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「人生の意味って何ですか?」AV女優 戸田真琴から、あなたへ贈る最後の映画コラム

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ)

今回紹介する映画:『この世界の片隅に』『エンドレス・ポエトリー』

年の瀬になると、いつにも増して回想ばかりしています。

気温が低くなるにつれ、光も風も物思いを邪魔しない清さになっていくようで、頭の中に燻った昨日のこと明日のことも透き通っていきます。トマトスパゲティを食べながら。海沿いの電車に乗りながら。

葛西臨海公園の大観覧車も、なんだっけ、初めはむしゃくしゃして乗りに行ったものだったなあ、と笑いながら。水平線ににじり寄っていく太陽を、蜂蜜を10倍くらいに希釈したようだと感じて、愛の持つまろやかな色合いを思い出します。 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) さて、私とあなたの短い一生の、短い一年が終わろうとしています。思い出す景色の中でも幾度となく、出会った人たちの瞳の奥に燃えていた、こんな問いかけの中を一緒に歩いて、今年を終わりにしたいと思います。

時々、生きるのがものすごく苦しくなります。私は運が悪いと常に環境のせいにしてきた人生でした。戸田さんはなぜ生きて、そして人はどうして生きているのだと考えますか? おおげさな言い方かもしれませんが、「人生の意味」ってなんなのでしょう……。

幾度となく繰り返されたきたこの問いに、きっと答えはないのでしょうが、ちょうど一年前にこの連載を始めるきっかけになったとある映画の、語りきれなかった側面を改めてお話ししながら、ほんの少しでもあなたの命の価値について真正面から話せたら、と願います。

「生きるって、どういうことだろう」という問い

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 『この世界の片隅に』は、2016年に公開された日本映画です。片渕須直監督の、圧倒的な愛と手作業によって形を得た、私の知る限りの最高峰のアニメーション映画であり、戦争映画です。

広島で生まれたすずさんは、少しぼうっとしているものの、明るく朗らかで、絵を描くのが得意な女の子。家業の海苔梳きを手伝ったり、クラスメイトの水原哲の代わりに写生の課題を描いてやったりと、ごく普通の毎日を過ごしています。

年頃になって、とつぜんすずさんを嫁にとりたいというひとが現れ、地元から20キロ離れた呉に嫁ぐことになります。旦那の周作さんとその家族とともに、彼女の新しい毎日が始まります。それは、太平洋戦争が集結する少し前、昭和19年のことでした。

この映画がもっとも身近な戦争映画であるということについては、一年前にブログに書きましたので、そちらもご興味がありましたら読んでみてください。 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 今日、私が話そうと思っているのは、この映画のなかに真摯なまま流れ続ける「生きるって、どういうことだろう」という問いと、かたちなく描かれたそのやわらかい答えについてです。

すずさんの暮らしの中では、決して特別なことは起こりません。

今私たちが生きている日本では、幸い空から日常的に爆弾が降ってくることも、日に日に食料の配給が少なくなっていくようなことも、道を歩いていたら時限爆弾が爆発して連れていた小さな女の子が吹き飛ばされてしまうようなことも、故郷に原子爆弾が落とされることもとりあえずはありませんが、(そして、これからもなるべくずっとなくていい、と思います。)この映画の中ではそれらの非日常的なことはすべてもはや特別なことですらない、その時代その場所にいた全員に無差別に降りかかっていたことでした。

戦争や大きな事件や事故に限らず、あらゆることをわざとらしいまでに大げさに報道し、あるいは波のある物語ほど「面白い」とし、ひとびとの感情を過剰に揺さぶり一体感を得させるようなコンテンツがこんなにもたくさん台頭する中で、「生きるということ」をよりニュートラルに捉えなおさせてくれた名作がこの映画でした。

望んで生まれたわけじゃない

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 質問者さんだけでなく、すべての人に問いますが、あなたはなぜ、生きることに意味を探しているのですか。

