連載 | #8 戸田真琴のコラム『悩みをひらく、映画と、言葉と』

見た目のコンプレックスはどう向き合う? 劣等感のお得な扱い方【戸田真琴の映画コラム】

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見た目のコンプレックスはどう向き合う? 劣等感のお得な扱い方【戸田真琴の映画コラム】
見た目のコンプレックスはどう向き合う? 劣等感のお得な扱い方【戸田真琴の映画コラム】

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ)

今回紹介する映画 『バグダッド・カフェ』

少し田舎に行って、友達と慣れない運転の練習をして、ようやく海と山を切り分けるようにまっすぐ走れるようになった時、気がついたら秋になっていました。

夏の終わりもいつも突然で、頭も体もいつも追いつかないような気もしていますが、みなさんは様々な想いの中、どんな今を過ごされていますか?

学校に行っている方は新学期、社会人のみなさんもお休みが明けるたびに重たい気持ちを抱えている方もいらっしゃると思います。頑張った人も頑張れなかった人も、それぞれに理由があって守りたかったものがあったこと、それ自体を愛しく思います。

自分自身が置かれている環境も相まって、最近特に目にすることの多い、こんなお悩みについて今回は一緒に逃げ道を探していこうと思います。

容姿に自信がなく、人付き合いに積極的になれません。モデルやかわいい人を見ると羨ましいという気持ちが湧いて、どこか妬んでしまいます。見た目も、そんなふうに思ってしまうのもコンプレックスです……戸田さんもそんな風に思うことってありますか?

私も、どうしても容姿で比べられるお仕事なので、同じような悩みは常につきまとっているなあと感じています。

あまりネガティブなことを言っても仕方がないので割愛しますが、顔の造形やスタイルについて言われた言葉の数々の中には、傷ついたままうまく消化できていないものもいくつもあります。

美男美女でないと揶揄されるような世界から、逃げよう

世の中を、とても表面的に見るのなら、容姿で好き嫌いや良い悪いが決めつけられてしまうことは確かにとても多いです。

小学校高学年で好みの輪郭が浮かび上がってきた頃なんかには、好きな芸能人の話で美男美女しか載っていない雑誌の中から指差しで誰かを選ばされるし、テレビでは美しい女優さんがかっこいい俳優さんとのラブロマンスを展開しています。

バラエティ番組では太っている人やお顔に特徴のある人、個性的な格好をしている方は当たり前のように笑い者にされ、救いを求めてSNSに逃げてもお人形のように可愛い女の子たちが今日も自撮り写真でバズっていたりして、「ああ、だれよりも可愛かったならどんなに良かっただろう」と、比べられた人は皆そう思って当たり前だというほどに、一辺倒な価値観のもと動いているようにも見えるのです。

努力で見た目のきれいさを求めていくことも、とてもひたむきで素敵なことですが、もしもそれに興味がないのなら、無理をしてやらなくてもいいと私は思います。

また、努力では変わらない部分をコンプレックスに持っている人もいくらでもいるということを知っています。

人のパーソナリティを、見た目を認識するのと同じ速度で見ようとすることのできない人が圧倒的に多いということは確かに無視できない事実なのだと思いますが、それでも私は人を人として見ることができないことはとても恥ずかしいことだと思うので、いろいろな反論すらも放り投げて、あなたに「逃げよう」と言いたいのです。

コンプレックスのある女の子が綺麗になって幸せになるストーリーだって、確かに魔法かもしれませんが、それは鏡を見たら解けてしまうので。

だから、鏡を見ても誰にけなされても解けない、強いおまじないのような映画を見ましょう。

美男美女のいない物語

バグダッド・カフェ』は、アメリカを舞台にした1987年制作の映画です。

ドイツ人観光客のジャスミンが、ルート66の途中にある寂れたカフェを訪れるところから始まります。ジャスミンは旦那さんと喧嘩して車を降りてきて、特に行くあてもありません。

カフェとモーテルの女主人ブレンダもまた、仕事と育児の忙しさに苛立ち毎日怒鳴り散らかした果てに、旦那さんに出て行かれてしまいます。

モーテルに滞在するジャスミンを怪しむブレンダと、埃まみれでコーヒー・マシンも壊れているどうしようもないカフェ。個性的な滞在客たちも、みんな覇気のない顔をして居座っています。

主題歌「Calling you」のうつくしさでも有名で、今もたくさんのファンを増やし続けている名作ですが、美男美女は出てきません

汗だくで太ったドイツ人女性と、ガミガミと怒鳴り散らす女主人の、とくに綺麗でも可愛くもない女性二人が中心となって進む映画です。 みなさんは、人の魅力というのはどこにあると思っていますか?

