千束とたきなの関係性を引き立てるレイアウト
ということで、序文から戻って本題である。錦木千束と井ノ上たきなの関係性についてだ。とある事件で犯人を射殺すべく、命令違反をしてしまったたきなは、喫茶リコリコに島流しされてしまった。しかし、事件について怪訝に感じる彼女は、リコリコの転属に納得がいっていない。その不器用な性格のまま千束に接していた。
だが、朗らかな千束と過ごしていく中で、バディとして信頼されていたことを知る。苦手意識も振り払い、ついには「千束」と呼び捨てにするほどに関係性が深まっていくのである。 いみぎむるのキュートなデザイン(キャラクター原案ではなく、漫画家がアニメ用の設定画を描いているのがポイント)もさることながら、足立監督のフェティッシュな画面づくりが二人の関係性を引き立たせる。ブラ紐の執拗な描き方や、着用している状態では女性用ショーツを描かない徹底した演出プランにも驚嘆だ。
……と書いてしまうと、一部のアニメファン向けの作品なのか、と思われてしまいそうだが、そういうわけではない。例えば第3話まで、まだ心を開ききっていないたきなは、頑なに千束の隣の席には座ろうとしない。電車はもちろん向かい合わせ。そこで交わされる会話も、どこかぶっきらぼうである。
だが、第3話のある出来事を経て、たきなは千束の隣に座るようになった。そして心を開き、千束へ笑みを浮かべるようになる。光の当て方も鮮やかで、とにかく「画面を観たい!」と30分間思わせるようなレイアウト(キャラや背景の配置を含めた画面の構図)が徹底されているのが『リコリス・リコイル』の面白いポイントの一つだ。 同じく第3話で千束がたきなを抱き上げて回転するシーン、第4話でカフェにいるたきなが髪を風に揺らしながら空を見上げるシーン、第5話終盤の仰向けの千束の胸にたきながもたれかかるシーンなどなど、どの話数でも必ず視聴者を引き込むシーンが存在する。それらは作画に加え、レイアウトの巧みさによってもたらされるある種の違和感。センスとも言い換えられる、これまでのアニメにはなかった演出だ。
しかし忘れてはならないのが、二人のいる場所は硝煙の匂いがする場所ということである。いつ命が失われるか分からない。ハッカーを護衛していると思えば、車が乗っ取られて突如の銃撃戦なんてことも日常茶飯事。 旅行カバンを盾にしてたきなが戦うカットは、中腰ではなく仰向けで、咄嗟の判断というのが画面越しに伝わってくる(このレイアウトも素晴らしい──カバンの大きさから中腰では防げない→仰向けという判断、直後の体勢を真上から描いている ※第2話)。そんな中で育まれる彼女たちの友情の行方はいかに──!?(ちなみに筆者は千束派です)。
『リコリス・リコイル』は毎週土曜日23時30分からTOKYO MX、BS11などで放送中のほか、Netflix、Amazon Prime Videoなどでも配信中だ。
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