2019年12月31日の渋谷カウントダウン。2020年を迎えた瞬間、渋谷は新年を祝福する歓声であふれていた。
路上飲酒規制条例が可決された10月のハロウィンに続き、毎年多くの来街者で賑わう年越しでも同様に路上飲酒を禁止した。 飲酒禁止を理解していない人や守らない人もいたものの、こちらもハロウィン同様、渋谷署員や機動隊員に加えて、2019年は民間セキュリティ会社・BONDSの屈強な警備が目を光らせていたこともあって、10万人を超える人が詰めかけた渋谷の街は比較的つつがなく2020年の年越しを迎えた。
その3年後の2016年のカウントダウンから、区や渋谷区商店会連合会、渋谷駅前エリアマネジメント協議会らが主催となって、今のような商業イベントという形で駅周辺を交通規制してカウントダウンイベントを開催するようになった。
それも今年ではや4回目を迎え、コカ・コーラ社が渋谷駅の交差点にブースを展開する光景ももはやお馴染みだ。あの赤いシルクハットは夜目にも目立つ。 去年は任天堂も協賛だった(関連記事)。2019年も新生渋谷PARCOに国内初の直営店「Nintendo TOKYO」がオープンした縁もあって勝手に期待したが(関連記事)、今年は協賛しておらず個人的には残念だった。
ただ、2019年は、2018年に続き、歩行者の導線が非常に複雑だった。 筆者は道玄坂の上から坂を下る形で、カウントダウンの中心地である渋谷駅に向かった。交差点付近まで到着し、まず左側の歩道を進んだところ封鎖されていて行き止まりになっていた。 道路をわたって右側の歩道から駅の方に向かおうとするも、こちらも結局行き止まり。そこで、駅に向かう道順を警察に訪ねるも人によって回答が異なるため、2018年と同じく歩行者には混乱が広がっていた。
いわく「道玄坂をずっと登って青山通りの方から回れます」「青山通りの方には出られないから、文化村の方から大回りしてもらうしかないです」。 この混乱は、刻一刻と変化する状況に応じて現場で様々な変更を余儀なくされていたことから来ていたはずだ。警備からの提案をうけて「わかりました、本部に指示を仰ぎます」というやりとりを何度も見聞きした。
「たぶん」「おそらく」「と思います」という説明が繰り返されていた。
官民が協力体制を敷きかつこれほど大規模なイベントとあっては予行演習も現実的ではないからだろう、歩行者の導線に限っては段階的に改善されていっているようにも見えなかった。これは仕方ないことで、願わくばそうした経験が有事の際の誘導などに活かされてくれれば、などと思ったりした。 そうこうしている間にも後から後から人が押しかけてきたため、筆者は23時半から小一時間ほど、行き止まりの途中で閉じ込められて全く身動きがとれなくなってしまった。 バリケードを隔てたすぐ向こう側は渋谷駅なのに行き来は不可能で、前が塞き止められているのに後ろからは人がどんどん流れてきた。
本当に緊迫した場面が一度だけあった。最前列に、バリケードにしがみついて倒そうとするかのような複数人の集団がいて、もしバリケードが向こうに倒れていたら目も当てられない大惨事が起きていただろう。危うく傾きかけた瞬間は本当に肝を冷やした。 当初バリケードはしばらく開放されない予定だったようだが、このカウントダウン後に急きょ開放されることとなった。【危険】渋谷カウントダウン、バリケードを倒そうとする暴徒
路上飲酒規制条例が可決された10月のハロウィンに続き、毎年多くの来街者で賑わう年越しでも同様に路上飲酒を禁止した。 飲酒禁止を理解していない人や守らない人もいたものの、こちらもハロウィン同様、渋谷署員や機動隊員に加えて、2019年は民間セキュリティ会社・BONDSの屈強な警備が目を光らせていたこともあって、10万人を超える人が詰めかけた渋谷の街は比較的つつがなく2020年の年越しを迎えた。
イベントとして整備された、2016年の渋谷カウントダウンから4回目
KAI-YOUがカウントダウンの取材を始めたのは、2013年から(関連記事)。その3年後の2016年のカウントダウンから、区や渋谷区商店会連合会、渋谷駅前エリアマネジメント協議会らが主催となって、今のような商業イベントという形で駅周辺を交通規制してカウントダウンイベントを開催するようになった。
