俺も、彼がずっと大切にしているのは、避けられない不条理さ、理不尽さっていうところだと思う。
だけど俺は、藤本タツキのテーマは、つらいこと、悲しいこと、理不尽なことがあっても人はなぜ生きたいと渇望するのか。その欲望をテーマにしてるんじゃないかなとも感じてました。「向き合う」っていうよりも、「それでもなお人はなんで生きようとするんだろうな」みたいな問いなのかなと。
特に『チェンソーマン』は、デンジが「俺って幸せだったけど、でも本当はもっとやりたいことはあるんじゃないか」っていう自分の欲望に気付いていく。だから生きたいって思うんだよなっていう結論に、徐々に至っていく。
回復や治癒っていうよりも、生物は自動的に生きようとする。そこで、その自動的な営みに意味を与えるものってなんだろう、みたいなことをテーマにしてるのかなって思ってた。
理不尽な何かを乗り越えて、その先までなぜ生きるのかというところまで込みで描いてますよね。
デンジは最初「衣食住あればいい」っていう感じで、仲良くしてくれた姫乃先輩の死にもそんなにダメージを受けてなかったじゃないですか。
だんだん欲、言い換えれば人間性が芽生えてきたところで、アキくんやパワーの件で大きな喪失を味わった。それでも、欲が出てきちゃってるから生きていくんですね。
藤本タツキの天才性はどこにあるのか
だいぶ議論がガチめになってきたところで、次は「藤本タツキって結局何がすごいのか?」を語っていきたいと思います。
もうだいぶさっき語ってしまったけど、藤本タツキという作家は、自分自身が漫画を描く中で震災と向き合っていったように、理不尽に失われたものを取り戻す方法として、「生きること=物語を創ること」と見出してるんだと思います。
『ファイアパンチ』でトガタが映画をつくろう・復権させようとしたり、『チェンソーマン』でもマキマが自分の願いのためにある種のシナリオをつくっているのにも、「物語を創ること」への偏重的な希求が影響してるんだと思う。
創作が生きる原動力になるっていう意味では結構ポジティブな考えなんですかね?
ポジティブなのかもしれないけど、どちらかというと「呪い」みたいなものだと思う。
「呪い」(笑)。
藤本タツキの凄さが本当の意味で世間的に認められたのって『チェンソーマン』ではなく『ルックバック』だと思うんだけど。
そう思います。
藤野は京本のことを創作では救えていないんだけど、絶望するんだけど、藤野自身はそれでも創作を続けていく。
喪失に対して、創作を続けることで希望を抱くことはできるかもしれないみたいな感じだったと思う。
『ファイアパンチ』の映画の話ではまだあそこまで綺麗に昇華しきれてなかったと思うんです。これは何かしらの創作を経験した人ならわかると思うけど、作中劇とか作中での創作論への言及って本当にアマチュアクリエイターがやりがちなんです。どうしても『ファイアパンチ』は学生の自主制作映画っぽい……と思いながら読んでた。
でも、『チェンソーマン』と『ルックバック』ではその「物語る」理由・創作論が完全に作品のテーマとして合致して美しく昇華されてて。その異常なまでに成長速度がすごいと思った。
喪失と藤本タツキの成長に関連して、僕が美術を学んでいた頃に聞いた創作論の例え話がありまして。
若い人の作品は「自分はこういう傷を負ってます」と、癒えていない傷を治ってない、昇華できてない状態で見せる事が多いんです。でも成熟した人は、人に見られても大丈夫な形というか「傷がどういう風に治ったか」を見せる。
藤本タツキがどうやって震災や悲しい事件で得た喪失感を埋めていったのか。その治癒の過程が表現されたのが『チェンソーマン』だったり『ルックバック』だったんじゃないかなと思います。
なるほど。作家として今も思い悩んでるような感じはする。だからこそまだまだ成長すると思いますよ……末恐ろしいです!
