あなたは「YouTuber」という職業にどのようなイメージを抱いているだろうか。
会社に縛られずに大金を稼ぐことができる夢のような職業か、視聴者との距離が近いタレントの新たな形か、放送倫理のない無法地帯で過激な動画をつくる人たちか──若年層からはスターのように賞賛される一方で、くだらない動画をつくっていると批判されたり、犯罪スレスレの過激な動画で炎上したり、時には逮捕される人もいる。
しかし、近年はテレビで活躍する芸能人たちもこぞってYouTubeに参入。これまでYouTubeを敬遠していた大人も注目せざるを得なくなっている。年々、新たなエンターテイメントビジネスの場所として捉える向きは強くなっている。
だが、YouTubeが世間に浸透する前、YouTuberたちにとって、動画投稿の多くはただの「遊び」だった。
誰が最初に言いはじめたのか、「YouTuber第一世代」と呼ばれるYouTuberたちがいる。HIKAKINさん、MEGWINさん、ジェットダイスケさん──黎明期、まだ「YouTuber」という言葉がまだ多くの人たちに知られない頃から細々と動画投稿を行い、いまなお活動を続ける人たちだ。
ここにも「第一世代」がいる。かずきむぎちゃさんは、いまなお「遊び」の精神を強く持つ稀有なYouTuberだ。
関西圏のユースから絶大なリスペクトを集めるラッパー「SILENT KILLA JOINT」としての二つの顔も使い分けるかずきむぎちゃさん。2017年には人気絶頂ともいえる中、傷害事件で二年半懲役に服した経緯も持つ彼は、YouTubeというプラットフォーム/そこで生まれるコンテンツをどのように捉えているのだろうか。
取材:米村智水(@TYonemura) 撮影:山崎奏太朗(@kanader1)
かずきむぎちゃ (笑)。なんかそう言われていますね。でも、ぼくは本当にYouTuberのことはほとんどわからないんです。第一世代と言われているけど、YouTuberがどういう区分で世代に分けられているとかも全然わからないです。
僕が動画をはじめたのは2012年。たしかに、まだあまりYouTuberが他にいない時代ではありました。
当時のYouTuberは全員名前言えるくらい、把握できる人数しかいなかった。例えば、HIKAKINさんは僕より2~3年は早くYouTubeをやっていたので、ホンマの第一世代はあの人らなのかもって僕は思ってるんですけど、どうなんですかね。
──YouTuberという言葉が一般レベルで広がったのは、2014年の「好きなことで生きていく」キャンペーンがはじまって広告がたくさん打たれたあたりだと思います。そう考えるとかなり黎明期から活動されていますね。 かずきむぎちゃ 実は、当時、僕は暴走族をやってて。
──初期は特にヤンキーネタが多い印象だったんですが、実際に暴走族だったんですか。
かずきむぎちゃ はい。で、地元の兵庫県淡路島でやってたんですけど、その頃の日本のYouTubeで人気のあった動画ジャンルが「ヤンキーのやらせの喧嘩」みたいな動画で。そんなのがめちゃくちゃアップされてたんですよ。ヤンキー同士のタイマン動画とか(笑)。ナリヤンが本当に暴走族にキレられる
──今のYouTubeではなかなか考えられない光景ですね。
かずきむぎちゃ それを観て、こういうノリなんやな~と思って。暴走族が暇すぎて、同じチームに入ってる10人くらいいたメンバーに、卒ランとか改造学生服を持ってきてなんかYouToubeでやろうぜ! みたいな話になったんです。
本当にそんなノリではじまって、当時はガラケーで撮影してました。
──最先端の仕事としてNHKでも特集を組まれるYouTuberという存在が、ガラケー。
かずきむぎちゃ はい(笑)。ガラケーで撮って、もちろんめちゃくちゃ画質も悪かったんですけど、一発で8000回再生くらいいったんです。まだまだYouTubeも規模の小さい時代だったから、8000再生なんて今でいうところの、100万再生とかに近いレベルです。