他人のどういう瞬間を見たときに、その人と他人以上の関係になりたいと思いますか。

もちろん、見た目としての造形が綺麗であることにとても価値があること、綺麗な人を見るだけで心の安らぐ人たちがたくさんいること、さらにはそれは妬みの対象にもなるべきでなく、たとえ他人から見て綺麗でちやほやされているように見える人たちにもかならずといっていいほどそれぞれの苦しみがあり、楽な人生を歩んでいる人などほとんどいないことを知っていて欲しい気持ちも当たり前にありますが、今は、「きれいなひとが羨ましい」というあなたの悲しみのことだけを思って、お話ししたいと思います。

人は、どうしても足りないものばかりが羨ましく思えてしまうもので、自分がそれをもっていないと、持っていない「それ」のすごさの質量もつかみきれず、まるで「それ」さえあれば幸せになれるのではないかと思ってしまうことすらあります。

私も、なにかうまくいかないことがあるたびに、足りないものが手に入っていたなら違ったのかな。と思うこともありました。それでも、そういう不足分からくる悲しみを、「まあいいか」と思わせてくれるのもいつも、足りないところを愛してくれるような種類の愛でした。

コンプレックスはいつだって「消えてしまうかもしれないもの」

あなたの、今ここまでの人生で一番つよく好きな人を思い浮かべてください。

もう、その人が車に轢かれそうなら自分が代わりに飛び出してしまうかもしれないくらいに好きな人です。何をしても許せるくらい好きな人です。

そのひとの、完璧じゃないなと思うところを思い浮かべてください。

心から人を好きだと思う時、足りないところが気になりますか?

マネキンのようにきれいだったら良かったなんて、思うはずがないのです。そして、その「欠点なんてまるで気にならない」好きなひとという側の立場に、あなたが立つ可能性もあるのだということをわかっていて欲しいのです。

あなたのコンプレックスは、だれかの「好き」でいつか消えて無くなってしまうくらいのものなのです。

意味も価値もない軽量なヘイト

人は、よく知らない他人に対して、まず見た目で判断しようとします。

バグダッド・カフェを訪れたジャスミンは、ブレンダが見たことのない風貌、服装、振る舞いをするので、はじめはとても怪しまれます。別段悪いことをしたわけではないのに、ブレンダはいつもの斜に構えた目線でガミガミと、ジャスミンを変な人扱いし、その人となりなどまるで見ようともしません。

世の中には色々な視点があって、みんな自分なりの角度を構えてものを見て判断しているのだと思いますが、容姿のきれいさや可愛さで判断するひとたちも、国や肌の色で判断する人たちも、その中のひとつの角度でしかありません

あなたの人間らしいところを知らずに、見た目だけで切り捨てられるようなことは、新しいアニメに好みの髪型と顔のキャラクターがいなかったら見るのをやめる、というくらいの、とても軽い、軽い、なんの意味も価値もないヘイトです。

どんな些細なヘイトすらも、ひとつも投げられることのない人生なんてものがあったならどれだけいいでしょう。立っているだけで好かれてちやほやされたらどれだけいいでしょう。それでも、そんな人生はこの世のどこにもありません。

ただ、意味の軽い言葉や態度に、傷つけられてしまう繊細な心なら、今すぐ抱き上げてそんな世界から目を背けて欲しいんです。

君が主人公になる世界を生きる

誰よりも綺麗になりたかった、映画のお姫様のようになりたかった、なんて純粋な望みを捨てるのは、叶わなかった夢をなかったことにするようでいささか悲しくもありますが、未練に裾を掴まれながらでも、誰かに作られた「永遠に君を主人公にする気のない物語」からは、逃げてしまいましょう。

ああしてほしかった、ああなりたかった、そんな断ち切れない願望も、一度、見えないところに放り投げて、君が主人公になる価値観を持った世界に逃げましょう。

自分の中で、何に価値があるのか、どういうものが美しいのか、その中で自分がどう在りたいのかを新しく構築することができれば、その新しい世界の中で、あなたは自分にまったく新しい「美」を与えることができるんです。

ジャスミンは時間を持て余して、ボロボロで覇気のないカフェを掃除し、小さな子供たちの面倒を見て、取り違えた夫のカバンに入っていた手品セットでマジックを披露します。

愛すべき人柄を持ったジャスミンと、好奇心旺盛なバグダッドの住人たちは次第に仲良くなり、賑やかなカフェの噂を聞いた新しいお客さんもたくさん訪れるようになります。

統計の「美」よりも、オリジナルの「美」のもとで

はじめ、異邦人として疎まれていたジャスミンは、すっかりカフェに希望を与える唯一無二の存在となっていました。

映画の冒頭で登場した汗だくで太ったおばさんだった彼女は、顔も体も何一つ変わったわけではないのですが、いまや内側からつやつやと輝くような、魅力的で色っぽい女性にしか見えず、その姿は「美しい」という以外どうにも表現のしようがないのです。

彼女を信頼し、心を開いていった女主人のブレンダも、次第にとてもチャーミングな魅力を解放していきます。

それは、映画を見ていく時間の中で、その映画と自分との間にゆっくりと新しく確立された、どこにも似ていないオリジナルの「美」でした。そしてそれは、不特定多数の他人がぼんやりと作った統計の美よりもずっと、ここにあって触れるような、確かな説得力と質量を持ったものでした。