もちろん成長はこの先もしていくと思うんですけど、傷をどうやって治し昇華していったのかという意味では『ルックバック』が1つのゴールになっていると思います。なので、『チェンソーマン』第2部で何が描かれるのかが楽しみですね。
『ファイアパンチ』『チェンソーマン』『ルックバック』を順に追っていくと、読み終わった後の幸福度、すっきり度が上がってるような気がしますよね。ちゃんといろんな人に届く表現になってる。
それは、やっぱり意識してたらしいですね(キリッ)。
そうなんですね。さっきから全然喋らないと思ったら……何を読んでるのコバヤシくん(笑)
漫画コンシェルジュとして、よねさんと渡り合うための武器を探して『このマンガがすごい!』2021年でタツキ先生が大賞を獲った時のインタビューを読み返してました😤😤😤
別にバトルじゃないから!!!
すぐマウント取ろうとする!
いやいや、漫画コンシェルジュの世界は甘くないですからね。インタビューによると、藤本タツキ自身も掲載媒体が『ジャンプ+』から『週刊少年ジャンプ』に変わったことで意識の変化はあったみたいです。
『ファイアパンチ』は「わかってくれる人だけわかってくれればいい」ぐらいのテンションで描いていたらしいんですけど、『チェンソーマン』では、もっと低い年齢層も対象にしてて、みんながわかるように意識してたようですね。
なるほど、届けようとする対象や広さが変わったって感じですね。
キャラのビジュアルもすごく若い子に好かれやすいようになってますもんね。
『ファイアパンチ』が全身燃えてるほぼ全裸の男がメインだったのに対して、『チェンソーマン』みたいに美形でポップなキャラクターが並んでると、やっぱり違うじゃないですか。
みんな『ジャンプ』でメインキャラを張り得る華のあるキャラクターたちでした。
成長性という意味で、藤本タツキはとにかく貪欲だし吸収力がすごいと思う。『ファイアパンチ』を連載してた時に、『無限の住人』の沙村広明さんと対談してたことがあって、その時にも「とにかく自分は上手くなりたい」ってずっと絵の話を聞いてたんだよね。
実際、絵もめちゃくちゃ上手くなってるもんね。
あとは、編集者の林士平さんがとにかく良いもの、名作をおすすめし続けて、そこから色んなことを吸収したんだって。「ジャンプルーキー」のインタビューで言ってました。
クソ映画を見続けて「自分だったらこうする」っていう起点から作品を作ってる冨樫義博先生と真逆の手法だ!
いやでも、クソ映画もたくさん見てきたと思うよ。『チェンソーマン』で、デンジは最後マキマに「アンタの作る最高に超いい世界にゃあ糞映画はあるかい?」って聞いてるように、クソ映画のことを否定してない。それはきっと良い作品もクソ映画も両方見続けた結果から生まれた台詞なんだろうなと思う。
この座談会シリーズ、毎回冨樫の話してませんか?!
たぶんしてるし、藤本タツキは冨樫義博からも少なからず影響を受けてると思う。というよりも、冨樫作品が好きな人は藤本作品も好きだと思うね。
にいみさんは藤本タツキのどこが凄いと思いますか?
細かいところだと、1つは表情で感情を伝えることの上手さが凄いと思う。必要じゃないところは一切書かないけど、表情と間でちゃんと表現している。
もう1つはよねさんとも近いんだけど、とにかく世界を物語として描きたいという欲望の強さが、他の漫画家たちと桁違いなんじゃないかな。
『チェンソーマン』とかを見ても、とにかくこの世界にあることを物語に書きつけるのが自分の使命なんだっていうのが迫力として、絵とかにも現れている。それは『ルックバック』でもそうで、俺はあの話を読んで藤本タツキの核は”やっぱここなんだな”ってなんとなく腑に落ちたよ。
だからみんな多分、強い藤本タツキの魂を作品のどこかしらで感じて、共感してるのかなって思った。
なるほど。コバヤシくんは、藤本タツキの創作のどこがすごいと思いますか?
僕はみんなが共感できる表現ががすごいと思うんですよね。古見湖さんの傷の話みたいに、ちょっと耳が痛かったり、自分の内面に留めておきたいような感情を、美麗なイラストとかで表現する力が抜群じゃないですか。
僕は『ルックバック』の、藤野が雨の中で踊るシーンの見開きで感動しました!
