その界隈の代表的な文化だ
時間をかけて培われた文化だ
おもしろい
と思っているにもかかわらず、その道の信奉者はそんな印象の持たれ方に対して
不本意だ
そのコンテンツはジャンルの代表にはふさわしくない
ジャンルの正道のコンテンツを見て欲しい
と怒っているようなことがある。
当たり前だが、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に何かを誤解した状態で入っていく。
この記事では、ウィキペディアンである私の視点から、Wikipediaの人気記事として知られる「Wikipedia三大文学」について、なぜそのような呼ばれ方がなぜ本意ではないのかを解説していく。
自分の信奉するジャンルの誤解が世間に広まったとき、何をすればいいのか。
なぜウィキペディアンはWikipedia三大文学が嫌いなのか
「Wikipedia三大文学」とは、Webメディア「INTERNET Watch」(外部リンク)や「毎日新聞」(外部リンク)によると、「地方病 (日本住血吸虫症)(外部リンク)」「三毛別羆事件(外部リンク)」「八甲田雪中行軍遭難事件(外部リンク)」の三つの記事を指す。
この内、Wikipedia内の独自の格付けである「秀逸な記事」に選ばれているのは、地方病の記事のみだ。
「秀逸な記事」は、Wikipediaにある記事の中でも特に質が高く、ほかの記事の手本となるような素晴らしい記事を選定するシステムであり、ウィキペディアンが他のウィキペディアンが書いた記事を選考する。
秀逸な記事に選ばれると、記事の右上に星のマークがつく。
Wikipedia三大文学の中で選ばれているのは地方病の記事のみで、三毛別羆と八甲田は秀逸な記事の選考を通らなかった。
どちらも秀逸な記事として認めないという意見が集まり、反論が為されなかったため、早期に議論を締め切られてしまっている。
選考時の実際の議論では、読み物としての面白さは関係なく、出典や記述の幅の狭さが指摘されている。
Wikipediaでは、面白いかどうか、読ませるか文章かどうかはどうでもよく、調べものの役に立つか、百科事典の記事として有用かどうかだけが重要なのである。
Wikipediaは誤解されている
八甲田に関する一次資料は当事者の報告がほとんどであり、当事者の報告をWikipedia上に再編したのは、一市民かつ専門家ではないウィキペディアンのだれかである。
三毛別羆は木村盛武氏の『慟哭の谷』というルポが、出典のほとんど、というよりも、内容のほとんどを占めている。大幅に改稿される前は事実上、『慟哭の谷』の引き写しに近かった。分析や行政の対応に関しては、出典も記述も足りていない。
「熊が人を襲ったこと」「雪山で遭難したこと」ばかりが詳しく載っていて、周囲の情報がほとんどないのだ。三毛別と八甲田の記事からは自然の恐ろしさが伝わってくる。そしてそれだけである。
他にWikipedia文学の一角として挙げられることの多い記事には、
「岡田更生館事件」(外部リンク)がある。
こちらの記事では登場人物のセリフの捏造のおそれ、書籍からのコピペ、引いては著作権侵害のおそれが発覚。最終的には管理者によって問題のある記述が削除された。
八甲田も三毛別も更生館も、問題のある記述を削るなどの対応により、一時期よりも大幅に手が加えられている。
SNS上では、そのような変更に対して
読みごたえがあったのに、変わってしまって残念
という、Wikipediaを無料の時間つぶしサイトだと勘違いしているのだと思われる声も見られる。これはすなわち、Wikipediaの目的やシステムが、世間に伝わっていない証拠である。
ボディビルもまた、誤解されている
Wikipedia三大文学にと同じく、新規参入者が誤解をしてしまっている例として、「ボディビルの掛け声」がある。
テレビ番組ではボディビルの内容ではなく掛け声のみが取り上げられ、アニメ『ダンベル何キロ持てる?』の主題歌「お願いマッスル」では合いの手にもなった。
「ディフィニション」「バルク」という、入門書に載っているようなボディビルの基本的な用語よりも、「ジープ」「眠れない夜」のような掛け声に使われる用語のほうが広まっている。
NHKラジオで2020年まで放送されていた「すっぴん」という番組のボディビルの回で、雑誌『月刊ボディビルディング』編集長の鎌田勉氏が、ボディビルの掛け声についてこう述べていた。
「こんなかけ声が出ること自体バカにしてるのかと。ウケねらいが多いので。」
「訳の分かんないジープだとか、「何じゃいそれ」って。なめんなって感じですね。」
