「Gear VR」や「Oculus Rift」などのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)が一般発売され、10月13日(木)には「PlayStation VR」が発売予定。2016年は“VR元年”と言われている。
今回は東京大学 先端科学技術研究センターの身体情報学分野の稲見昌彦教授にインタビュー。前編では、VRの歴史からVRビジネスのこれからについてをお話いただいた。 後編では、VRが普及した場合「世界はどう変わるのか?」という質問をぶつけてみた。
取材・構成/須賀原みち 編集/コダック川口
VR技術の普及で、現実の世界はどう変わっていく?
━━現在、外側から見る限りでは、VRはゲームとしての使われ方が注目されていますが、VR技術の普及によって、現実の世界はどう変わっていくと思われますか?稲見昌彦教授(以下、稲見) VR技術は「世界をバーチャルに置き換えるという技術」という言い方もできますが、裏返して考えると、「自分の身体を置き換える技術」…つまり、「変身できる技術」なんです。 世界を鋳型(きまりきった形)として身体があるわけですから、世界が変わるということと身体が変わることは、主観的には等価なのです。
変身とはゲーム的に考えると自分がアバターになるということですが、実は変身することによって、人の心のほうが変わってくるかもしれないといわれています。これは最近、色々な研究が出はじめています。 拙著『スーパーヒューマン誕生!』の中でも紹介していますが、白人女性がバーチャル世界の中で黒人女性に変身して生活をする、という研究例があります。そうすると、VR体験を終えた白人女性は、黒人の男性や黒人女性と廊下ですれ違う際の距離が無意識に短くなる。つまり、変身によって無意識的な人種に対する偏見が弱まる。
また、鬱病患者がVR技術を使って自分自身を慰めることで鬱病に対する効果が見られた、という研究もあります。
私が非常に好きな作品として挙げたいのが、2014年に筑波大学の学生グループが国際学生対抗VRコンテスト(http://ivrc.net/)に出展し優勝した『CHILDHOOD』です。
これは、自分の視線が大人の腰くらいの位置に変わるというだけのシンプルなシステムですが、周りを見渡すと「あ、大人って大きいな」と、心が少年に戻るんです。そうすることで、子どもの気持ちになったように生活できますし、自分の子ども時代を思い出すことができる。
VRは体験やコミュニケーションといったインタラクティブ(相互作用)なシステムを初めて記録、伝達、再現…つまり、パブリッシュできる技術なんです。さらに、VRは主観でさえ記録、伝送して、再構成、あるいは生成することができる。
今年6月、「VR産業革命」というイベントに登壇させていただいたのですが、私も最初は「VRは産業革命のひとつ」と思っていました。でも、むしろVRと比較するべきなのは活版印刷、グーテンベルクの聖書かもしれない、と思ったんです。
多くの人が体験をしないと学べない
━━メディア論で有名な批評家マーシャル・マクルーハンは著書『グーテンベルクの銀河系』で、活版印刷や活字文化の誕生によって、人間の意識が大きく変化したことを指摘しました。また、『メディア論-人間の拡張の諸相-』『メディアはマッサージである』などでは、「メディアは身体を拡張する」といったことも挙げています。つまり、非常にざっくり言うと、耳と口の延長として電話があったり、目や耳の延長としてテレビがあるように、メディアの登場によって物理的に遠くにあった存在にまで人々の意識が及ぶよう、身体が拡張されたということです。この“拡張”という概念は、稲見先生の提唱する“人間拡張工学”と呼応するところがありますね。
稲見 そういう意味で「VRは身体を拡張するメディアだ」とも思っていました。『スーパーヒューマン誕生!』では“変身”や、身体のシェアドエコノミー的な“合体”というVRの可能性は、最後のほうで少し書いています。
VRの可能性として先ほど挙げた例では、「他者の気持ちがわかる」ということでしたが、「相手の立場に立って考える」ってトレーニングをしても難しいんです。そうやってずっと他者とすれ違っていた部分が、VRを使えば、相手の心の動きがわからなくても、少なくとも相手と同じ入出力が自分にも伝わってきて、相手の視点に立つことはできるわけです。
「主観を記録して再現できる」という話だと、例えば津波シミュレータがあります。夏目漱石のお弟子さんで物理学者の寺田寅彦は、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残しています。“忘れた頃”というのは、つまりその天災が伝聞になった時。むしろ本人にとって、被災の記憶というのは忘れたくても忘れられない。それが世代を超えて伝聞となった(他者の記憶でしかなくなった)時にやって来るのが災害だ、ということです。