あれは鳥肌立った!
あの、下に見てた相手がすごい奴だったっていうモヤモヤも、雨の中で良いことがあって、ちょっと踊りたくなっちゃうような部分も、他人に見せるような部分じゃないけど、みんな持ってる要素じゃないですか。
そういうみんなが抱えている自意識の傷みたいな部分をああいう形で、インパクトを伴って出されると僕はもう「うおお! 流石俺たちの藤本タツキだぜ!!!」ってなっちゃう。だからこそみんなSNSで拡散するんだろうなって。
なるほどね。
あと、『チェンソーマン』で悪魔としてチェンソーとサメを選んでたのも、『このマンガがすごい!』のインタビューで「世の中の色んなものに対して、俺はそんなの認めないって斜に構えてた人達が最後の最後にサメに救われてるのが、チェンソーとかサメなんだってと思うんです」って言ってて。
モチーフの1つにもそういう屈折した自意識をくみ取っていて。そういった部分へのアンテナが鋭いんだと思います。
それは『ルックバック』とかすごい感じましたよね。「こういうのはすごい恥ずかしい経験だけど、みんなわかるよね」ってなってバズった。
そもそもなんで藤本タツキ漫画はこんなにヒットすることになったのか
藤本タツキ先生のすごさは語ってもらいましたが、なんでこんなにヒットしたと思いますか?
『チェンソーマン』第一部が終わって、藤本タツキ自身の評価も上がっている中、実際にあった事件について世間が考えている時期にしっかりタイミングを合わせて、伝えたいことを伝えた。そのやり切る能力がクリエイターとしてすごいなと思いましたね。
そうだね。発表時期に関しては、担当の林士平さんが、すごくマーケティングが上手だというのもあるかもしれないね。
ただ、出すべき時にちゃんと作品を仕上げてくるっていうのが、クリエイターとしては当たり前のようでいてむちゃくちゃすごいことだなと思うんです。
わかる。
『ルックバック』は確かにバズらせようとして見事にバズった感じがあるんですけど、『チェンソーマン』は、ニゲロさん(※)もDiscordに書いているように難しいじゃないですか。
『ジャンプ』の中ではとても難しい漫画になってると言っていいと思う。ありがちな心情の説明的な台詞とかないし、戦闘の解説役とかもいない、キャラクターを掘り下げるために用意された後付け回想シーンとかもないから!
(こいつ少年漫画嫌いなん?)でも毎週『ジャンプ』が発売されるとトレンドに入ってたりして。それは何でそうなったと思いますか?
やっぱり、にいみさんが前の『呪術廻戦』座談会の時に言ってたように『チェンソーマン』もかなり過激で感情が揺り動かされる”躁”な展開で物語がドライブしてて。みんなが毎週その感情をもろに受けて、Twitterとかで感想を言い合う。そういうコミュニケーションの積み重ねだと思います。
マーケティング的側面だと、俺もそうだと思う。
『チェンソーマン』ってやっぱり展開がすごい急じゃないですか。連載時は先読みができないって声もかなりありました。
それはちゃんと藤本先生が描きたかった「喪失」にもリンクしていて、その上で商業的にも、読者が食らっちゃうような展開で物語が運ばれていました。いわゆる「完成度」が成功の要因として大きいんじゃないですかね。
僕はさっき言った、屈折した自意識の扱い方にあると思っていて。初期のデンジの「夢バトルしようぜ!」とか、「俺この娘好きになっちまう」っていうちょっと情けないボンクラ男子みたいなノリが、ネットミームとして使われていたと思うんですよ。
夢バトルと、「俺は俺の事を好きな人が好きだ」みたいなセリフは、確かによくリプライ欄とかで見かけますね😂
姫野先輩への手向けとして行われた「最強の大会」の話とかもよく見たし、LINEスタンプにもなってました。
上の話にも納得なんですが、もっと本質的な話をすると。『チェンソーマン』はたしかにふつうに考えたら難しいんだけど、そもそもジャンプ読者・漫画読者のレベルが近年上がっていて。あの物語についていける読者が時代的に増えてるんだと思います。昔のジャンプだったら『チェンソーマン』は絶対に載ってないというか。