「選手、こんなかけ声もらっても、うれしくないと思います。」
via「読むらじる『うわ、気持ち悪い』上等! ボディビルの世界」
この反応は、「Wikipedia三大文学、大好きです!」と言われたときのウィキペディアンの反応と、とてもよく似ている。
わかりやすい入口が誤解を招いてしまう
そもそもWikipediaやボディビルに限らず門外漢は誤解するものである。信奉者は入りやすい入り口からやってきた門外漢を受け入れ、きちんと説明するほかない。
ボディビル業界は2018年に、「公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟」監修のもと、ボディビルの掛け声だけを集めた本『ボディビルのかけ声辞典』(スモール出版)を出版した。
この本では、タイトルとは裏腹に、全95ページのうち40ページまでが基礎知識の解説に割かれている。
あとがきや目次があることを考えれば、『かけ声辞典』のおよそ半分が掛け声ではなく、初心者向けの解説で埋まっていることになる。
また、『ボディビル大会観戦ガイド』という2020年8月に出た本では、このように書かれている。
「観戦の入り口は何でも良いのです」
via『ボディビル大会観戦ガイド』
Wikipediaのアウトリーチ活動をし始めて、私はWikipediaをよく知らない人と会話する機会が増えた。
私が感じた限りでは、ウィキペディアンではない人の中には、いわゆる"ウィキペディア文学"と呼ばれる記事を「好きですよ」「いいですね」とする人が本当に多い。証拠などないが、肌で感じる。
「中国の女性史(外部リンク)」「としまえんの水上設置遊具による溺水事故(外部リンク)」「ばね(外部リンク)」といった秀逸な記事の話は出ず、三毛別と八甲田の話がでる。
しかし、そこから話は広がっていく。興味を持っていれば、秀逸な記事のこと、出典のこと、Wikipediaが百科事典であることなどへ、話を広げていくことができる。
新規参入者は誤解した状態でやってくる
【藤井聡太五冠が初の佐渡上陸】憧れの棋士がやってきた!ファンや子どもたちが大興奮
新規参入者が誤解しているというのは、どんなジャンルでも往々にしてみられる構図だ。藤井聡太が躍進した時、注目されたのは棋譜内容ではなく昼食だった。ksonが躍進したとき、注目されたのは配信内容ではなく金額だった。
全てのジャンルは門外漢に誤解される。別の言い方をすると、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に誤解した状態である。
新規参入した人間はまず間違っている。だが、間違っているからと言って追い出すと、そのジャンルは先細っていってしまう。そんなジャンルに、未来はない。
少なくともボディビル業界は、誤解に対して「それは誤解だ」ときちんと表明したうえで、門外漢が入りやすい入り口から受け入れようとしている。こういった対応のは、将棋にもVTuberにも、どのジャンルでも有効だ。
例えばこの記事そのものも、その一例となっているだろう。
ユーザーがつくり出していく文化
おもしろい
と思っているにもかかわらず、その道の信奉者はそんな印象の持たれ方に対して
不本意だ
そのコンテンツはジャンルの代表にはふさわしくない
ジャンルの正道のコンテンツを見て欲しい
と怒っているようなことがある。
当たり前だが、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に何かを誤解した状態で入っていく。
この記事では、ウィキペディアンである私の視点から、Wikipediaの人気記事として知られる「Wikipedia三大文学」について、なぜそのような呼ばれ方がなぜ本意ではないのかを解説していく。
自分の信奉するジャンルの誤解が世間に広まったとき、何をすればいいのか。
なぜウィキペディアンはWikipedia三大文学が嫌いなのか
「Wikipedia三大文学」とは、Webメディア「INTERNET Watch」(外部リンク)や「毎日新聞」(外部リンク)によると、「地方病 (日本住血吸虫症)(外部リンク)」「三毛別羆事件(外部リンク)」「八甲田雪中行軍遭難事件(外部リンク)」の三つの記事を指す。
この内、Wikipedia内の独自の格付けである「秀逸な記事」に選ばれているのは、地方病の記事のみだ。
「秀逸な記事」は、Wikipediaにある記事の中でも特に質が高く、ほかの記事の手本となるような素晴らしい記事を選定するシステムであり、ウィキペディアンが他のウィキペディアンが書いた記事を選考する。