100回とか200回とか、まあ1000回再生されれば良い方ていう時代だったんです。最初の動画でポンといって、ただコメント欄では「画質がうんこ」みたいに書かれて。ちょっと腹立つなと思ってたら、関連動画に同じような動画が出てきたんですけど、やけに画質が綺麗なんですよ。
その動画つくってたのが、たむちんっていうYouTuberでした。たむちん24歳の誕生日
かずきむぎちゃ たむちんも「不良の喧嘩シリーズ」みたいな内容で、ドラマのようなストーリー性のある動画をつくっていて。それのコメント欄になにで撮ってるんですかっていうことを書いたら、デジカメで撮ってますと返信をもらって交流がはじまりました。
当時はYouTubeにDMみたいな機能があったんです。そのDMでちょっとSkypeで話してみませんかって言われて、話したら「YouTuber」っていう存在がいて──と教えてもらって。もし興味があったら一緒にやりませんか、と。
かずきむぎちゃ たむちんの話を聞いて、さらに面白そうだと思って。地元の同級生とか暴走族のメンバーで遊んでるときに、YouTuberっていうのがあるらしいからやろうぜ!って最初は十四人くらいで活動をはじめた感じっすね。
暴走族のチームで「エンドレスムービー」っていうチャンネルをやっていたんですけど、垢BAN速攻でくらって。「置いてる車のガラスを全部割ってみた」とか、そういうのをやってたら……。
──なんでもありに見えた黎明期のYouTubeも、さすがに仕事していたんですね。
かずきむぎちゃ はい。いろいろ動画が削除されて、すぐにBANされてしまって。さすがにふざけすぎたから、「ヤンキーの悪ノリ」感みたいなものを抜いて一回ちゃんとやろうぜと。
4か月くらい経つと、YouTubeやネットのノリみたいなものが少しずつ分かってきたんです。それまではネットのノリやテンション、OK/NGのラインも全然わからんくて──「なんかやばいことやったら盛り上がるんかな」という安直な考えでやっていて。落ち着いて考えると、かっこ悪いなと思ってきたんです。
それでチャンネル名を変えて。今の「POLINKEY MOVIE」が誕生しました。
──暴走族からYouTuberへの転身。MEGWINさんの動画を小さい頃に観ていて影響されているともうかがっています。
かずきむぎちゃ 小学校四年生くらいの時かな。同級生の中で「おもしろフラッシュ」のようなネットコンテンツが流行ってたんですよ。その流れからMEGWINさんの、当時はまだYouTubeがない頃──MEGWINさんは自分のホームページに動画を毎日投稿してたんです。「Fighting MEMO」シリーズや「仮面ライダー関根剣」とか。
ほんまにマニアックなんですけど(笑)。なにやってんねんこのアホはみたいな動画ばっかりあって。全然僕のスタイルとは似ていないけど、そういう文化を知っていたから動画投稿っていう世界はなんとなく意識していたのかもしれない。YouTubeをはじめた時は、完全に忘れてましたけどね。
──ある種の子供時代の原体験ですね。ブランクは長いですが。
かずきむぎちゃ YouTubeはじめたのが17歳だから、MEGWINさんを観てから7年間くらい空いてたのかな。そうしたら「MEGWIN」っていう人がYouTuberとして動画投稿していて。あれ? この人あれやん?! っていう。
──昔見てた人やん!っていう。
かずきむぎちゃ そうですそうです。MEGWINさんって僕にとっては「ちっちゃい頃に見てた体操のお兄さん」みたいなイメージなんですよ(笑)。だから、今でも個人的に応援しているというか。
当時からYouTubeをやっていた人たちとは、なんだかんだ今も交流がありますね。ただ、今は事務所に入るのも当たり前になって。僕は事務所にも入ってないし、クリーンなイメージで売っている人とかは僕みたいなのは触れにくいみたいですね。
