任天堂の旧本社に泊まってく? ホテル「丸福樓」に創業史を振り返る空間

任天堂の旧本社に泊まってく? ホテル「丸福樓」に創業史を振り返る空間
任天堂の旧本社に泊まってく? ホテル「丸福樓」に創業史を振り返る空間

建築家の安藤忠雄さんが設計監修をつとめたホテル・丸福樓

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任天堂を創業した山内家(Yamauchi-No.10 Family Office、山内財団、株式会社山内)が、任天堂旧本社をホテルに改装した丸福樓(まるふくろう)に、任天堂創業の理念を表現したライブラリー「dNa」(でぃーえぬえー)を設置することを発表した。

「dNa」は、山内家が考える任天堂のDNAを表現し、“独創”の哲学を体現したという空間。ラウンジとしても利用できる。

ホテル・丸福樓は、4月1日(金)にグランドオープンを予定している。

【画像】任天堂旧本社をホテルに改装した丸福樓(43枚)

ライゾマによる花札の映像作品にケント紙の初代ファミコン

「dNa」に設置されるアートギャラリーには、Rhizomatiks(ライゾマティクス)による映像作品や、片目の木彫達磨、そして美術作家・小坂学さんがケント紙で制作した初代ファミリーコンピュータなどが展示される。

花札をあしらったトリックを使った映像作品(制作 Rhizomatiks)。

片目の木彫達磨。山内溥さんが、成功したと自分で言いきれる瞬間は永遠にこないと達磨の片目を塗らずに飾っていたことから着想を得て制作。(制作:壱両さん)

ケント紙で制作した初代ファミリーコンピュータ(制作:小坂学さん)

花札から世界企業へ 任天堂の創業者「山内家」

任天堂は、花札やかるたなどの製造販売を原点とする世界的なゲームメーカー。

1889年、初代・山内房治郎さんが花札・かるたの製造販売会社・山内房次郎商店を創業。その後、1947年に任天堂の前身となる丸福株式会社が設立された(1963年に社名変更)。

代表取締役を3代目・山内溥さんから岩田聡さんに引き継いで以降、山内家は任天堂の経営からは退いている。

山内家・山内克仁さんのコメント
京都・鍵屋町は山内家が商いをはじめた特別な土地です。私の父、山内溥もここで育ちました。そして任天堂旧本社社屋は、任天堂の創業時の記憶を色濃く残す場所です。
日本が戦禍を経て新しく生まれ変わる激動の時代である1930年代から1950年代に、地域の皆さんと共に試行錯誤を繰り返し挑戦し続けた歴史が詰まっています。任天堂旧本社社屋は、これまで一般には未公開だったにも関わらず、ファンの方が記念に訪れるシンボリックな場所として知られていました。先代より託された理念や哲学、建造物などすべてのレガシーを次世代のために共有していくことが山内家にとっての新しい挑戦と考えています。次世代の「挑戦」がまたこの京都の地から生まれることを願っています。

京都市長・門川大作さんのコメント
京都から世界へ。任天堂の挑戦の記憶が刻まれた旧本社社屋を活用した,魅力的なホテルとライブラリーが誕生。山内さんのように古くから京都にお住まいの方が京都を愛し,地域に貢献してくださっていることを,大変嬉しく思います。また,山内財団様からの「高瀬川再生プロジェクト」への多大な御支援のお申し出に感謝いたします。魅力あふれる京都のまちを共々に創ってまいりましょう。

任天堂のモットー「独創」

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