秀逸な記事に選ばれると、記事の右上に星のマークがつく。
Wikipedia三大文学の中で選ばれているのは地方病の記事のみで、三毛別羆と八甲田は秀逸な記事の選考を通らなかった。
どちらも秀逸な記事として認めないという意見が集まり、反論が為されなかったため、早期に議論を締め切られてしまっている。
選考時の実際の議論では、読み物としての面白さは関係なく、出典や記述の幅の狭さが指摘されている。
Wikipediaでは、面白いかどうか、読ませるか文章かどうかはどうでもよく、調べものの役に立つか、百科事典の記事として有用かどうかだけが重要なのである。
Wikipediaは誤解されている
八甲田に関する一次資料は当事者の報告がほとんどであり、当事者の報告をWikipedia上に再編したのは、一市民かつ専門家ではないウィキペディアンのだれかである。
三毛別羆は木村盛武氏の『慟哭の谷』というルポが、出典のほとんど、というよりも、内容のほとんどを占めている。大幅に改稿される前は事実上、『慟哭の谷』の引き写しに近かった。分析や行政の対応に関しては、出典も記述も足りていない。
「熊が人を襲ったこと」「雪山で遭難したこと」ばかりが詳しく載っていて、周囲の情報がほとんどないのだ。三毛別と八甲田の記事からは自然の恐ろしさが伝わってくる。そしてそれだけである。
他にWikipedia文学の一角として挙げられることの多い記事には、
「岡田更生館事件」(外部リンク)がある。
こちらの記事では登場人物のセリフの捏造のおそれ、書籍からのコピペ、引いては著作権侵害のおそれが発覚。最終的には管理者によって問題のある記述が削除された。
八甲田も三毛別も更生館も、問題のある記述を削るなどの対応により、一時期よりも大幅に手が加えられている。
SNS上では、そのような変更に対して
読みごたえがあったのに、変わってしまって残念
という、Wikipediaを無料の時間つぶしサイトだと勘違いしているのだと思われる声も見られる。これはすなわち、Wikipediaの目的やシステムが、世間に伝わっていない証拠である。
ボディビルもまた、誤解されている
Wikipedia三大文学にと同じく、新規参入者が誤解をしてしまっている例として、「ボディビルの掛け声」がある。
テレビ番組ではボディビルの内容ではなく掛け声のみが取り上げられ、アニメ『ダンベル何キロ持てる?』の主題歌「お願いマッスル」では合いの手にもなった。
「ディフィニション」「バルク」という、入門書に載っているようなボディビルの基本的な用語よりも、「ジープ」「眠れない夜」のような掛け声に使われる用語のほうが広まっている。
NHKラジオで2020年まで放送されていた「すっぴん」という番組のボディビルの回で、雑誌『月刊ボディビルディング』編集長の鎌田勉氏が、ボディビルの掛け声についてこう述べていた。
「こんなかけ声が出ること自体バカにしてるのかと。ウケねらいが多いので。」
「訳の分かんないジープだとか、「何じゃいそれ」って。なめんなって感じですね。」
「選手、こんなかけ声もらっても、うれしくないと思います。」
via「読むらじる『うわ、気持ち悪い』上等! ボディビルの世界」
この反応は、「Wikipedia三大文学、大好きです!」と言われたときのウィキペディアンの反応と、とてもよく似ている。
わかりやすい入口が誤解を招いてしまう
そもそもWikipediaやボディビルに限らず門外漢は誤解するものである。信奉者は入りやすい入り口からやってきた門外漢を受け入れ、きちんと説明するほかない。
ボディビル業界は2018年に、「公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟」監修のもと、ボディビルの掛け声だけを集めた本『ボディビルのかけ声辞典』(スモール出版)を出版した。
この本では、タイトルとは裏腹に、全95ページのうち40ページまでが基礎知識の解説に割かれている。
あとがきや目次があることを考えれば、『かけ声辞典』のおよそ半分が掛け声ではなく、初心者向けの解説で埋まっていることになる。
また、『ボディビル大会観戦ガイド』という2020年8月に出た本では、このように書かれている。
「観戦の入り口は何でも良いのです」
via『ボディビル大会観戦ガイド』
Wikipediaのアウトリーチ活動をし始めて、私はWikipediaをよく知らない人と会話する機会が増えた。
私が感じた限りでは、ウィキペディアンではない人の中には、いわゆる"ウィキペディア文学"と呼ばれる記事を「好きですよ」「いいですね」とする人が本当に多い。証拠などないが、肌で感じる。
