「ここは、地獄か?」という鮮烈なコピーが書かれた帯と、工場街が写された表紙が目を惹く書籍『ルポ 川崎』。ライターの磯部涼さんが執筆した、川崎の南部について書いたノンフィクションです。
双子のラッパーのT-PablowさんとYZERRさんが率いるヒップホップクルー・BAD HOPを中心に据え、川崎におけるヘイトデモや多文化共生の状況を描いています。
2016年にWebメディア「サイゾー」で連載がスタートし(外部リンク)、2018年に発行されると各所で大きな話題に。第17回新潮ドキュメント賞の候補にも選ばれるなど高い評価を受けています。
筆者もIGN JAPANでアニメ『DEVILMAN crybaby』をレビューしたとき、なぜ川崎を舞台にヒップホップをモチーフにしていたかを解説するため引用させていただきました(外部リンク)。 『ルポ 川崎』が評価された理由には、磯部さんの取材と論旨はもちろん、写真家・細倉真弓さんの青みがかかった、どこか遠くから現場を見つめるような写真も大きいでしょう。
2018年12月1日から1月27日(日)まで、東京都写真美術館で若手作家を集めた企画展「小さいながらもたしかなこと 日本の新進作家 vol.15」が開催中。そこで細倉さんは『ルポ 川崎』で撮影した作品を出品しています。
12月22日には、磯部さんと制作の舞台裏を語る、2人が揃う場としては初のトークセッションが行われました。
取材・文:葛西 祝
もともと細倉さんはヒップホップが好きで、ライブを見に行ったときに会場で磯部さんを見つけ、話しかけたことがはじまりだったといいます。
とはいえ、細倉さんが磯部さんに話しかけたのは偶然。細倉さんはその後、サイゾー編集部から連載の写真の仕事を依頼されることになります。
ちなみに初対面はそれよりも前。まだ売れる前の西野カナさんを取材したときのこと。当時は一緒に仕事することは考えておらず、たまに会うくらいの関係だったそうです。 書籍として一本のテーマが通っている『ルポ 川崎』ですが、磯部さんが執筆しはじめた当時は「構想の段階で連載がスタートし、模索しながら書いていました」と振り返ります。
当初、編集部から企画されたのは不良少年版の「現代の肖像」(外部リンク)でした。しかし、企画に対して漠然としたものを感じていた磯部さん。
構想を練る中で、不良少年を取材するときに、取材場所としていつも川崎を指定されることに気づきます。そこで「川崎に限定することで、今の不安や暗部を描けるんじゃないかと考えた」ようです。
一方では、川崎南部出身のヒップホップクルー・BAD HOPが躍進していることにも注目。中学生の殺人事件や、日進町の簡易宿泊所で起きた放火事件のような悲惨な現実をバックグラウンドに、彼らがそんな現実を変える意思を連載の中心に置くことにしたのです。
もともと細倉さんは、様々な現場に出向いて、その現実を撮影するタイプの写真家ではありません。男性・女性のヌードや、抽象的な風景を淡いコントラストに仕立て、強い色調で構成する写真を撮っていました。
細倉さんの公式サイト(外部リンク)を見れば、作風が『ルポ 川崎』の写真とまったく異なることがわかるでしょう。これまで作品として追求してきたテーマには、アメリカの学者ダナ・ハラウェイが提唱した「サイボーグ・フェミニズム」があるといいます(外部リンク)。 細倉さんは「自分と自分じゃないもの」の境界線や、男性や女性の境界線の曖昧な部分に注目していました。撮影したヌード写真も、女性や男性といった、特定の性別を強調するような撮り方をしないようにつくられています。
現場は川崎の桜本。在日コリアンの人々が多く暮らす場所で、彼らのお祭りも開催されています。そんな桜本で、川崎市が推進する多文化共生に意見するために、デモが発生したそうです。
会場では、在日コリアンのお祭りにフィリピン人がチョゴリを着て参加している写真も公開。磯部さんは桜本を「多文化主義の場所だ」と語りました。在日コリアンの人々でだけではなく、フィリピンやペルーなどの人々も暮らしているからです。
細倉さんは川崎の南部を撮影する中で、「パソコンで見たり、本で読んだりして納得したつもりになっていたものが、ここ川崎にあったと思いました」と確信します。自身のテーマが、多文化共生が生まれている場所・川崎でつながったのです。 つまり川崎の南部は、境界線があいまいになった現場でした。「これまではジェンダーをベースにすることでしか境界を考えていませんでしたが、川崎南部での仕事が(自分への)大きなフィードバックとなっていきました」と細倉さんは語りました。