毎日、地震や津波が起こっていたら、住む場所を変えたほうが良いし、ずっと暑い地域だったらそれは常夏という気候に過ぎない。でも、ずっと寒いところが暑くなるから熱波という天災になる。だから、「何十年に一回」ということ自体が災害の定義にもなっています。これは天災に限らず、人災である戦争も同じことです。
━━VRであれば体験やインタラクションを記録することができて、それによって初めてわかることがたくさんある。
稲見 体験やインタラクションの記録ということですと、AI的な技術を使えば、“私”を記録して再現することもできるはずです。つまり、私=稲見昌彦と同じような反応を返す存在をつくることができる。
例えば、ツイッターのbotを人間と勘違いして話しかける人ってだいぶいますよね。昔、MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井裕先生が東大の廣瀬通孝先生のbotに話しかけて、「なんで廣瀬先生は全然返信してくれないんだ!」って不満を言ってたことがあるんですよ(笑)。その時に、私は「あ、チューリング・テストを通ったんだな」って思いました。そんなことがあって、石井先生もTwitterの可能性に気づいて、後に石井先生のbotも出来ることになった(笑)。
━━読者のためにチューリング・テストを簡単に説明すると、話している相手が人工知能かどうかを判別するための実験で、人間と機械が文字だけで会話した時、人間が「今、話している相手は機械である」と判断できるかというものです。
これまで機械が人間のフリをするのは難しいとされていましたが、2014年にはロシアのスーパーコンピュータがこのチューリング・テストに合格したとして、話題になりました。
稲見 一時期話題になっていたアメリカの不倫サイトでも、その中でのやり取りの大部分がサクラとしてbotが答えてたということで、チューリング・テスト大成功と言われています。
だから、AIで私と同じような反応をするキャラクターくらいはつくれると思うんですよ。そうすると、一人称である“私”の死はなくならないけれど、二人称、三人称の死は消える気がする。つまり、すでに亡くなった人の人格を再現して、話しかけるとその人と同じような反応を返してくれたら、他者にとってその人は死んでいない、ということになる。
もしかすると未来の仏壇はそうなっているかもしれません。イタコさんが頭の中で死者を一生懸命シミュレーションして答えていたことを、もう少し高い精度で出来るようになる。死によって私自身は消えても、相手から見た私は死んでも消えなくなる。
体験をパブリッシュできるのがVRなら、AIはインタラクティブなメディア、哲学的ゾンビ※としての“人”をパブリッシュできるんです。
※哲学的ゾンビ…自分以外の他者は本当は意識など持っておらず、ただ外界からの刺激に反応しているだけのゾンビのような存在ではないか? という思考実験と、その内面(意識)を持たない他者を指す。唯我論に基づいている。
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稲見昌彦
東京大学先端科学技術研究センター教授
東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野教授。同大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科客員教授、超人スポーツ協会共同代表を兼任。専門は人間拡張工学、バーチャルリアリティ、複合現実感、エンタテインメント工学、ロボット工学。
1994年、東京工業大学生命理工学部生物工学科卒。1996年、同大学大学院生命理工学研究科修士課程修了。1999年、東京大学大学院工学研究科博士課程修了。東京大学助手、マサチューセッツ工科大学コンピュータ科学・人工知能研究所客員科学者、電気通信大学電気通信学部知能機械工学科教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授などを経て現職。
『攻殻機動隊』に登場する技術「熱光学迷彩」をモチーフとした、再帰性反射を利用した光学迷彩を実際に開発した研究者として世界的に知られている。著書に『スーパーヒューマン誕生!』(NHK出版新書)がある。
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