私も時々、生きることの喜びや物珍しさよりも、つらさや苦しさ、退屈がはるかに勝ってしまうような時、「こんなに辛い、あるいはつまらない思いをしてまで、どうして生きていなきゃいけないんだろう」と感じることがあります。それと同時に、生きる理由を懸命に探した日がいくつもあったことを思い出します。

人は、「役割」を担ったり「個性」を認められることで、社会のうちに居場所を獲得していくのだろうと思います。それは、「生きていてもいい理由」と捉えられることもしばしばです。

それゆえ、立派な役職につけるように努力したり、足場が無くならないよう守ったり、人と違うところを探したり、自分が生きている爪痕をどこかに残したいと望んだりします。また、自分の代わりに家族や身近な誰かにそういった願望を託すこともあります。

私自身、「生きている理由が見当たらない」と嘆くひとを何人も見てきましたし、みなさんやみなさんの周りにもそういう声や、声にならずに消え入った声もたくさんあったのでしょう。 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 望んで選んだことや考えて選択したことには、どんな過程や結果がついてきたとしても必ず意味があるのだと思いますが、私たちはなにも望んで生まれたわけではありません。

望まれて生まれてきたかどうかですら、人によっては不確かなレベルです。育て上げてくれた家族や周りの人々へのありがたみを感じているとしても、そことは別の軸を持った思考が、生きていることへの疑問を唱えずにいられない場合だってあるはずです。

なので、人生というものには意味や理由がなくても仕方ないのだろうな、と思います。たとえ「これが私の生きる意味だ」と信じられるものがあったとして、不変のものなどなく、理由や意味だと思ったものがあなたのもとから何事もなく消え去ってしまうこともしばしばです。

何をなくしてもなぜか生きながらえているのがあなたの人生なら、やっぱりその失くしたものは「意味」そのものではなかったのだと思いますし、「意味」だと思えるようなものを一度も得ずに生きてきたのがあなたの人生なら、ほらやっぱり「意味」などなくても続くじゃないか、と思わざるを得ません。

失ったものは形を変えて

FH010037_013 戦争の影響で圧迫されていく暮らしの中でも、「なんでも使って暮らしていくしかない」と朗らかに、工夫をしながら日々を紡いでいくすずさんたちでしたが、ある日そのぎりぎり平和な日々はとっくに壊れていたということに気づかされます。

義理の姉の圭子とその小さな娘の晴美と共に街へ出た時に、空襲で晴美と、晴美の手を握っていた右手をなくしてしまうのです。

激しい後悔と喪失感の中で自分を責めるすずは、時限爆弾が爆発した時のことを繰り返し思い出します。「あのとき、下駄を脱いで走っていれば。せめて左手で晴美さんの手を繋いでいれば」……数多の、そうだったかもしれない景色を思いながら、「あのとき、うちの居場所はいったいどこにあったんだろう」と。

たとえ空から爆弾が降ってこなくても、私たちには、居場所を見つけられなかったり、居場所を失ってしまうようなこともたくさんあるのだと思います。さよならだけが人生ならば、後悔をしていくことも人生かもしれないのです。 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 「取り返しがつかないこと」も、人生のうちには山ほどあって、生きるということは後悔の種を増やし続けることかもしれないとすら思います。

また、世間の報道には、「少しでも弱みを見せたら徹底的に叩き潰す」というような性質の暴力性を感じます。一度でも道を踏み外したら社会に居場所はなくなる、という薄暗い呪いをかけられ続けているような。

もちろん、失われた命や、時間は当たり前に取り返せません。また、人と人との関わりの中では、舞台のセリフを読み落としてしまうように、「二度と戻れない瞬間」があります。

それでも今思うのは、私たちはいつか経験したことを、自分の目と頭で「取り返しに行く」のだろうな。ということです。

悲しいことや、不可解なこと、理不尽なことも、起こった時にはわけもわからぬまま感情をぼろぼろとこぼしていくしかなかったけれど、いつか「あれはこういうことだったのか」と、その時に落とした感情をあらためて拾いなおしにいけるのだろうな、それが大人になるということなんだろうな、と。

