VRが生み出す価値創造システム
━━実際、VRの中で価値が創造できるシステムというと、具体的にどういうものがありますか?稲見 VRが広まるためにもうひとつ忘れてはいけない技術として、テレイグジスタンス、テレプレゼンス(遠隔存在感)があります。これは、遠隔地にあるコンピュータやロボットを操作して、あたかもその場所に自分がいるかのように作業などを手伝うことができるという技術です。
VRは現実世界をコンピュータの世界に置き換えますが、テレイグジスタンスは現実の世界を、離れた現実の世界に置き換える。両者が使っているテクノロジーはほぼ変わらない。価値を生むシステムとしては、一般的にはまずテレイグジスタンスのほうが広まるのかな、という気がしています。
つまり、リアルタイムに人間を遠隔地に移動させること(テレイグジスタンス)ができれば、少なくとも移動にかかる時間と交通費分の価値が創造されたことになります。
稲見 (前編でオススメの作品として挙げた)映画『サロゲート』は、VR的な変身を前提とした作品ですが、その中では逆説的に、生身の体で外に出るということが一番の贅沢になっている。自分の身体で移動することが船旅に出るくらいの体験になっているんです。
━━恋愛においても、お互いがテレイグジスタンスでデートをする、なんて可能性もありますよね。
稲見 それこそ、初デートの時に相手から許可をもらって自分の耳に録音機器をつけて、デート中の音声を録音していた知人がいました(笑)「いつでも初心に返って、思い出せるように」って。
━━それもまたVR的な体験の記録ではある(笑)。ウェアラブルコンピュータを着けて、自分の人生を記録するという研究者もいました。
稲見 部屋中を録画しておいて、自分の子どもが立ち上がった瞬間を記録しておく、といったことも出来るようになっています。昔、作家の堺屋太一さんがこんなことを言っていました。「我々はありふれたものをたくさん消費することで、少ないものを大切にするようにできているのではないか」と。 これはバタイユの「祝祭と蕩尽」の考え方と通底しています。
バーチャルの世界では、疑似恋愛も含めてありふれたエンターテインメントとして恋愛を消費していく。だからこそ、かえって純愛志向が強まる可能性もあるでしょう。純愛がより少ないものならば、大切にしようと。そういう意味で、VRやテレイグジスタンスによって改めてリアルの価値が見直されることもあるかもしれません。
━━VRやテレイグジスタンスだけでも、さまざまな利用法や価値創出が考えられますね。
稲見 ほかにも、VRの中で学校をつくってもいい。 すでにカドカワがネットに創った「N高等学校」がありますね。また、VR空間でのカンファレンスを可能とする「cluster.」(https://cluster.mu/)というサービスもスタートしました。これは実際に体験しましたが、Twitterのアイコンが顔になっている聴衆が隣にいるだけで臨場感が増すんですよね。
一方、VRの世界では近いうちに自動翻訳ソフトが出てきて、語学があまり必要にならなくなってくるかもしれません。そうなると、今まで言葉の壁に阻まれて価値を交換し合えなかった人が一緒に新しい仕事をすることもできるかもしれない。
このインタビューも、VRを使えば取材者の視線を通して見ることが出来るようになる。そうすると、今度は「それをまとめたい」という人も出てくるでしょう。1時間のインタビューを見るのに1時間かかってしまうのであれば、それを100個見ることは難しい。
VRって、平行宇宙論的(パラレルワールド)なんですよ。体験をパブリッシュするということは、何千、何万という世界が同時に生成される。それを全部体験していたら、生物としての一生はすぐに終わってしまう。その時、ソムリエのようにうまく話をまとめて、わかりやすいように提示してくれるメディア的な立場の仕事が必要とされるはずです。
━━「VRキュレーター」という職業が登場する可能性がある。今、ライターの私は今回のインタビューを文字にして読者に伝えるわけですが、これからはVRでインタビュー体験として、読者に伝えるようになるかもしれない。
稲見 でも、文字もなくならないと思います。文字というのは、ものすごい圧縮技術で、知の結晶なんです。『スーパーヒューマン誕生!』は2時間半くらいで読めますが、90分の講義15回分以上の内容が入ってます。しかも、情報をロスしない形で結晶化しているので、伝わりやすい。
━━ただ、出版不況と言われて久しいです(苦笑)。
稲見 それは流通の問題だと思います。もしくは、これまで知に触れようとすると本しかなかったけれど、出版に対抗するメディアがたくさん出てきたからじゃないでしょうか。
━━ネットが普及した今でも、人間の文字を読む量は変わってないという話もありますね。それこそ、まとめサイトしか読まないような人でも文字自体にはずっと触れている。
稲見 人間が一日に文字を読む量と書く量は決まっている感じがありますよね。私もメールをたくさん書く日は論文が書けない気がする(苦笑)。人間の入出力の帯域が決まっているような…そういう研究も探せばあるかもしれません。逆に今後のメディアは、その限られた情報量の中での体験を取り合うことになるわけです。
━━一定の速度と方向へ機械的に進む時間、つまり「クロノス」は決まっていますからね。
稲見 コンピュータの良いところは、主観的な時間である「カイロス」を人工的につくれるところなんです。現実世界では現実の速度(クロノス時間)しか流れない。でも、バーチャルの世界なら、3倍速再生やタイムラプスをしたり、余計な間をカットすることも出来る。そうすれば、今までの10倍分の人生を生きることができるかもしれない。
ただ、先ほど話したように、もし一日に人間が入出力できる情報量に上限があるとするならば、今度はその限られた情報量の中で深く訴えかけるような体験の質を考えていかなくてはいけません。体験をした後に、しっかりと心に残るのが質の高い体験になる。
━━アルバート・アインシュタインの相対性理論を彷彿とさせるお話です。
稲見 「可愛い女の子と一緒にいる1時間は1分ぐらいに感じるが、熱いストーブに座っている1分は1時間よりも長く感じる。これが相対性だ」という、アインシュタインのジョークですね(笑)。