会社に縛られずに大金を稼ぐことができる夢のような職業か、視聴者との距離が近いタレントの新たな形か、放送倫理のない無法地帯で過激な動画をつくる人たちか──若年層からはスターのように賞賛される一方で、くだらない動画をつくっていると批判されたり、犯罪スレスレの過激な動画で炎上したり、時には逮捕される人もいる。
しかし、近年はテレビで活躍する芸能人たちもこぞってYouTubeに参入。これまでYouTubeを敬遠していた大人も注目せざるを得なくなっている。年々、新たなエンターテイメントビジネスの場所として捉える向きは強くなっている。
だが、YouTubeが世間に浸透する前、YouTuberたちにとって、動画投稿の多くはただの「遊び」だった。
誰が最初に言いはじめたのか、「YouTuber第一世代」と呼ばれるYouTuberたちがいる。HIKAKINさん、MEGWINさん、ジェットダイスケさん──黎明期、まだ「YouTuber」という言葉がまだ多くの人たちに知られない頃から細々と動画投稿を行い、いまなお活動を続ける人たちだ。
ここにも「第一世代」がいる。かずきむぎちゃさんは、いまなお「遊び」の精神を強く持つ稀有なYouTuberだ。
関西圏のユースから絶大なリスペクトを集めるラッパー「SILENT KILLA JOINT」としての二つの顔も使い分けるかずきむぎちゃさん。2017年には人気絶頂ともいえる中、傷害事件で二年半懲役に服した経緯も持つ彼は、YouTubeというプラットフォーム/そこで生まれるコンテンツをどのように捉えているのだろうか。
取材:米村智水(@TYonemura) 撮影:山崎奏太朗(@kanader1)
暴走族が暇すぎてYouTuberになった
──かずきむぎちゃさんにお話を聞きたいと思った理由は様々あるのですが、かずきむぎちゃさんが現代のエンターテイメントの潮流を考える上で外すことのできないYouTuberのシーンにおいて「YouTuber第一世代」だと呼ばれている点がまずあります。かずきむぎちゃ (笑)。なんかそう言われていますね。でも、ぼくは本当にYouTuberのことはほとんどわからないんです。第一世代と言われているけど、YouTuberがどういう区分で世代に分けられているとかも全然わからないです。
僕が動画をはじめたのは2012年。たしかに、まだあまりYouTuberが他にいない時代ではありました。
当時のYouTuberは全員名前言えるくらい、把握できる人数しかいなかった。例えば、HIKAKINさんは僕より2~3年は早くYouTubeをやっていたので、ホンマの第一世代はあの人らなのかもって僕は思ってるんですけど、どうなんですかね。
──YouTuberという言葉が一般レベルで広がったのは、2014年の「好きなことで生きていく」キャンペーンがはじまって広告がたくさん打たれたあたりだと思います。そう考えるとかなり黎明期から活動されていますね。 かずきむぎちゃ 実は、当時、僕は暴走族をやってて。
──初期は特にヤンキーネタが多い印象だったんですが、実際に暴走族だったんですか。
かずきむぎちゃ はい。で、地元の兵庫県淡路島でやってたんですけど、その頃の日本のYouTubeで人気のあった動画ジャンルが「ヤンキーのやらせの喧嘩」みたいな動画で。そんなのがめちゃくちゃアップされてたんですよ。ヤンキー同士のタイマン動画とか(笑)。
かずきむぎちゃ それを観て、こういうノリなんやな~と思って。暴走族が暇すぎて、同じチームに入ってる10人くらいいたメンバーに、卒ランとか改造学生服を持ってきてなんかYouToubeでやろうぜ! みたいな話になったんです。
本当にそんなノリではじまって、当時はガラケーで撮影してました。
──最先端の仕事としてNHKでも特集を組まれるYouTuberという存在が、ガラケー。
かずきむぎちゃ はい(笑)。ガラケーで撮って、もちろんめちゃくちゃ画質も悪かったんですけど、一発で8000回再生くらいいったんです。まだまだYouTubeも規模の小さい時代だったから、8000再生なんて今でいうところの、100万再生とかに近いレベルです。
