「不良の時代」とヤンキーのリアリティ
21巻で「東京卍會」が頂点に立ったことを、マイキーは「オマエ(タケミチ)の時代」と表現しています。ですが、マイキー自身の目標は「オレの時代」じゃなくて「不良の時代」と言っていて主語が大きいんですよね。
ですが、最新23巻に至るまで繰り返し言及はされているものの、結局マイキーがつくりたかった「不良の時代」が何なのはよくわからないんですよね。
結局マイキーさん、12年後の未来には「不良」というよりは裏社会の人間みたいになっちゃってますからね。
そうですね。同時に『東卍』で特殊だなと思うのが、何というか、ヤンキーであること、ヤンキーのリアリティみたいなものにあまり重点を置いてないんだろうなっていうのがありまして。
ヤンキーのリアリティーとは🤔?
細かい部分で言うと、「東京卍會」ってみんなで集まって一番隊とか言ってるけど、旗持ちとか、特攻隊長のような役割があまりないんですよね。一応ムーチョ(武藤泰宏)の伍番隊には内偵という役割があったんですけど。
「東京卍會」の創設メンバー紹介には一虎と場地が特攻隊みたいな役割が一応存在してたけど、形骸化はしてますね。
そういう部分がちゃんと描かれていなくて、それが「不良の時代って何なんだろう」という疑問にぶつかってしまう理由のような気がするんです。
ヤンキー漫画的なリアリティを追求してないというのは、ほんとその通りで。
ヤンキー漫画って、『BØY』とか『今日から俺は!!』みたいなフィクションの度合いを高める方法もあれば、『ナニワトモアレ』みたいに、力ではひっくり返せない数の暴力とか、逆に大体の喧嘩が一瞬でケリがつくとか、リアリティみたいなのを追求する方向もある。
けど、『東卍』はどっちでもないなって感じはありますよね。フィクションレベルとして中途半端な設定になってるなと。
「東京卍會」という組織体がそもそもよくわからないもんね。最初は暴走族って言われていたんだけど、暴走行為のシーンなんてほとんどなくて。抗争ばかりしている謎のイケメン集団になっている。
バイクを大事にしてるって描写はあるけど、深夜にブンブンいわすみたいなのは、あんまりないよね。暴走族って言うよりは、なんとなくのやんちゃ集団として描かれてきている。
実はその辺に、転換があったっぽいんです。最初の方の単行本の装丁を見てください。デザインがいかつい、黒い感じで、まさにヤンキー漫画っぽいテイストだったんです。
それが4巻で全巻一斉にリニューアルを行いまして。4巻から白い背景に、ちょっとおしゃれな格好をしたキャラクターたちが載っているっていうものに変更されているんです。
僕は電子書籍で買ってきたんで、すでに全部同じデザインだしリニューアルにも全然気づいてなかった。
私もそうですね。
多分、作者ないし編集部の方で、ちょっと作品の方針を変えようという意図があったんじゃないかと。
『HiGH&LOW』のドラマが放送されたのが2015年、劇場第1弾が2016年で『東卍』4巻が2017年なので影響を受けた部分があるのかなと思っています。
なるほど。ちょっと待って、ハイローの前に『クローズZERO』があったと考えると、『クローズZERO』の影響も受けていると言えなくもないね。さすがだ。
『東京卍リベンジャーズ』はヤンキー漫画なのか? ヤンキーが成立しない時代の中で
よねさんの「『東京卍リベンジャーズ』はヤンキー漫画なのか?」っていうテーマにも通じてくると思うんですけど、最初はヤンキー漫画でいこうとしてたけど、ちょっとした方針転換があったのかも、ってことですよね?
僕はそう思ってますね。
じゃあこれは、ヤンキー漫画ではない?