「中国の女性史(外部リンク)」「としまえんの水上設置遊具による溺水事故(外部リンク)」「ばね(外部リンク)」といった秀逸な記事の話は出ず、三毛別と八甲田の話がでる。
しかし、そこから話は広がっていく。興味を持っていれば、秀逸な記事のこと、出典のこと、Wikipediaが百科事典であることなどへ、話を広げていくことができる。
新規参入者は誤解した状態でやってくる
【藤井聡太五冠が初の佐渡上陸】憧れの棋士がやってきた!ファンや子どもたちが大興奮
新規参入者が誤解しているというのは、どんなジャンルでも往々にしてみられる構図だ。藤井聡太が躍進した時、注目されたのは棋譜内容ではなく昼食だった。ksonが躍進したとき、注目されたのは配信内容ではなく金額だった。
全てのジャンルは門外漢に誤解される。別の言い方をすると、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に誤解した状態である。
新規参入した人間はまず間違っている。だが、間違っているからと言って追い出すと、そのジャンルは先細っていってしまう。そんなジャンルに、未来はない。
少なくともボディビル業界は、誤解に対して「それは誤解だ」ときちんと表明したうえで、門外漢が入りやすい入り口から受け入れようとしている。こういった対応のは、将棋にもVTuberにも、どのジャンルでも有効だ。
例えばこの記事そのものも、その一例となっているだろう。
ユーザーがつくり出していく文化
そのコンテンツはジャンルの代表にはふさわしくない
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当たり前だが、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に何かを誤解した状態で入っていく。
この記事では、ウィキペディアンである私の視点から、Wikipediaの人気記事として知られる「Wikipedia三大文学」について、なぜそのような呼ばれ方がなぜ本意ではないのかを解説していく。
自分の信奉するジャンルの誤解が世間に広まったとき、何をすればいいのか。
なぜウィキペディアンはWikipedia三大文学が嫌いなのか
「Wikipedia三大文学」とは、Webメディア「INTERNET Watch」(外部リンク)や「毎日新聞」(外部リンク)によると、「地方病 (日本住血吸虫症)(外部リンク)」「三毛別羆事件(外部リンク)」「八甲田雪中行軍遭難事件(外部リンク)」の三つの記事を指す。
この内、Wikipedia内の独自の格付けである「秀逸な記事」に選ばれているのは、地方病の記事のみだ。
「秀逸な記事」は、Wikipediaにある記事の中でも特に質が高く、ほかの記事の手本となるような素晴らしい記事を選定するシステムであり、ウィキペディアンが他のウィキペディアンが書いた記事を選考する。
秀逸な記事に選ばれると、記事の右上に星のマークがつく。
Wikipedia三大文学の中で選ばれているのは地方病の記事のみで、三毛別羆と八甲田は秀逸な記事の選考を通らなかった。
どちらも秀逸な記事として認めないという意見が集まり、反論が為されなかったため、早期に議論を締め切られてしまっている。
選考時の実際の議論では、読み物としての面白さは関係なく、出典や記述の幅の狭さが指摘されている。
Wikipediaでは、面白いかどうか、読ませるか文章かどうかはどうでもよく、調べものの役に立つか、百科事典の記事として有用かどうかだけが重要なのである。
Wikipediaは誤解されている
八甲田に関する一次資料は当事者の報告がほとんどであり、当事者の報告をWikipedia上に再編したのは、一市民かつ専門家ではないウィキペディアンのだれかである。
三毛別羆は木村盛武氏の『慟哭の谷』というルポが、出典のほとんど、というよりも、内容のほとんどを占めている。大幅に改稿される前は事実上、『慟哭の谷』の引き写しに近かった。分析や行政の対応に関しては、出典も記述も足りていない。
「熊が人を襲ったこと」「雪山で遭難したこと」ばかりが詳しく載っていて、周囲の情報がほとんどないのだ。三毛別と八甲田の記事からは自然の恐ろしさが伝わってくる。そしてそれだけである。
他にWikipedia文学の一角として挙げられることの多い記事には、
「岡田更生館事件」(外部リンク)がある。
こちらの記事では登場人物のセリフの捏造のおそれ、書籍からのコピペ、引いては著作権侵害のおそれが発覚。最終的には管理者によって問題のある記述が削除された。