ブレンダとの出会いはたしかに私の中の美の基準をほんの少しずらしていきました。みなさんにも、誰かとの出会いや人との関わり合いの中で、「好み」が変わったこともあると思います。

「好み」というものは先天的なものもありますが、経験によって常に変化し、揺らいでいくものでもあります。あなた自身が美の基準をずらすことも、あるかもしれません。

人は、人を本当の意味で好きになる時、人間関係の中で魅力を発見することのほうが圧倒的に多いような気がします。

そして、完璧な部分よりもダメなところもちゃんと見てからの方が、湧き上がる「好き」は濃厚で、たくさん垂れ流さずともつよい意味と価値のある、味わい深いものになるはずです。

何かが足りないということが、また、コンプレックスを抱えているということが、あなたを誰かが愛さない理由になることはありません。それが邪念のない本当の愛情なら。 そして、それはそう簡単にもらえるものでも、生まれた時から与えられていて当然のものでも決してなくて、人生のうちで一度でも触れられたらもうその人生は100点だというくらいの、うんと素敵なものなのだと思います。

余計なものは欲しくない、本当の深いものだけがほしい、という自分にチューニングを合わせるのなら、あなたの人生には、理不尽な不足はまるで存在しないことになります。

生まれたままで、それぞれの自然を持っている他人に対して、自分の世界観だけでやれ見た目がどうだと、けちをつける方が絶対にみっともないことです。
 
あなたが、なにか不足を抱えたまま、それに悩みながら生きてきたことの意味がちゃんと与えられてしまうような瞬間が……苦しさをまるで反転して喜びに変わってしまう瞬間が訪れた時に、やっと傷ついたり悩んだりしたすべてを許すのでも、ぜんぜん構わないのだと思います。

揺れながら折れなければ、たくさんの感情を知れる

私にもコンプレックスがやまほどありますが、クラスの男の子に丸顔を馬鹿にされた時の恥ずかしさも、好きな子にお月様みたいで可愛いと言われた時のうれしさも、一緒に持っているまま生きています。

自分の外見にも中身にも、好きなところと嫌いなところがあって、その両方を同時に感じるところだってあって、他人の言葉で簡単にそれは反転したりもしながら、追い風や逆風にゆれながら、決して極端に全部を塗りつぶしてしまわぬように、うまくグラグラと一緒に生きてゆきたいです。

せっかく生まれてきたのだから、グラグラ揺れながら折れないくらいでいた方が、たくさんの感情を知れるぶん、お得なような気すらするのです。

ああ、だめだ。と思うような時は、バグダッド・カフェのような、すがすがしく明るく肉感のある美のイデアをもった世界に触れたりしながら、笑ったり泣いたりしながら、自分をぎりぎり嫌いになりきれぬままでいてください。

あなたが最高だという人にいつか出会えるかもしれない不思議な世界で、あなたはあなたの美を、誰に褒められなくてもちゃんと持っていてください。

今夜、バグダッド・カフェで会いましょう

昔、引越しをしたばかりのがらんとした部屋にモニターだけ置いて、バグダッド・カフェを流しながらうとうとしたことがありました。

カーテンもなく、ベッドには掛け布団もない中で、Calling youの美しさに眠りに落ちたときには、世にも美しい夢を見たものです。
身体を半分映画にのまれたままのような世界で、自分の顔の凹凸も体のラインもとけていくように純粋な、全肯定感を感じていました。

それは、赤ちゃん以来まるで久しぶりに味わうような、まろやかで優しい、途方もなく幸福な感覚でした。

誰にも糾弾されることのない、私だけの美しい世界でした。

あなたの美が、まずいつかあなた自身に肯定される日がくるように、紙で切ったような細かい傷はそっと舐めながら歩いていきましょう。

あなたがあなたであることになんの不足もないような瞬間が、何年ぶんものあなたの傷を癒してくれるときがくるまで。

まずは、この映画を見終えた瞬間の、あの多幸感に満ちたエンディングからやっと目線を外せた瞬間の、ご自分の目を鏡で見てみてください。

いったい何が足りませんか。

あなたが何かを心から美しいと思ったとき、その美しいもののほうも、必ずあなたに声のない告白をしています。映画から、「きれいだね」と聞こえたような気がしたなら、あなたは何よりも、その声の方を信じてください。

そして、あなたがこれからも瞳のうんと輝くような、美しいものたちと出会って愛し合っていけること、それ自体をとてもきれいだな、と思います。 戸田真琴さんの写真をぜんぶ見る(全68枚)

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今回紹介した映画:『バグダッド・カフェ』(パーシー・アドロン監督,1987年,西ドイツ)

編集:長谷川賢人 写真:飯田エリカ

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戸田真琴

AV女優

AV女優として処女のまま2016年にデビュー。愛称はまこりん。趣味は映画鑑賞と散歩。ブログ『まこりん日和』も更新中。「ミスiD2018」エントリー中。

Twitter : @toda_makoto
Instagram : @toda_makoto

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