先に結論から言ってしまうと、僕は新しいタイプのヤンキー漫画だと思っています。今、社会はヤンキーっていう存在に対してリアリティを持てなくなってるじゃん。
昔みたくその辺にごろごろ居る、というわけじゃないですからね。
単純に暴走族とかいないし。栃木県とか北関東に行けばいるのかもしれないけど……まず東京にはいないじゃないですか。
(東村山には今でもバリバリ現役暴走族いるけどな)
僕が高校生だった2000年代ですら、田舎でもかなり少数派になっていて。おそらくそういう理由で、ヤンキー漫画自体もかなり数を減らしていったんじゃないかなと思うんです。
少なくともヒットする本数は減っていますよね。
でも、昔の少年誌には常にヤンキー漫画があった。『マガジン』を筆頭に『週刊少年ジャンプ』とかにも載ってたし。『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助みたいに主人公がヤンキーなのも普通だったし。
『SLAM DUNK』の桜木花道もそうですよね。
『ジョジョの奇妙な冒険』の空条承太郎もそうですね。
でも現代では、不良が大衆性やリアリティを持てなくなった。だから『東卍』はそこで「タイムリープ」を使って、こういう時代もあったんだよ、と読者に対してリアリティを持たせようとした。
つまり、ヤンキー漫画を成立させるために「タイムリープ」という装置がある。だから、作者は「ヤンキー漫画を描きたい・成立させたい」と思っていたはずなんです。
めずらしく完全同意するけど、マジでその通りだと思う。
でもいつの間にか、ヤンキーよりも「タイムリープ」とか「イケメン」の方がなぜか主軸になってしまった…!
まあ、結局はそっちで人気に火がつきましたよね。異世界転生系が若年層にもめちゃくちゃ流行ってきて。
ヤンキーっていう今の子にとっては新鮮な題材に、タイムリープって今どき感が乗ったっていうのは、流行った理由だろうなって思いましたね。
コバヤシくんとよねさんの話を受けて、俺も不良の時代を取り戻そうっていうのが、『東京卍リベンジャーズ』の大きなテーマなのは間違いないと感じてる。
よねさんがさっき言ってた、ヤンキー漫画が成立しづらくなったという話を別の角度から見ると、現代ではヤンキーじゃなくて、半グレとかクライム・フィクションみたいなものが主流になってきている背景もあると思う。
『闇金ウシジマくん』とかね。
そうそう。『ギャングース』みたいな若者が犯罪でのし上がるとか、逆に『僕たちがやりました』みたいな犯罪を犯してしまって警察に追われる漫画とか多くなってきてて、基本的には法を軸に定義されてる作品が多い。
ヤンキー漫画でももちろん喧嘩は罪に問われるんだけど、法律的観点での善悪ではなくもっとファンタジックな思春期の衝動の表現として描かれてきたはず。
殴り合うことで通じ合うものがあるっていう描写は、犯罪の加害者・被害者の関係とは全然別物ですよね。
『東京卍リベンジャーズ』で、人を殺すことを厭わない天竺を相手に、東京卍會として千冬が「これはガキの喧嘩なんだ」って言うシーンがあったじゃないですか
言ってましたね。「殺し合いじゃねえんだ!」ってやつですね。
あれは名シーンというか、象徴的なシーンだね。
今ではその「殺し合い」を、犯罪集団を描く漫画の方が存在感が出てるけど、俺らがやりたいのは「見栄の張り合い」で「ガキの喧嘩」なんだよと。それこそが『東京卍リベンジャーズ』のテーマなんですよね。ヤンキー漫画を取り戻したいっていう。
つまり、ヤンキー漫画や文化への回顧や愛というか、メタ的な視座からヤンキー漫画を描いてるっていうことですよね。
そう。だからマイキーの言う「不良の時代」は「不良”漫画”の時代」を指している、とも解釈できる。古き良き、ある種の青春としての「ヤンキー」を取り戻したいというテーマがあるんじゃないかなと。
まさにそうなんだよ!