問われる科学者の倫理
━━最後にお伺いしたいのですが、VR技術や稲見さんの研究する“人間拡張工学”など、今も発展を続ける科学技術が今後、悪用される可能性は否めないと思います。最近では、こうした観点から、科学者の倫理が問われることも多いです。稲見先生は、科学者の倫理をどのように考えていらっしゃいますか?稲見 私は、自分の予測能力をそこまで信じていません。だから、科学技術がどう使われるかは絶対に予測できない部分がある。ハックというのは、大抵、想定外のやり方でされるものですし。
だから、我々がひとつ考えているのは、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の中村伊知哉さんたちが竹芝につくろうとしている「コンテンツイノベーションプログラム」という国家戦略特区です。 コンテンツ関連技術やVR、超人スポーツといったものを含めた小さなコミュニティをつくって、技術としては特に規制のない状態で社会実験を行う。その中には、きっと技術を使って悪いことをする人もいるでしょう。
でも、倫理や規制は予測ではつくれません。倫理も規制も、両方とも時間と空間の関数ですから。 今、「倫理的に良くない」と言われているものは、我々の親の世代とはだいぶ違っている。反対に、自分たちの子ども世代の倫理を、今我々が決めてしまってもいいのか? それを決めること自体、倫理的なのか? という問題がある。一方で、回復不可能な心身のダメージといった、いつの時代でも禁止されるであろう、想定できる問題もある。
そういった問題は技術をどのように使ったら、起こりうるか? それは実験するサンドボックス(砂場)をつくってみて、我々が学ぶしかないと思っています。そこでは、どんな技術でもどんどん使ってみる。その中で出てきた問題については、自主規制なり問題に対応するための新たなテクノロジーなりで適切な解決策を見つけ、世の中に出していく。こういったことをやっていくしかありません。
結局、技術というのは同時発生的に出現するものです。だから、私がその技術開発を止めたところで、そこになんらかの合理性やその技術を使ってみたいという人がいれば、別の誰かがやってしまう。それなら、最初から全部オープンにしてやってみよう、そして課題とその解決策を含めた運用ノウハウを蓄積しようと。現代においては個別の技術でなく、それを社会実装するためのノウハウこそが最も貴重な価値なんです。
━━倫理的な取り組みとして、実地検証をしてみようということですね。
稲見 私の上の世代ですと、倫理的な取り組みが大切だと言って、法律の専門家や倫理の専門家の話を聞きなさい、という話になる。でも、彼らにだって今想定されていない技術の使われ方を元に倫理を考えるのなんて、無茶な話なんです。一緒にその場にいて考えるしかない。それこそMITメディアラボの所長である伊藤穰一さんも「計画の時代は終わった」と言っています。
━━法律や倫理の専門家も、新しい技術が存在する世界を体験していないわけですからね。
稲見 机上の空論で妄想だけが広がってしまうと、単なる拒絶反応が出てくるだけです。それこそ、昔の内閣府の議事録(http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html)に「VRは悪である」という文言があるみたいに。それを知った時は、「タイムボカン」シリーズのファンとしては思わず「憧れだった悪の科学者になれた!」って、微妙に喜んだりもしましたけど(笑)。
でも、そのくらいのインパクトがあるのが、新しいメディアなんです。よくわからないから、怖いと思ってしまう。怖いことというのは、よくわからないことなので。
だから、これから何が起きるのか? ということに関しては、特区的な場所で試してみるのが唯一解だと思っています。アメリカだって、Googleとかはベータ版を世に出して社会実験をしてから、問題を潰していく。悪人のいない実験室の中で、コミュニティやソーシャルを前提としたシステムを運用しても何も想定できないんです。
━━例えば、SNSの「Facebook」を3人で使ってみてもつまらないでしょうね。
稲見 それで、「Facebookは使えない」と思って終わらせてしまったり、3人で使った時の問題点を解決して論文を書いたところで、何の参考にもなりません。 例えば、「Facebook」であんなにたくさんサングラスの宣伝がされるなんて思わなかったはずです(笑)。事前に倫理的な取り組みをやったところで、やはり新しい技術は使ってみないとわからない。
━━VRの未来と共に、こうした技術倫理の取り組みにも注目していきたいです。本日はありがとうございました!
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稲見昌彦
東京大学先端科学技術研究センター教授
東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野教授。同大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科客員教授、超人スポーツ協会共同代表を兼任。専門は人間拡張工学、バーチャルリアリティ、複合現実感、エンタテインメント工学、ロボット工学。
1994年、東京工業大学生命理工学部生物工学科卒。1996年、同大学大学院生命理工学研究科修士課程修了。1999年、東京大学大学院工学研究科博士課程修了。東京大学助手、マサチューセッツ工科大学コンピュータ科学・人工知能研究所客員科学者、電気通信大学電気通信学部知能機械工学科教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授などを経て現職。
『攻殻機動隊』に登場する技術「熱光学迷彩」をモチーフとした、再帰性反射を利用した光学迷彩を実際に開発した研究者として世界的に知られている。著書に『スーパーヒューマン誕生!』(NHK出版新書)がある。
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