八甲田も三毛別も更生館も、問題のある記述を削るなどの対応により、一時期よりも大幅に手が加えられている。
SNS上では、そのような変更に対して
読みごたえがあったのに、変わってしまって残念
という、Wikipediaを無料の時間つぶしサイトだと勘違いしているのだと思われる声も見られる。これはすなわち、Wikipediaの目的やシステムが、世間に伝わっていない証拠である。
ボディビルもまた、誤解されている
Wikipedia三大文学にと同じく、新規参入者が誤解をしてしまっている例として、「ボディビルの掛け声」がある。
テレビ番組ではボディビルの内容ではなく掛け声のみが取り上げられ、アニメ『ダンベル何キロ持てる?』の主題歌「お願いマッスル」では合いの手にもなった。
「ディフィニション」「バルク」という、入門書に載っているようなボディビルの基本的な用語よりも、「ジープ」「眠れない夜」のような掛け声に使われる用語のほうが広まっている。
NHKラジオで2020年まで放送されていた「すっぴん」という番組のボディビルの回で、雑誌『月刊ボディビルディング』編集長の鎌田勉氏が、ボディビルの掛け声についてこう述べていた。
「こんなかけ声が出ること自体バカにしてるのかと。ウケねらいが多いので。」
「訳の分かんないジープだとか、「何じゃいそれ」って。なめんなって感じですね。」
「選手、こんなかけ声もらっても、うれしくないと思います。」
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この反応は、「Wikipedia三大文学、大好きです!」と言われたときのウィキペディアンの反応と、とてもよく似ている。
わかりやすい入口が誤解を招いてしまう
そもそもWikipediaやボディビルに限らず門外漢は誤解するものである。信奉者は入りやすい入り口からやってきた門外漢を受け入れ、きちんと説明するほかない。
ボディビル業界は2018年に、「公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟」監修のもと、ボディビルの掛け声だけを集めた本『ボディビルのかけ声辞典』(スモール出版)を出版した。
この本では、タイトルとは裏腹に、全95ページのうち40ページまでが基礎知識の解説に割かれている。
あとがきや目次があることを考えれば、『かけ声辞典』のおよそ半分が掛け声ではなく、初心者向けの解説で埋まっていることになる。
また、『ボディビル大会観戦ガイド』という2020年8月に出た本では、このように書かれている。
「観戦の入り口は何でも良いのです」
via『ボディビル大会観戦ガイド』
Wikipediaのアウトリーチ活動をし始めて、私はWikipediaをよく知らない人と会話する機会が増えた。
私が感じた限りでは、ウィキペディアンではない人の中には、いわゆる"ウィキペディア文学"と呼ばれる記事を「好きですよ」「いいですね」とする人が本当に多い。証拠などないが、肌で感じる。
「中国の女性史(外部リンク)」「としまえんの水上設置遊具による溺水事故(外部リンク)」「ばね(外部リンク)」といった秀逸な記事の話は出ず、三毛別と八甲田の話がでる。
しかし、そこから話は広がっていく。興味を持っていれば、秀逸な記事のこと、出典のこと、Wikipediaが百科事典であることなどへ、話を広げていくことができる。
新規参入者は誤解した状態でやってくる
【藤井聡太五冠が初の佐渡上陸】憧れの棋士がやってきた!ファンや子どもたちが大興奮
新規参入者が誤解しているというのは、どんなジャンルでも往々にしてみられる構図だ。藤井聡太が躍進した時、注目されたのは棋譜内容ではなく昼食だった。ksonが躍進したとき、注目されたのは配信内容ではなく金額だった。
全てのジャンルは門外漢に誤解される。別の言い方をすると、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に誤解した状態である。
新規参入した人間はまず間違っている。だが、間違っているからと言って追い出すと、そのジャンルは先細っていってしまう。そんなジャンルに、未来はない。
少なくともボディビル業界は、誤解に対して「それは誤解だ」ときちんと表明したうえで、門外漢が入りやすい入り口から受け入れようとしている。こういった対応のは、将棋にもVTuberにも、どのジャンルでも有効だ。
例えばこの記事そのものも、その一例となっているだろう。
ユーザーがつくり出していく文化