確かに。ジャンプのターゲット層が上がってるっていうのは絶対あると思いますね。
僕は『チェンソーマン』を読んで「これがジャンプに載ってるんだ」っていう感動をまず覚えました。話の難しさとか、絵柄の系統も含めて明らかに従来のジャンプ作品よりも『月刊アフタヌーン』とか、かつての『IKKI』の掲載作品に雰囲気が近いじゃないですか。
これは米津玄師がJ-POPのチャートで1位になるんだ!っていう感覚にかなり近いです。いままでだったらマニア間で高く評価されていたような複雑で難しい音楽もちゃんと大衆に届くようになっている。それは状況や環境の問題なんです。
確かに『ファイアパンチ』や『チェンソーマン』がアフタヌーン作品っぽいのはわかります。
本当に『チェンソーマン』初めて読んだ時の印象は、IKKIで連載してた松本次郎『フリージア』とか林田球『ドロヘドロ』を思い出したもん。
退廃的な世界観や絵柄も近い。これだけ難しくてコアな漫画がジャンプに載ってても許されるくらい、世間は漫画を読むことに慣れたんだなって思った。
それはジャンプ編集部が割と意識的にやってたのかなと思う。『ジャンプ+』でいわゆるジャンプっぽくない作品をどんどんフックアップしていて。その動きが本誌との良い循環をつくっている。
そう、『ジャンプ』が新しい領域に踏み出そうとしてて、読者がちゃんとそれについてきてるなって。
現代ってスマホでも漫画が読めて、漫画広告とかも無限に回ってくるし、必然的に漫画に触れる機会がめちゃくちゃ増えてるじゃないですか。
YouTubeも漫画動画流行ってますもんね。
でもそうなると、藤本タツキもすごいけど、読者が成熟して、ちゃんとそれについてこれてるのがヒットの最大の要因になるんですか?
最大の要因とはいいません。それこそ『アフタヌーン』って常に面白い漫画がめちゃくちゃある。でも残念ながら商業的にはジャンプ作品ほどは売れてないわけですよ。
そうなんですよ(デカい声)!!!もっと売れていい漫画っていっぱいありますよねぇ!!!
たぶん『チェンソーマン』がアフタヌーンに載ってたら、もちろん非常に高く評価されているだろうけど、ここまで売れてないと思う。やはり『ジャンプ』に『チェンソーマン』が載ったことが凄い。少年漫画のゲームチェンジャーでもあるし、そのギャップに強い惹きがあったんだと思います。
なるほどね、ジャンプでやったからこそっていう。少年漫画へのアンチテーゼ的も内包してるもんね。
ありますね、いやあると思います(なぜか早口)。
集英社すげえ。
「ジャンプ編集部すごい」ってことになっちゃった! これだけのレベルの漫画を載せられるようになったからこそ、ヒット作でも割と短期で終わるようになってるのかもしれないですね。『鬼滅の刃』も、第一部ですが『チェンソーマン』もきっちりクオリティを保ったまま終わっている。
そうですね。あと一般受けしなさそうな作風で大ヒットしたっていう点では『鬼滅の刃』とかもそうだったわけですよ。すごい暗い世界観で、最初から何もかも奪われた主人公だった。
でも逆に、それが今の時代とはまってるんじゃないかなと思ってて。やっぱり藤本タツキは、その時代で何が求められてるか、人が何に怒りを覚えるのかみたいなのを、研究してるんだなと。
僕は藤本タツキさん自身は天然でやっていると思うけどなあ。
研究とは違うけど、さっきの沙村さんとの対談で藤本タツキは「自分は怒りを大事にする」って言ってたんだよね。
だから多分デンジみたいな「普通の生活をしたい」っていうボンクラな主人公が、読者の共感を得るよう上手く調整されていたんじゃないかな。藤本タツキの強烈な魂と、林士平という時代を感じるアンテナを持った編集者の嗅覚。
この記事どう思う?
関連リンク
連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
0件のコメント