あの日怒っていた両親の気持ちがいつかわかる日が来るように。

あの日去っていった友の気持ちがいつか自分にも降るように。

取り返しのつかないことは確かにいくらでもありますが、質量保存の法則さながら、失ったものはいつか形を変えてあなたの人生に補完される日が来ます。あなたの人生はあなたの世界なので、実はいつも限りなく完全に近いシステムで回っているのかもしれません。

人は、容れ物なのかもしれない

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 広島と長崎に落とされた新型爆弾の影響で、日本は敗戦を迎えます。

あんなに何もかも失ったのに、失う覚悟で戦っていたのに、今更負けを認めるなんて。と、やり場のない怒りを爆発させるすずの頭を、失ったはずの右手が優しく撫でるという幻影が描かれます。

悔しさや憤り、喪失感と無力感の中、それでも生きて、過ぎ去った全ての人々を思い出しながら歩いていく日々の中で、すずはふと思います。

「この先ずっと、うちは笑顔の容れ物なんです」

いままで出会った人、すれ違った人、笑みを交わした人たちのその笑顔を、自分も口のはしに宿していると。

そう腑に落ちたすずの、世界に溶け込むような答えは、形がなくそしてとても透き通った、本当の正しさを宿していました。

人の個性や役割など、いくら探して名前をつけて可視化して安心せど、いつなくなるかもわかりません。これは私の役目だ、だから私には生きる意味があるんだ。と言い聞かせていた事柄すらも、目の前にそれよりも上手に同じ役割をこなせる人、似通った個性を持っている人が現れてもおかしくありません。

だけれど、人というのはほんとうに容れ物のようなものかもしれません。あなたの中に、あなたが今まで見てきたもの、こと、通ってきた道やしてきたこと、好きと嫌いと、降りかかった火の粉とその熱さも、乾いた喉を潤したあの水のつめたさも、あらゆるすべてのことがあなたという器にたまたま奇跡のバランスで入っていて、それがあなたを為しています。

その奇跡はあなたの身体の中にしかなく、その内容にかかわらず、それだけで私は絶対に生きていることの価値があると、「価値」などという暗に値踏みするような言葉を使うことすら煩わしいほどシンプルに、あなたがこの世に居るべきでしかないのだと、言い切ることができるんです。

いつか光にしかならないことを

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 「どんなことだってあってよかった」だなんて、どこからか怒号が飛んできそうでとても大きな声では言えないものですが、それが「この世界にとって」ではなく「あなたにとって」の範囲であれば、どんな出来事も微笑みの理由に、そして透明な涙の理由に変えていくことができます。

上映中の、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画『エンドレス・ポエトリー』では、厳しく独善的だった父親へ、最後に「愛を受けなかったから愛を強く望むことができた、抑圧されたからこそ自由を求めている自分に気づいた」といったことを告げるシーンがあります。

もっとも多くの場合、自分に与えられたマイナスまで包み込むことは容易でなく、またそれをする義務もありませんが、いつかそんなふうに「ありがとう」まで感情を引き連れていけるのならば、それはとても美しい事象だな。と思います。

いなくなったことが、「居たこと」をなによりも教えてくれるように。

持っていなかったことが、欲しがるための原動力になったように。

悲しいこと、苦しいこと、辛いこと、空虚や退屈すらも、最後にはあなたがその手で光にしていくのだと思います。あなたが生きているかぎり、何が起こっても光にしかならないのだと、いつか覚えておいてください。

「自分でいたい」と願うとき

戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 生きるということに、言語化しうる確かな理由がないように、この世の中も、あなたという存在自体についても、ほんとうに確かな要素などないのかもしれません。1分、1秒とまったく同じ形を保たず、すべてが変わり続けていきます。

言葉にして、仕分けて名札を貼って安心することもときには大切かもしれませんが、名前のついているものほど脆く、いつまでも不確かなものほど本当はずっと豊かです。

つねに流動している私たちは、出会い、別れ、生まれ変わり、を小さく繰り返しながら生きています。不確かな自分を生きながら、それでも「自分とは何か」と問うとき、「自分でいたい」と願うとき、それを教えてくれる誰かと一緒にいたいと願います。