だからよねさんの言う「ただのヤンキー漫画じゃない」っていうのは確かで、『東京卍リベンジャーズ』は「『ヤンキー漫画』を取り戻すための漫画」になっていると思う。
それはそうだと思いますね。おんださんはどうですか?
よねさんが言った不良漫画とタイムリープの関係性について、僕も読んでいて不良漫画にありがちな”卒業”をタイムリープでことごとく避けてるなって感じてました。
確かに! 卒業できないですからね。
そうなんですよね。22巻では、頂点に立って「東京卍會」が解散、ヒナも救って現代でハッピーエンドかと思いきや、そこからまた「あの頃」の話と新章がはじまった。
それでにいみさんが言ったように、本当にあの頃良かったな、みたいな部分を繰り返しやっていく漫画なんだっていうのを僕は悟りました。
確かに現代の感覚としては、ワルやってたけど卒業して大人になったら丸く収まる……みたいな成熟よりも、半グレになってる方がリアリティがありますね。
だからそうじゃなくて、メタ的にヤンキーを繰り返すことで、漫画的な”不良”の時代を取り戻したいっていう。ガキの喧嘩的なことをずっとを続けていきたいよねっていう、そういうことですよね?
そうっすね~。
なるほどね。『東卍』ガチ勢のコバヤシくんは納得できましたか?
もちろん納得できます。僕、実は学生時代にブログをやってたんですが……そこで『東京卍リベンジャーズ』の記事も当時に書いてまして。
へぇ〜。
ガチだな! 俺が想像してた10倍くらいガチ勢だな!
だから言ってるじゃないですか最初から! 全部買ってるんですよ、紙で!
それでブログを読み返したんですけど、1巻のラストに描かれたマイキーが不良の時代をつくる野望を語るシーン、「これは武道へのセリフですが、僕にとっては、今はもう流行らないって言われるような、ヤンキー漫画に惹かれ、その世間に対して突っ張った生き方にどうしようもなく惹かれてしまった読者へのアンサーのような気がしてグッと来ました」って書いてありますね。
34歳の俺がだした結論、僕は学生時代から先取りしてました、ってか! でもまあ本当にそうとしか読めないよね。
半グレ漫画におけるツッパるって、生きるための“手段”。それはそれで切実だし間違いなく現代的なリアリティなんだけど、ヤンキー漫画においてツッパることは“意味”なんだよね。
かっこよくありたい、世間に迎合したくない、自分を誇りたい。ヤンキーである意味を取り戻そうという挑戦については、いちヤンキー漫画読者として俺は支持します。
おんださんの話で思ったんだけど、ヤンキー漫画って結構卒業後も描くのが通例になっているよなと思っていて。
そうすね。
『湘南純愛組!』と、その主人公が大人になった姿を描いた『GTO』みたいな。昔はヤンチャしてたけど今は落ち着いて、大人になってるっていう成熟を含んだ描写が本来の意味で”かっこいいヤンキー像”だと思う。
『東卍』は未来も同時に描いてて、一つの作品内でそれができてるっていうのが結構面白いなと思いますね。
22巻とかは割とみんな更生して、ちゃんとした職業についてるところを見せられますからね。
ここまで話して、やっぱり『東卍』はおもしろい漫画なんだなっていう感じですね、今んところ。
現代型の犯罪漫画ってわけじゃなく、あくまで「ヤンキー漫画を取り戻したいヤンキー漫画」っていうことなんですかね、結論としては。
いや、ちょっと待ってください! 僕はずっと疑問に思ってることがありまして。ヤンキー漫画を取り戻したい漫画であることは間違いないんですけど、その挑戦はやっぱり失敗しているんですよ。この漫画は、致命的に破綻している。
どええ!?
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連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
2件のコメント
都築 陵佑
コメントありがとうございます。編集部の都築と申します。
ご指摘いただいたお名前の件、大変失礼いたしました。
記事は先ほど修正させていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
匿名ハッコウくん(ID:5175)
馬地…?って誰?