磯部さんが「写真を商業として撮ることと、芸術作品として撮ることをどう切り分けていますか?」と質問したところ、細倉さんは川崎が変化のきっかけになったと返答します。
「川崎を撮る以前は分けていました。でも川崎には、商業も芸術もぎゅっと集まっていた感じがあったんです」
細倉さんは川崎南部へのアプローチについて、磯部さんとの違いを説明します。
「現場を自分事として捉えるわけではないんですよね。撮っていて恐怖心はあります。どこまで自分がその問題について、当事者であるかという」
同時に「部外者という良さもある」とも語りました。対象との距離を置いた姿勢が、良い意味で機能しているのかもしれません。
実際に磯部さんは「ヘイトデモのような激しい場面を撮影していますが、突き放したような感じがあるのは青い色調だからでしょうか」とコメントしています。 磯部さんの指摘のとおり、『ルポ 川崎』の写真で印象深いのは、一貫して青い色調に統一されていることです。「自分の『KAZAN』(外部リンク)という写真シリーズから青色を使っていました。ヌードの肌色が持つ生々しさを消したいと思っていたんです」と細倉さんは説明しました。
細倉さんの青い色調は、結果的に、川崎の南部を撮影するときに現場の生々しい空気から距離を置くことに成功しました。
磯部さんは「僕の文章は杓子定規になりがちですけど、細倉さんの写真はエロティックなものや、曖昧なものが写されています」と評価しています。
そう磯部さんが話すように、『ルポ 川崎』にもラッパーや地下格闘技の選手、ダンサーといった、様々な分野の不良が登場しました。
細倉さんは彼らを撮影するとき、「不良らしい振る舞いってありますけど、そうじゃない隙間を撮りたかったんです」と語ります。
その意図として「“男性”性の誇張を避けたいと思ったんです。不良というステレオタイプや、ヒップホップの打ち出すオラオラ感を避けて撮影したかったんです」と説明しました。 これまで細倉さんは、男性を撮影するときは中性的なモデルを撮ること多かったそうですが、川崎の南部で出会った不良たちを撮るときは違うスタンスで臨んだといいます。
「同じ人の中に、“男性”性と“女性”性の配分があり、ひとりひとりで違っていると思うんです。不良のひとたちのように見た目が中性的ではなくとも、男性らしい人の中にも女性らしい部分があるので、それらを掬い上げていきました」
トークは川崎南部の多文化共生から、日本が外国人労働者を受け入れようとする政策にも及びます。磯部さんは「いまの政府のスタンスは、日本人とは混ざらないようにするものですよね」と自身の見解を示します。
磯部さんは多文化共生が進む日本に関して、『八月の光』を代表作とする小説家のウィリアム・フォークナーの書いた小説を例に挙げました。 「最近はアメリカの南部ゴシックが興味深いと思っているんです。フォークナーが書いた、白人と黒人の人種的境界があいまいである恐怖感に注目しています」と磯部さんは語ります。
磯部さんはフォークナーの小説に重ねる形で、日本人として外国人と共生していくことについて「ある種の人たちにとって、カテゴリーが曖昧になるのが恐怖なのではないでしょうか」と指摘します。
細倉さんも「いままでに存在していた人間像からはみ出すことへの恐怖感があるのかもしれません。新しく境界線を越えてくるものを、許せるか、許せないか」と同じように語ります。
『ルポ川崎』のプロローグでは、川崎南部を「ある意味で日本の近代を象徴する、そして、未来を予言するような場所」と書かれていました。それはいまよりも、さらに境界線が曖昧になる未来を示しているのかもしれません。
双子のラッパーのT-PablowさんとYZERRさんが率いるヒップホップクルー・BAD HOPを中心に据え、川崎におけるヘイトデモや多文化共生の状況を描いています。
2016年にWebメディア「サイゾー」で連載がスタートし(外部リンク)、2018年に発行されると各所で大きな話題に。第17回新潮ドキュメント賞の候補にも選ばれるなど高い評価を受けています。
筆者もIGN JAPANでアニメ『DEVILMAN crybaby』をレビューしたとき、なぜ川崎を舞台にヒップホップをモチーフにしていたかを解説するため引用させていただきました(外部リンク)。 『ルポ 川崎』が評価された理由には、磯部さんの取材と論旨はもちろん、写真家・細倉真弓さんの青みがかかった、どこか遠くから現場を見つめるような写真も大きいでしょう。