当たり前だが、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に何かを誤解した状態で入っていく。
この記事では、ウィキペディアンである私の視点から、Wikipediaの人気記事として知られる「Wikipedia三大文学」について、なぜそのような呼ばれ方がなぜ本意ではないのかを解説していく。
自分の信奉するジャンルの誤解が世間に広まったとき、何をすればいいのか。
なぜウィキペディアンはWikipedia三大文学が嫌いなのか
「Wikipedia三大文学」とは、Webメディア「INTERNET Watch」(外部リンク)や「毎日新聞」(外部リンク)によると、「地方病 (日本住血吸虫症)(外部リンク)」「三毛別羆事件(外部リンク)」「八甲田雪中行軍遭難事件(外部リンク)」の三つの記事を指す。この内、Wikipedia内の独自の格付けである「秀逸な記事」に選ばれているのは、地方病の記事のみだ。
「秀逸な記事」は、Wikipediaにある記事の中でも特に質が高く、ほかの記事の手本となるような素晴らしい記事を選定するシステムであり、ウィキペディアンが他のウィキペディアンが書いた記事を選考する。
秀逸な記事に選ばれると、記事の右上に星のマークがつく。 Wikipedia三大文学の中で選ばれているのは地方病の記事のみで、三毛別羆と八甲田は秀逸な記事の選考を通らなかった。
どちらも秀逸な記事として認めないという意見が集まり、反論が為されなかったため、早期に議論を締め切られてしまっている。
選考時の実際の議論では、読み物としての面白さは関係なく、出典や記述の幅の狭さが指摘されている。
Wikipediaでは、面白いかどうか、読ませるか文章かどうかはどうでもよく、調べものの役に立つか、百科事典の記事として有用かどうかだけが重要なのである。
Wikipediaは誤解されている
八甲田に関する一次資料は当事者の報告がほとんどであり、当事者の報告をWikipedia上に再編したのは、一市民かつ専門家ではないウィキペディアンのだれかである。三毛別羆は木村盛武氏の『慟哭の谷』というルポが、出典のほとんど、というよりも、内容のほとんどを占めている。大幅に改稿される前は事実上、『慟哭の谷』の引き写しに近かった。分析や行政の対応に関しては、出典も記述も足りていない。 「熊が人を襲ったこと」「雪山で遭難したこと」ばかりが詳しく載っていて、周囲の情報がほとんどないのだ。三毛別と八甲田の記事からは自然の恐ろしさが伝わってくる。そしてそれだけである。
他にWikipedia文学の一角として挙げられることの多い記事には、
「岡田更生館事件」(外部リンク)がある。
こちらの記事では登場人物のセリフの捏造のおそれ、書籍からのコピペ、引いては著作権侵害のおそれが発覚。最終的には管理者によって問題のある記述が削除された。
八甲田も三毛別も更生館も、問題のある記述を削るなどの対応により、一時期よりも大幅に手が加えられている。
SNS上では、そのような変更に対して
読みごたえがあったのに、変わってしまって残念
という、Wikipediaを無料の時間つぶしサイトだと勘違いしているのだと思われる声も見られる。これはすなわち、Wikipediaの目的やシステムが、世間に伝わっていない証拠である。
ボディビルもまた、誤解されている
Wikipedia三大文学にと同じく、新規参入者が誤解をしてしまっている例として、「ボディビルの掛け声」がある。
テレビ番組ではボディビルの内容ではなく掛け声のみが取り上げられ、アニメ『ダンベル何キロ持てる?』の主題歌「お願いマッスル」では合いの手にもなった。
「ディフィニション」「バルク」という、入門書に載っているようなボディビルの基本的な用語よりも、「ジープ」「眠れない夜」のような掛け声に使われる用語のほうが広まっている。
NHKラジオで2020年まで放送されていた「すっぴん」という番組のボディビルの回で、雑誌『月刊ボディビルディング』編集長の鎌田勉氏が、ボディビルの掛け声についてこう述べていた。
「こんなかけ声が出ること自体バカにしてるのかと。ウケねらいが多いので。」
「訳の分かんないジープだとか、「何じゃいそれ」って。なめんなって感じですね。」
「選手、こんなかけ声もらっても、うれしくないと思います。」
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この反応は、「Wikipedia三大文学、大好きです!」と言われたときのウィキペディアンの反応と、とてもよく似ている。
