって、彼らはよそ者でしかない」という。そうしたイメージを払拭したいという地元の要望と、ライターたちの堂々とグラフィティを描きたいという要望がハマった。「お店のシャッターに描いてくれと頼まれて友達と描いたところ、『うちにも描いてほしい』という声が広がっていったんです。僕らも西成を明るくしたいと思っていたので、どんどん周りも巻き込んで広がっていきました。それで、SHINGO★西成がもっと大きい規模でやりたいと言って、『西成WAN』が立ち上がっていったんです」(VERYONEさん)
「グラフィティを描いた途端、その壁には立ちションされなくなったとか、西成にはグラフィティを受け入れてくれる土壌があったんですよね」 (VERYONEさん)
翌2008年には補強工事のため壁画は消去されてしまったが、ライターの間でだけではなく、この大掛かりなプロジェクトは評判を呼んで一種の観光スポットとしても機能した。
「グラフィティなんて、日本には根付かないのかもしれない」
「犯罪行為だけがグラフィティーではないんです。極端なイメージを払拭したい」とVERYONEさんは語る。グラフィティが良い趣味として認められている国もあり、ビール片手にグラフィティをして休日を過ごすような光景をVERYONEさんは海外で何度も目にしてきた。 もちろん、ライター全員が全員、社会と向き合う道を探っているわけではない。人によってスタンスも異なり、ボムという文化は依然として存在する。
ただ、グラフィティがますます認められない社会になっている中で、「自分らみたいな活動をする人たちも出ていくんじゃないかな」とVERYONEさんは望みをかける。「例えば俺が『もう絶対ボムはやらない』と言っても、若いヤツらはどんどん出てきてる。締め付けが厳しくなっても、やるヤツはいますよ。だけど、ボムだけしていても、グラフィティは残っていかないでしょう。もっといろんな方法を探していかないといけない」 (VERYONEさん)
しかし、そうした問題意識を持っているVERYONEさんでさえ、「グラフィティは今後、日本ではどう社会と折り合いをつけていくのか?」という問いには「難しいですね…」と言葉を濁す。
では、アートとして生き残っていく道はないのだろうか? 例えば、グラフィティと聞くと世界的な覆面アーティスト「バンクシー」を思い浮かべる方も多いかもしれない。彼が作品を描いた壁は価値が高騰しオークションでは高額で取引されるため、むしろ行政や住民から待ち望まれるようになっている。「正直、グラフィティなんて日本に根付かないって気もしてる。なんでみんな海外いかへんのかなって。『壁に絵を描くことが、なぜいけないのか?』という日本での葛藤自体、アジア圏では理解してもらえないですよ。日本には、ダメはものはダメという硬い考えがある。
僕らは命がけでやっていますが、グラフィティはやっぱり落書きで、グラフィティとストリート、ボムは歴史的に切っても切り離せないですから。これからますます、今まで通りにはいかないでしょうね」(VERYONEさん)
しかし、確かにボム行為を行うものの、グラフィティライターから言わせると彼はアーティストであってライターではないそうだ。
グラフィティ的なエッセンスは、アートやファッション、音楽といった様々な領域に希釈された形で浸透してきた。逆説的だが、例えば日本でのヒップホップと同様、むしろ本来の文化から変質した結果、社会に認知され始めている。「グラフィティがアートになる場合はあっても、その逆はないんですよ。最近グラフィティ風のアート作品が出回っているけど、出自としてグラフィティライターではない人の作品は本来グラフィティではない何かです」(VERYONEさん)
しかし、ライフスタイルとして突き詰められてきた本来のグラフィティは、常に社会との摩擦を孕んでいる。その有り様は、今も問われている。 同時に、もう一つの問いが頭をもたげてくる。
グラフィティとは、自分たちの足元や囲いのスキマを対象にした“描く”ことへのむき出しの欲望だ。
そうであればこそ、効率化を優先し生産性を重んじる社会にあって、グラフィティはあってはならないものだ。それを認めるということはつまり、“むき出しの欲望を肯定”し、“いまだにこの世界にはスキマが存在するという事実を認めてしまう”ことに他ならないからだ。
では、どこにもスキマのない社会を、私たちは生きやすいと感じるのか。スキマから生まれた文化を──社会へ歩み寄る方法を模索している中──法の下、問答無用に淘汰しなければならないのか。
自分たちと無関係の単なる“落書き”だと、グラフィティから目を逸らすのは簡単だ。しかし、グラフィティに限った話ではないという意味において、その問いは私たちにも突きつけられている。
特集「2018年のストリート」
KAI-YOU.netが送る特集第3弾「2018年のストリート」は、約1か月を通して更新予定。
記事一覧と更新予定記事の予告は、特設ページから更新していきます。
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VERYONE
グラフィティーライター
西成区在住。1996年、グラフィティーライターとして活動を開始。アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界13カ国にて壁画制作を手掛け、ストリートをリアルに表現する独特のスタイルは各国で高い評価を得る。「NEWS WEEK」SPECIAL EDITIONでの特集、黒田征太郎による壁画『PEACE ON EARTH』とのコラボレーションに参加、スペースシャワーTV「BURN OUT」、アメリカ映画「BOMB IT THE MOVIE」でのインタビューは多くの反響を呼び注目を集めた。愛知万博/水戸芸術館「X-COLOR」/横浜「桜木町ON THE WALL」、アメリカや中国で行われた「graffiti jam MEETING OF STYLE」、大阪「Crazy Crimers」など、多岐に渡る活動は国内外のアーティストに多大な影響を与える。圧倒的な表現力に加え、その研ぎ澄まされた精神性はグラフィティーを通じて今も尚世界を制覇し続けている。
1件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:1668)
5分くらいで消える画材で描いたら良いんですよ。水とか。