2018年12月1日から1月27日(日)まで、東京都写真美術館で若手作家を集めた企画展「小さいながらもたしかなこと 日本の新進作家 vol.15」が開催中。そこで細倉さんは『ルポ 川崎』で撮影した作品を出品しています。
12月22日には、磯部さんと制作の舞台裏を語る、2人が揃う場としては初のトークセッションが行われました。
取材・文:葛西 祝
様々な偶然から誕生した『ルポ川崎』
「今回、初めてふたりで『ルポ 川崎』について話すんです」とトークセッションの冒頭に語った細倉さん。ふたりが組むきっかけになったのは、韓国のラッパー・Okasianさんのライブでした。もともと細倉さんはヒップホップが好きで、ライブを見に行ったときに会場で磯部さんを見つけ、話しかけたことがはじまりだったといいます。
とはいえ、細倉さんが磯部さんに話しかけたのは偶然。細倉さんはその後、サイゾー編集部から連載の写真の仕事を依頼されることになります。
ちなみに初対面はそれよりも前。まだ売れる前の西野カナさんを取材したときのこと。当時は一緒に仕事することは考えておらず、たまに会うくらいの関係だったそうです。 書籍として一本のテーマが通っている『ルポ 川崎』ですが、磯部さんが執筆しはじめた当時は「構想の段階で連載がスタートし、模索しながら書いていました」と振り返ります。
当初、編集部から企画されたのは不良少年版の「現代の肖像」(外部リンク)でした。しかし、企画に対して漠然としたものを感じていた磯部さん。
構想を練る中で、不良少年を取材するときに、取材場所としていつも川崎を指定されることに気づきます。そこで「川崎に限定することで、今の不安や暗部を描けるんじゃないかと考えた」ようです。
一方では、川崎南部出身のヒップホップクルー・BAD HOPが躍進していることにも注目。中学生の殺人事件や、日進町の簡易宿泊所で起きた放火事件のような悲惨な現実をバックグラウンドに、彼らがそんな現実を変える意思を連載の中心に置くことにしたのです。
まったく違うスタンスでの撮影となった『ルポ川崎』
細倉さんも「最初、磯部さんの連載と同じくどう川崎を取り扱うのか定まっていませんでした」と振り返ります。もともと細倉さんは、様々な現場に出向いて、その現実を撮影するタイプの写真家ではありません。男性・女性のヌードや、抽象的な風景を淡いコントラストに仕立て、強い色調で構成する写真を撮っていました。
細倉さんの公式サイト(外部リンク)を見れば、作風が『ルポ 川崎』の写真とまったく異なることがわかるでしょう。これまで作品として追求してきたテーマには、アメリカの学者ダナ・ハラウェイが提唱した「サイボーグ・フェミニズム」があるといいます(外部リンク)。 細倉さんは「自分と自分じゃないもの」の境界線や、男性や女性の境界線の曖昧な部分に注目していました。撮影したヌード写真も、女性や男性といった、特定の性別を強調するような撮り方をしないようにつくられています。
細倉真弓のテーマがそのまま現れていた、川崎南部の現場
「初期はヘイトデモとカウンターの取材でした。雨も降っており、過酷な現場だったんです」と磯部さんは話します。現場は川崎の桜本。在日コリアンの人々が多く暮らす場所で、彼らのお祭りも開催されています。そんな桜本で、川崎市が推進する多文化共生に意見するために、デモが発生したそうです。
会場では、在日コリアンのお祭りにフィリピン人がチョゴリを着て参加している写真も公開。磯部さんは桜本を「多文化主義の場所だ」と語りました。在日コリアンの人々でだけではなく、フィリピンやペルーなどの人々も暮らしているからです。
細倉さんは川崎の南部を撮影する中で、「パソコンで見たり、本で読んだりして納得したつもりになっていたものが、ここ川崎にあったと思いました」と確信します。自身のテーマが、多文化共生が生まれている場所・川崎でつながったのです。 つまり川崎の南部は、境界線があいまいになった現場でした。「これまではジェンダーをベースにすることでしか境界を考えていませんでしたが、川崎南部での仕事が(自分への)大きなフィードバックとなっていきました」と細倉さんは語りました。
磯部さんが「写真を商業として撮ることと、芸術作品として撮ることをどう切り分けていますか?」と質問したところ、細倉さんは川崎が変化のきっかけになったと返答します。
「川崎を撮る以前は分けていました。でも川崎には、商業も芸術もぎゅっと集まっていた感じがあったんです」
