本職ラッパーが“言葉遊び”で追いつかれた感覚
R-指定 さっき言ったような「みんながやっているようなもの」を、同じようにじゃなくても、自分のニュアンスで取り入れてみようという気持ちはあります?岩渕 ありますね。
R-指定 それは挑戦ですよね。俺もみんながやっているような表現をするのはめちゃくちゃビビるんですけど、もう一皮むけるには挑戦が必要だし、たとえば恋愛の曲をつくってみるとか(笑)。
ヒップホップで言うところの「俺が最強だ」っていうのをきちんと言ってみるのも挑戦だし、そのまんまやるんじゃなくて、自分のニュアンスでできたときに成長できるのかなと思っていて。
岩渕 たとえば自分が昔だったら言わなかったような臭いことを、そのまま言うんじゃなくて、いかに自分っぽくしていくかを模索して……。
それこそ、「フカンショウ」はようやく「これだ!」と思えた曲で、届けたいメッセージを届けられるようになったと感じられたんですよね。
これ初めて言うんですけど、最初に聴いたとき衝撃で、俺みたいな本職でラップをやっているやつが“言葉遊び”で追いつかれた感覚があって。「その速さの球を、ロックバンドの人も投げられるんだ!」って思ったんですよ。
それこそ、Creepy Nutsの「教祖誕生」に結構似たようなラインを使おうとしていたときがあって。実際曲の中身も近くて、腹が立っているところが近しいのかなと思うんですよね。ライブとか見ていても思う。
ライブの最初にやる「PPT Introduce」という曲をつくったんですけど、自分たちなりにヒップホップを理解して、噛み砕いてやっていますと宣誓したい気持ちのようなものがあってできた曲で。
もともと僕はビースティ・ボーイズがすごく好きで、彼らのトラックをバンド流にやったらどうなるだろうと考えてつくった曲でもあるんです。そこまで考えただけに怖くて。
だからRさんから楽屋で「ラップうまくなったなあ」と言われたときに、めちゃくちゃ嬉しかった(笑)。 R-指定 うわ、俺すごい上から言ってますね! すみません……(笑)。
ビースティ・ボーイズの話を前に楽屋でしたときも、「ああ、そういうところから影響受けているんだ」と思って。俺はそこまでビースティを通ってきていなくて、「白人ラップといえばエミネム」みたいなところから入って来てるんですよ。
だから逆に、バンドの人のほうがビースティの感覚を取り入れたり、日本人流に解釈したりするのがうまいのかなというのはすごく思っていて。日本語でちゃんとラップという表現をする必然性みたいなのを感じるところがある。
岩渕 嬉しいですね……。
世の中みんなが“俯瞰”しているのが気持ち悪い
R-指定 いま大勢の人が、皮肉を言ったり批判したりするのが標準装備になっているじゃないですか。SNSとかでも便乗して人を揶揄して、刺してみたり毒を吐いてみたり、それを全員がやっている。昔はそれが俺や誰かにとってのアイデンティティだったのに、みんながみんなやり出したら、それはすごく気持ち悪い光景に見えてきて。その気持ちをどう表現したらいいか考えている。
岩渕 わかります、わかります。
R-指定 これは最近のテーマなんですけど、「許す」のも俺の中ではカウンターなんです。みんなが怒っているから俺は怒らないぞと。 R-指定 全部放り出す考え方じゃなく、「別にいいじゃん」っていうのを表現したい。いま別に俺は、いじりたくないし皮肉も言いたくない感じのタイミングにはなっていて、だからこそストレートの投げ方を考えています。
岩渕 めちゃくちゃわかります。昔は自分だけ斜に構えていたけど、最近はみんながそうで、たとえばテレビですら、「インスタ女子」とか皮肉るじゃないですか。
R-指定 そうそう。本当にみんなが“俯瞰”なんですよね。全員が主観で生きたら周りからいじられると知ったから、全員が俯瞰して、誰にも叩かれないようにする。一歩引いて見るのが意識の標準装備になってしまっている。 岩渕 どこに行っても「こういう人」って決められる。みんながみんなカテゴライズしていくから、みんな後ろ指さされないよう丸くなっちゃっているな……っていうのが、まさに「フカンショウ」で歌ったことです。
「昔は自分も俯瞰していました」という自戒も込めてつくったんですけどね。僕の最近のテーマは「いかに剥き出すか」。いかに自分の感情に近いものをつくれるか、感情を表に出せるか。
生活をしていて感じることをきちんと言葉にしたいけど、そのまま出したら臭くなりすぎてしまうから、自分なりにどうひねるかが大事で。落とし込み方をすごく考えています。
“自分がない”ところから逃げてしまったら、それはバンドじゃない
岩渕 何かに対するカウンターは永遠に歌い続けられるけど、その先に何があるか、自分のことを歌うとなると難しくなるんです。別に何かに反発して生きてきたわけではなくて、たとえば親に反抗したこともなければ、地元が悪かったこともなくて。
ロックバンドやることを誰からもそんなに反対されなかったし、ある程度高校も大学もちゃんと進んできて、ロックバンドは単純に楽しいから始めていまもやっているっていう……だから自分を出そうとすると便利な説明がない。
R-指定 それ、ラッパーはさらにそうですね。僕もがっつり語れるようなバックボーンは別になくて、不良じゃないし、ゲットーで育ったわけでもないし、「何を歌えばいいんだ」って最初はすごく困りました。ラッパーとして歌うことがない。
ただ、“歌うことがない人間である”ということは、歌って初めて自分の言葉になったところがあります。そこにたどり着くまではすごく遠回りしましたけど、それが自分のオリジナリティだと思って。 岩渕 正直、僕が見る限り、そういうのがないまま誤魔化してやっているみたいなバンドはいっぱいいる。ロックバンドのほうがちゃんと向き合っている人が少ないと思います。
実際、自分をさらけ出さなくてもやっていける。でも、“自分がない”ってところから逃げてしまったら、それはバンドじゃないと思うんですよね。僕は逃げちゃいけないと思うからこそヒップホップが好きなのかもしれないです。
R-指定 確かにパノラマパナマタウンは、本当にカウンターカルチャーとしてのロックをやっている感じがします。
正直いま、カウンターカルチャーじゃなくてもロックってジャンル自体は大丈夫じゃないですか。それくらいの市民権を日本で得てやっているから「何かひっくり返してやろう」って気持ちでロックしなくても、みんなが楽しくなるような恋愛の曲を歌うとか。
ヒップホップもロックも同じカウンターカルチャーなんですけど、ロックがだいぶ先に日本で市民権を得たので、最近は普通にグッドミュージックとしてやっている人が多いと思っていて。
でもそこで、いびつなカウンターカルチャーとしてぶつけていこうと思っている人たちがいるんだと感動しました。
岩渕 ありがとうございます(笑)。
日本には軽音楽部があるからロックは浸透しやすいんですけど、ヒップホップにはそういうのがなくて。でもそうやって浸透しすぎたら本来のカウンターカルチャーとしてのパンチは弱まる……ってジレンマはありますね。
この記事どう思う?
関連リンク
0件のコメント