それでも働く現代人へ 小説家・野﨑まどが解き明かす「仕事」の真実

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加速する創作のインフレ

──労働がAIによって置き換わる未来においては、余暇を持て余した人間による創作活動が爆発するのではないか?と個人的には考えていましたが、『タイタン』の世界では、創作の最前線にいるのもAIだという未来が描かれています。

ある種の皮肉とも捉えられますが、これはご自身の未来へのビジョンなのでしょうか?


野﨑 皮肉の意識はあまりありませんでしたし、比較的在りえそうな未来だとは思っています。

人間の創作が爆発してもいいですが、AIは人間を超える可能性が高いと思っているので、人間の創作が爆発するならばAIの創作はもっと爆発しているのかなと。AIによって、どんな名画も過去にしてしまうようなイラストが生まれたり、誰もが感動する小説が生まれるかもしれない。

ただ、現代でも素晴らしい創作が必ずしもそうとは評価されないように、未来では今よりもっととんでもない作品が埋もれるなんてことがありえると思います。たとえば3DCGで制作されたドラえもんも、過去の時点から見れば神の創作だと思うんですが、現代ではそれも当然のものとして存在しています。

──現代がそうであるように、未来ではより創作に求められるクオリティのインフレが加速する。

野﨑 自分は子どもの頃にファミコンの『忍者ハットリくん』が好きで、上から降ってくるドットのバーベルを避けてちくわを取るゲームに熱中していたんですが、PS5が出るという現代から考えるともはや原始のゲームのようにすら思えてしまいます。 ──(『ハットリくん』は本当に好き……と)

河北 (これもう片付けます?)

家で見た方が良い演劇が生まれる可能性

──新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって現在ではリモートワークが推奨されるようになっていますが、作中ではある種の“リモートワークの限界”のようなものに踏み込んでいた展開がありました。

野﨑 我々が身体という制約から逃れられないように、人間基準AIであるタイタン達も直接向き合うことでしか交わせない情報があります。

これは執筆のための取材でも得られた考えで。AIについて、スクエア・エニックスのAIリサーチャー・三宅陽一郎さんにお話を聞く機会がありました。

ゲームのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)を設定する際に、そのキャラクターの内部だけではなく、それを取り巻く環境との関係性が重要になってくると。世界の中に埋め込まれた存在という「環世界」のフレーム、その境界となる身体の存在が知能や意識の成立に重要な役割を持っていることを学びました。

ただ、その関係性もまた変化の途中にあります。「実際に見なければわからない」としか表現できないものが現代にはありますが、それも未来にはもっと解析されて、情報として再現可能なものになっていくでしょう

実際に見に行かなくては情報が伝わりにくいもの──たとえば演劇の本質的な要素を判別してピックアップすることができれば──実際に見なくてもいい、むしろ実際に見るより家で見た方が良い演劇が生まれる可能性もあります。

──実際に見るより家で見た方が良い演劇、想像もつきません。

野﨑 今は劇場で見ることがプラスだと思っていますが、劇場で見ることがマイナスな部分だってあると思います。一つは視界が制限されること、特定の席からしか見られないこと。一つの視点からより、様々な視点から自由に見た方が楽しめる可能性はあるだろうと思います。

そうして未来の新演劇みたいなものが生まれたとしたら、「家で見たいのに、仕事の都合でダメだったからしょうがなく現場で見る」みたいなことも発生するかもしれない。

──仕事の都合で現地に行けないからライブビューイングや配信で見る、という今とは真逆ですね。

ただ、確かに僕自身もコロナの影響で、本来会場で観覧するはずだったライブをネット配信で見たのですが、自宅でお酒を飲みながら見れるし、カメラワークも凝っていて会場よりもよく見れたこともありました。


野﨑 古来は墨田川花火大会のテレビ中継を見て、人混みに行かなくても花火が見れるなんて最高だと言った江戸っ子がいたように、メリットは必ずあると思います。

──ですが、現場でしか感じられないもの、一回性のアウラのようなものが存在するのではないかと考えてしまうところはあります。例えばコロナ騒動の初期、いち早く演劇人から「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術」という声明が上がりましたが、その感覚もわからなくはないと思いました。

そもそも現場での体験と家で見る体験は全く別物だと思うのですが、野﨑さんは現在の価値観が逆転する未来がくる可能性があるとお考えなのですね。


野﨑 優劣や価値の判断基準の一つに、多寡があります。現在現場の価値が高い理由の一つには、現場で見れるのはチケットをもつ限られた人だけだという希少性が寄与しています。

これが例えば、現場では3万人が見れるが、配信では15人しか見れないとなると、プラチナチケットの呼称は逆転してしまうかもしれません。

同時に観客がいないと舞台は成立しないというのもよくわかります。映画の芝居と違って、観客と舞台の垣根がないからこそ得られる感触というものは間違いなく存在するとは思っています。ただそれも現時点では明文化・定量化されていない個人感覚に留まっていて、そこを突き詰めている人はそんなにいないのでは、とも思うんです。

──突き詰めるというのは?

野﨑 観客がいないと成立しないなら、極端な話をすればもっと観客のコントロールを考えないといけないと思うんです

一つの舞台をつくり上げるにあたって、オーディションをして役者さんを丁寧に選び、本番まで入念に稽古をするのに、欠かせない構成要素の一つであるお客さんだけは誰でも来ていいとなると、そこがアンコントローラブルになってしまう。

本当の意味で「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術」と言うのであれば、「あなたはこの劇の客に向いていないので入場できません」といったようなコントロールも必要になってくるはずです。たとえばお客さんの人数や体型だけでも、視界や音響などに影響が出るわけですから。

お客さんも欠かせない構成要素だとしても、そこには手をつけていないという制作者の方が多数だと思います。観客がいないと成立しないという感覚は理解すれども、まだその正体にはたどり着いていない。そして特にたどり着こうともしていない、というのが現在の制作情勢なのかなと。これも社会の変化と共に、在り方が変わってくるものの一つだと考えています。

同じように本もお客さんの存在があっての媒体と言えるので、これからそうしたエンターテイメントはお客さんの側に手を入れていくシーンも出現するかもしれません

あと全くの余談なんですが、高校時代は演劇部でした 講談社編集 河北 あれ?

──野﨑さん、本当は演劇部じゃなかったですか?

野﨑 演劇部でしたけど?

──おかしいな……。

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野﨑まど

小説家

小説家。麻布大学獣医学部卒。

2009年、執筆した小説『[映] アムリタ』で、「電撃小説大賞」の部門として新設された「メディアワークス文庫賞」の初代受賞者として作家デビュー。

メディアワークス文庫から『舞面真面とお面の女』 『死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~』 『小説家の作り方』『パーフェクトフレンド』『2』という一連の作品を刊行する。

また、ハヤカワ文庫からは本格SF小説『know』や『ファンタジスタドール イヴ』、電撃文庫からは奇想天外の短編集『野崎まど劇場』『野崎まど劇場(笑)』、講談社タイガからは『バビロン』シリーズなどを刊行。

2020年には講談社から最新作『タイタン』を刊行した。

映像作品にも携わり、2017年に放送されたテレビアニメ『正解するカド』では脚本・シリーズ構成を、2019年に劇場版アニメ『HELLO WORLD』では脚本・ノベライズ執筆を手がけた。また、『バビロン』も2019年にはテレビアニメ化されている。

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