テキストと写真、ふたつの川崎南部の描き方
「写真とテキストは違いますね。テキストは下調べして、帰ってから何時間もかけて書きます。でも写真って、部外者としてお邪魔して、撮って帰ってくる感じが強いんです」細倉さんは川崎南部へのアプローチについて、磯部さんとの違いを説明します。
「現場を自分事として捉えるわけではないんですよね。撮っていて恐怖心はあります。どこまで自分がその問題について、当事者であるかという」
同時に「部外者という良さもある」とも語りました。対象との距離を置いた姿勢が、良い意味で機能しているのかもしれません。
実際に磯部さんは「ヘイトデモのような激しい場面を撮影していますが、突き放したような感じがあるのは青い色調だからでしょうか」とコメントしています。 磯部さんの指摘のとおり、『ルポ 川崎』の写真で印象深いのは、一貫して青い色調に統一されていることです。「自分の『KAZAN』(外部リンク)という写真シリーズから青色を使っていました。ヌードの肌色が持つ生々しさを消したいと思っていたんです」と細倉さんは説明しました。
細倉さんの青い色調は、結果的に、川崎の南部を撮影するときに現場の生々しい空気から距離を置くことに成功しました。
磯部さんは「僕の文章は杓子定規になりがちですけど、細倉さんの写真はエロティックなものや、曖昧なものが写されています」と評価しています。
ラッパーや不良たちのなかにある男性性と女性性
「不良の人たちは写真を撮られるのが好きですね。『チャンプロード(※暴走族向けバイク雑誌、現在は休刊)に写真が載るのは2回目なんスよ』みたいな話をよく聞きますし」そう磯部さんが話すように、『ルポ 川崎』にもラッパーや地下格闘技の選手、ダンサーといった、様々な分野の不良が登場しました。
細倉さんは彼らを撮影するとき、「不良らしい振る舞いってありますけど、そうじゃない隙間を撮りたかったんです」と語ります。
その意図として「“男性”性の誇張を避けたいと思ったんです。不良というステレオタイプや、ヒップホップの打ち出すオラオラ感を避けて撮影したかったんです」と説明しました。 これまで細倉さんは、男性を撮影するときは中性的なモデルを撮ること多かったそうですが、川崎の南部で出会った不良たちを撮るときは違うスタンスで臨んだといいます。
「同じ人の中に、“男性”性と“女性”性の配分があり、ひとりひとりで違っていると思うんです。不良のひとたちのように見た目が中性的ではなくとも、男性らしい人の中にも女性らしい部分があるので、それらを掬い上げていきました」
曖昧な境界線と未来
「移民というのは、日本に生きるうえでひとつの境界線として興味深いとも思っていました」トークは川崎南部の多文化共生から、日本が外国人労働者を受け入れようとする政策にも及びます。磯部さんは「いまの政府のスタンスは、日本人とは混ざらないようにするものですよね」と自身の見解を示します。
磯部さんは多文化共生が進む日本に関して、『八月の光』を代表作とする小説家のウィリアム・フォークナーの書いた小説を例に挙げました。 「最近はアメリカの南部ゴシックが興味深いと思っているんです。フォークナーが書いた、白人と黒人の人種的境界があいまいである恐怖感に注目しています」と磯部さんは語ります。
磯部さんはフォークナーの小説に重ねる形で、日本人として外国人と共生していくことについて「ある種の人たちにとって、カテゴリーが曖昧になるのが恐怖なのではないでしょうか」と指摘します。
細倉さんも「いままでに存在していた人間像からはみ出すことへの恐怖感があるのかもしれません。新しく境界線を越えてくるものを、許せるか、許せないか」と同じように語ります。
『ルポ川崎』のプロローグでは、川崎南部を「ある意味で日本の近代を象徴する、そして、未来を予言するような場所」と書かれていました。それはいまよりも、さらに境界線が曖昧になる未来を示しているのかもしれません。
川崎の元不良がHIP HOPに救われるまで
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葛西
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ジャンル複合ライティング業者。ビデオゲームや格闘技、アニメーションや映画、アートが他のジャンルと絡むときに生まれる価値についてを主に書いています。
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