わかりやすい入口が誤解を招いてしまう
そもそもWikipediaやボディビルに限らず門外漢は誤解するものである。信奉者は入りやすい入り口からやってきた門外漢を受け入れ、きちんと説明するほかない。
ボディビル業界は2018年に、「公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟」監修のもと、ボディビルの掛け声だけを集めた本『ボディビルのかけ声辞典』(スモール出版)を出版した。
この本では、タイトルとは裏腹に、全95ページのうち40ページまでが基礎知識の解説に割かれている。
あとがきや目次があることを考えれば、『かけ声辞典』のおよそ半分が掛け声ではなく、初心者向けの解説で埋まっていることになる。
また、『ボディビル大会観戦ガイド』という2020年8月に出た本では、このように書かれている。
「観戦の入り口は何でも良いのです」
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私が感じた限りでは、ウィキペディアンではない人の中には、いわゆる"ウィキペディア文学"と呼ばれる記事を「好きですよ」「いいですね」とする人が本当に多い。証拠などないが、肌で感じる。
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しかし、そこから話は広がっていく。興味を持っていれば、秀逸な記事のこと、出典のこと、Wikipediaが百科事典であることなどへ、話を広げていくことができる。
新規参入者は誤解した状態でやってくる
【藤井聡太五冠が初の佐渡上陸】憧れの棋士がやってきた!ファンや子どもたちが大興奮
新規参入者が誤解しているというのは、どんなジャンルでも往々にしてみられる構図だ。藤井聡太が躍進した時、注目されたのは棋譜内容ではなく昼食だった。ksonが躍進したとき、注目されたのは配信内容ではなく金額だった。
全てのジャンルは門外漢に誤解される。別の言い方をすると、人は知らないジャンルに足を踏み入れるとき、ほぼ確実に誤解した状態である。
新規参入した人間はまず間違っている。だが、間違っているからと言って追い出すと、そのジャンルは先細っていってしまう。そんなジャンルに、未来はない。
少なくともボディビル業界は、誤解に対して「それは誤解だ」ときちんと表明したうえで、門外漢が入りやすい入り口から受け入れようとしている。こういった対応のは、将棋にもVTuberにも、どのジャンルでも有効だ。
例えばこの記事そのものも、その一例となっているだろう。
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「こんなかけ声が出ること自体バカにしてるのかと。ウケねらいが多いので。」
「訳の分かんないジープだとか、「何じゃいそれ」って。なめんなって感じですね。」
「選手、こんなかけ声もらっても、うれしくないと思います。」
via「読むらじる『うわ、気持ち悪い』上等! ボディビルの世界」
「観戦の入り口は何でも良いのです」
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ユーザーがつくり出していく文化
この記事どう思う?
宇喜多・W・要出
長らくWikipedia日本語版の編集を行うとともに、ジャンル開闢以来のVTuberファンでもあった。自身のプロパティを生かすべく、2020年12月よりYouTubeへの動画投稿を開始したウィキペディアンVTuber。WikipediaとYouTubeを結ぶために、YouTubeやツイッター、そしてKAI-YOUで活動している。生年月日未公開。年齢未公開。公開されている年齢はウィキペディア創設が2001年であることを表す。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:10599)
様々なコンテンツを楽しむ1ユーザーとして、あらゆる新規参入者は誤解をしているという意識は大変重要だなと思いました
自身を戒める良い言葉です
匿名ハッコウくん(ID:5688)
ウィキペディアを正しく理解してほしいなんて、本当の本当に必要なんでしょうか。私たちの知っているウィキペディアの枠からはみ出さないでくれと、最初期は好き勝手やっていた御仁による押し付けになっていませんか。そういった声があるから、じゃあこうしてで押し付けられたほうからすれば、鬱陶しいと思う人もたくさんいるのではないでしょうか。ダメだったら廃れたで、充分すぎるのではないでしょうか