100回とか200回とか、まあ1000回再生されれば良い方ていう時代だったんです。最初の動画でポンといって、ただコメント欄では「画質がうんこ」みたいに書かれて。ちょっと腹立つなと思ってたら、関連動画に同じような動画が出てきたんですけど、やけに画質が綺麗なんですよ。
その動画つくってたのが、たむちんっていうYouTuberでした。
当時はYouTubeにDMみたいな機能があったんです。そのDMでちょっとSkypeで話してみませんかって言われて、話したら「YouTuber」っていう存在がいて──と教えてもらって。もし興味があったら一緒にやりませんか、と。
YouTuber第一世代、かずきむぎちゃ
──YouTuberという言葉も知らないままYouTuber的なことをやられていたんですね。第一世代といわれる所以がある気がします。そして、現在のYouTubeチャンネル「POLINKEY MOVIE」に繋がっていくと。かずきむぎちゃ たむちんの話を聞いて、さらに面白そうだと思って。地元の同級生とか暴走族のメンバーで遊んでるときに、YouTuberっていうのがあるらしいからやろうぜ!って最初は十四人くらいで活動をはじめた感じっすね。
暴走族のチームで「エンドレスムービー」っていうチャンネルをやっていたんですけど、垢BAN速攻でくらって。「置いてる車のガラスを全部割ってみた」とか、そういうのをやってたら……。
──なんでもありに見えた黎明期のYouTubeも、さすがに仕事していたんですね。
かずきむぎちゃ はい。いろいろ動画が削除されて、すぐにBANされてしまって。さすがにふざけすぎたから、「ヤンキーの悪ノリ」感みたいなものを抜いて一回ちゃんとやろうぜと。
4か月くらい経つと、YouTubeやネットのノリみたいなものが少しずつ分かってきたんです。それまではネットのノリやテンション、OK/NGのラインも全然わからんくて──「なんかやばいことやったら盛り上がるんかな」という安直な考えでやっていて。落ち着いて考えると、かっこ悪いなと思ってきたんです。
それでチャンネル名を変えて。今の「POLINKEY MOVIE」が誕生しました。
──暴走族からYouTuberへの転身。MEGWINさんの動画を小さい頃に観ていて影響されているともうかがっています。
かずきむぎちゃ 小学校四年生くらいの時かな。同級生の中で「おもしろフラッシュ」のようなネットコンテンツが流行ってたんですよ。その流れからMEGWINさんの、当時はまだYouTubeがない頃──MEGWINさんは自分のホームページに動画を毎日投稿してたんです。「Fighting MEMO」シリーズや「仮面ライダー関根剣」とか。
ほんまにマニアックなんですけど(笑)。なにやってんねんこのアホはみたいな動画ばっかりあって。全然僕のスタイルとは似ていないけど、そういう文化を知っていたから動画投稿っていう世界はなんとなく意識していたのかもしれない。YouTubeをはじめた時は、完全に忘れてましたけどね。
──ある種の子供時代の原体験ですね。ブランクは長いですが。
かずきむぎちゃ YouTubeはじめたのが17歳だから、MEGWINさんを観てから7年間くらい空いてたのかな。そうしたら「MEGWIN」っていう人がYouTuberとして動画投稿していて。あれ? この人あれやん?! っていう。
──昔見てた人やん!っていう。
かずきむぎちゃ そうですそうです。MEGWINさんって僕にとっては「ちっちゃい頃に見てた体操のお兄さん」みたいなイメージなんですよ(笑)。だから、今でも個人的に応援しているというか。
当時からYouTubeをやっていた人たちとは、なんだかんだ今も交流がありますね。ただ、今は事務所に入るのも当たり前になって。僕は事務所にも入ってないし、クリーンなイメージで売っている人とかは僕みたいなのは触れにくいみたいですね。
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