あなたは、あなたでいるために、あなたをあなただと教えてくれる誰かと、手を繋ぐのだと思います。

はぐれないように、はぐれても見つけられるように。

映画のラストで、すずさんは、周作さんと初めて出会った橋の上でこう告げます。

「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」

だれもが主人公だ、という明るい物語もたくさんありますが、それは同時に、どこもかしこもがそれぞれ、この世界の片隅にすぎないということでもあります。

世界中を探し回ったわけでもない、ここが世界の真ん中なわけでもない、それなのに巡り合ってしまえたあなたの人生の愛すべきすべて、あなたという器の中になるべくずっと仕舞っておきたいと思える何かのことを、あなたはとっくに愛しているのだと思います。

どうしても生きることに根拠が欲しいと願う時、その愛が、あなただけの根拠になってくれるはずです。どこにでもいる、だけれどどこにもいない世界でひとりのあなたが、ちゃんと世界一特別なのだと、あなた自身はちゃんと知っていてください。誰と比べる余地もなく。 戸田真琴さん(撮影:飯田エリカ) 戸田真琴さんの写真をもっと見る(全35枚)

今回で、戸田真琴さんの映画コラム連載『悩みをひらく、映画と、言葉と』は最終回です。ここまでのご愛読、SNSやDMでの感想など、多くの反響をいただき誠にありがとうございました。戸田真琴さんとの新企画にも、どうぞご期待ください。

今回紹介した映画:『この世界の片隅に』(片渕須直監督,2016年,日本)、『エンドレス・ポエトリー』(アレハンドロ・ホドロフスキー監督,2016年,フランス・チリ・日本)

編集:長谷川賢人 写真:飯田エリカ

これまでの連載コラム

戸田真琴 // とだまこと

AV女優

AV女優として処女のまま2016年にデビュー。愛称はまこりん。趣味は映画鑑賞と散歩。ブログ『まこりん日和』も更新中。「ミスiD2018」受賞。アメリカ・メンフィスで撮影した2冊目の写真集が2018年1月発売予定。連動した写真展は1月24日〜28日渋谷ギャラリー・ルデコにて開催予定。

Twitter : @toda_makoto
Instagram : @toda_makoto

戸田真琴

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連載
戸田真琴のコラム『悩みをひらく、映画と、言葉と』
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この記事へのコメント(4)

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匿名のユーザー

匿名のユーザー

全て自分に帰結していくなら私は何を望むかと思えば
ずっと望んでいて思っていたあの場所を見ながら生きていこうと思いました
でっかく開いて大きく光ってるあの場所に

匿名のユーザー

匿名のユーザー

まこりんの文章、生き方に、いつもハッとさせられて助けられて泣きそうになります。あまり口に出したりしませんが感謝しています。自分のつまらく、くだらない人生の心の拠り所になっています。そのせいでかはわかりませんが、まこりんの本業のほうを正面からうまく見られません…きっとそのお仕事を理解している頭とは別に、好きな人にそういうお仕事をして欲しくないという、差別的な汚い自分がいるからなのだと思います。自分の利用していた業界に、まこりんのデビューがなければ、知ることすらできなかったというのに。

匿名のユーザー

匿名のユーザー

「この世界の片隅に」は、うまく語る言葉がないくらいに素晴らしい作品だと思っています。それをこんなに優しく、柔らかく、あわあわと語られると…。作品に流れる、生きることへの深い哀しみと温かい励ましを心の深いところで受け止めたまこりんが、私の背をそっと、「右手」で押してくれたような気がします。
また泣いてしまいそうになりますね。

このコラム、毎回すごい内容で、まこりんの深く、静かで激しく、温かい心がよく伝わってきて、大好きです。今回、最終回ということですごく寂しいですが、進化中のまこりんなので、きっと第二形態での再連載があると勝手に思ってます!
このステキなコラムを提供してくださり、KAI-YOUさん、ありがとうございます。
そしてもちろん、まこりん、本当にありがとうございます。

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