「ブームが去っても嘆かない」ボカロP・てにをはインタビュー 創作への執着と達観

「ヴィラン」のヒットと媒体における創作の違い

──世間的な転機として挙がった「ヴィラン」は、実際てにをはさんの中でも大きなヒットだと思います。ご自身としてどのように捉えていますか?
てにをは 活動開始から10年目で、もう一度ここまでたくさん聴かれるというのは、単純に嬉しかったです。ただ自分はどちらかというと、曲との距離を置いたスタンスなんです。

たくさんの人に聴かれて自分事として嬉しいのは一時的で、あとはもう遠くで起きている出来事のように感じるというか。曲が自分の子供だとしたら、「親としてどう思えばいいのか。自分の手柄じゃないしな……」と。

つくり終えたものにずっと意識を留めていると、具合が悪くなってくるんです(笑)。それよりもとっとと次の曲を考える。だからこそ10年続いてるのかもしれないですね。

──「ヴィラン」はYouTubeやTikTokでもいろいろな方が「歌ってみた」を投稿していますが、お話をうかがっていると、それぞれの歌い方が気になるといったこともなさそうですね。

てにをは 自分で遊び道具をつくってみんなに公開したのに、それを遊ばれたから怒るというのもなんか違うなと。歌なんだから歌ってもらって当然です。自分の曲を芸術と思っていたらきっと違うんですけど、僕にとっては娯楽ですから。

ちょっと無情な言い方になるかもしれないですけど、「現代になってどんどん流行のサイクルが早まって嘆かわしい」というような風潮については、特になんとも思ってないんです。

ある意味、その流れに取り込まれて楽しんでもらいたい。言い換えれば、誰か1人でも好きになってもらえれば、本当の意味で忘れられることなんかないと思っています。
【歌ってみた】ヴィラン covered by 花譜
──非常に独特なスタンスですね。創作について、もう少し具体的なお話もうかがいたいと思います。以前、ご自身でも作家の筒井康隆さんが好きと言われていましたが、楽曲の不思議な世界観や物語性への影響も大きいのでしょうか?

てにをは もともと物心ついたときから、SFや妖怪のような不思議な世界の物語が好きだったんです。不思議なもの、謎めいたものに対しては、ずっと執着しているような気がします。

僕は媒体問わず物語が大好きなんですが、不思議という要素は、ジャンルを越えてどんな作品にも当てはまるというか。現在進行形で作品は無限に生まれているので、それらを楽しみながら、たぶん人生が暇になる瞬間は1秒もないまま死んでいけるだろうなと思います。

影響という意味では、筒井康隆さんももちろんですし、内田百間という大正から昭和にかけて活躍された作家の影響もあるかもしれません。淡々とした文体というか、ちょっと軸がどこにあるのかわからない表現や物の見方が印象に残っています。

内田百閒『百鬼園随筆』/画像はAmazonより

──ご自身で小説も書かれていますが、小説とボカロ曲とで創作のきっかけに違いはあるんでしょうか?

てにをは 中学校の頃から音楽と小説の両方をやってきたので、つくるという意味であまり差はないんです。ただ、当然ですが、どういうサウンドを鳴らしたいかと、どんな物語を書きたいかという違いがあります。

でも、両方とも1つの頭から出てくるので、分けて考えているわけではありません。ちょっとした言葉やネタを書き留めて、それが歌詞になるのか、小説の一節になるのかは正直わからないですね。

──では歌詞と小説の文章とで言葉の選び方に違いはありますか?

てにをは あります。楽曲の場合は3~4分で終わるので、限られた時間の中に体験を圧縮しているんですね。

だから小説での情景描写とか心情描写とか、そういうときに語られる言葉と全く違う言語なんです。以前、小説で歌詞くらいの濃度というか、歌詞を考えるときの言葉で書いたことがありました。「隅々まで最高の文章にしたい!」くらいの気持ちで……読めたもんじゃなかったですね(笑)。

全部入りのような足し算ばかりしていくと、何のために小説にしているのかがわからなくなってくる。文字通り、言葉遊びで終わってしまうように思います。

てにをはさんが織川制吾名義で執筆している『ストロベリアル・デリバリー ぼくとお荷物少女の配達記』/画像はAmazonより

「てにをはの曲を」Ado、森カリオペへの楽曲提供

──そういったご自身の活動の一方で、最近ではAdoさんや森カリオペ(Mori Calliope)さんらに楽曲を提供しています。楽曲提供における普段との違いを教えてください。

てにをは まず第一にスケジュールがあります。その上で、その人のイメージや歌えるキーの高さ、僕に対してやってほしいことがぼんやりとある。

少しわがままなようですけど、それらの条件の中で、「自分が一番面白いと思うものを返そう。てにをはに頼んだのだから、自分だからこそつくれるものが欲しいはず」と思ってつくる。

何かを期待されているとは思うので過去の曲の再生産のようなことはしたくない。なんとか抗いながら、相手の納得してもらうものをつくろうと思っています。

──てにをはさんから見て、Adoさんや森カリオペさんの歌手としての印象を教えてください。
Ado「ギラギラ」
てにをは Adoさんは声の倍音が豊かで深くて、「自分はこう思うから、そのためにこう歌う」みたいな、歌うことに対する明確なビジョンがありますよね。

いわゆる“それっぽく”ではなくて、歌うことに対する先入観やバイアスから解き放たれていて、自分がこの曲を歌うために、もっと深く表現するためにはどうしたらいいかと、いろいろ考えているような印象を受けました。

森カリオペさんの場合は、自分の“好き”に対して完全に振り切っているという印象です。ラップを自分の表現として、自分が好きなものとして、ストレートに打ち出している。才能も豊かだし、表現欲求というものが尽きることがないタイプの人だと思いました。
森カリオペ「Red」
てにをは VTuberとしての活動も独自のスタンスですが、音楽のジャンル的にも、僕にEPを丸ごと頼むってある意味正気じゃないなと(笑)。

Adoさんと一緒で、「それっぽい感じ」ではなく「てにをはさんがつくる曲が欲しい」というピンポイントな要望を感じました。だからこそ僕も、初めての丸ごとのプロデュースでしたけど、楽しくスムーズにやらせていただきました。

──共同制作についてもうかがいたいです。10月15日に発売されるコンピレーションアルバム『キメラ』では、「共犯」を和田たけあきさんと共同制作しています。1人で黙々とつくられるてにをはさんとして、共同制作という体験はいかがでしたか?

ボカロP12人が参加したコンピレーションアルバム『キメラ』/画像はAmazonより

てにをは 和田さんとは、交流はないけどお互い知ってはいたという、遠くて近いような関係で、僕にとっては初めての共同制作でした。

お互い10年選手なので、もうそれぞれの世界があるだろうと、自分のやり方や制作のリズムとか、テリトリーみたいなものを最初に振り分けて、「お互い自分の得意なことを頑張りましょう」というようにつくりました。

僕は歌詞、和田さんがギター。それぞれの領分に踏み込むと収拾つかなくなるだろうと予想していたので。結果的にお互いスムーズにいったので、1つの共同制作のやり方として良かったんだと思います。

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