それも今年ではや4回目を迎え、コカ・コーラ社が渋谷駅の交差点にブースを展開する光景ももはやお馴染みだ。あの赤いシルクハットは夜目にも目立つ。 去年は任天堂も協賛だった(関連記事)。2019年も新生渋谷PARCOに国内初の直営店「Nintendo TOKYO」がオープンした縁もあって勝手に期待したが(関連記事)、今年は協賛しておらず個人的には残念だった。
導線が複雑(流動的)すぎて誰も把握できず
冒頭で述べた通り、おおむねつつがなく、新年の門出が渋谷で祝われた。ただ、2019年は、2018年に続き、歩行者の導線が非常に複雑だった。 筆者は道玄坂の上から坂を下る形で、カウントダウンの中心地である渋谷駅に向かった。交差点付近まで到着し、まず左側の歩道を進んだところ封鎖されていて行き止まりになっていた。 道路をわたって右側の歩道から駅の方に向かおうとするも、こちらも結局行き止まり。そこで、駅に向かう道順を警察に訪ねるも人によって回答が異なるため、2018年と同じく歩行者には混乱が広がっていた。
いわく「道玄坂をずっと登って青山通りの方から回れます」「青山通りの方には出られないから、文化村の方から大回りしてもらうしかないです」。 この混乱は、刻一刻と変化する状況に応じて現場で様々な変更を余儀なくされていたことから来ていたはずだ。警備からの提案をうけて「わかりました、本部に指示を仰ぎます」というやりとりを何度も見聞きした。
「たぶん」「おそらく」「と思います」という説明が繰り返されていた。
官民が協力体制を敷きかつこれほど大規模なイベントとあっては予行演習も現実的ではないからだろう、歩行者の導線に限っては段階的に改善されていっているようにも見えなかった。これは仕方ないことで、願わくばそうした経験が有事の際の誘導などに活かされてくれれば、などと思ったりした。 そうこうしている間にも後から後から人が押しかけてきたため、筆者は23時半から小一時間ほど、行き止まりの途中で閉じ込められて全く身動きがとれなくなってしまった。 バリケードを隔てたすぐ向こう側は渋谷駅なのに行き来は不可能で、前が塞き止められているのに後ろからは人がどんどん流れてきた。
2020年、渋谷カウントダウンの瞬間
バリケード上に立つBONDSの「押さないでください!」という注意喚起が延々と叫ばれ続け、ほとんど怒号と化していた。体調を崩した人が警察やセキュリティに搬送される場面が複数回あった。 文字通り一歩も動けないすし詰め状態が続き、肝心のカウントダウンの瞬間も、満員電車の中で身体が若干浮いているくらいの状態で2020年を迎えることに。 というわけで、肝心のステージも、ステージの模様が中継されている大型ビジョンも見えず、何がなんだかわからないままカウントダウンの瞬間が来ていた。明けましておめでとうございます。 ともかく、無事2020年が明けてよかった。本当に緊迫した場面が一度だけあった。最前列に、バリケードにしがみついて倒そうとするかのような複数人の集団がいて、もしバリケードが向こうに倒れていたら目も当てられない大惨事が起きていただろう。危うく傾きかけた瞬間は本当に肝を冷やした。 当初バリケードはしばらく開放されない予定だったようだが、このカウントダウン後に急きょ開放されることとなった。
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日本が世界に誇るべき最高のポップシティ、渋谷。 あらゆるカルチャーと人種が集まるこの街で、毎日のように繰り広げられるパーティー、愛のはじまり、夢の終わり、高揚感と喧噪、その捉えがたきポップの断片をかき集める人気連続企画。 2010年代は渋谷から発信されていく、と思う。
3件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:3129)
返信ありがとうございます。周りの人にも何本か配ったので、それじゃないかと思いますねえ。
にいみなお
>匿名のユーザー さん
コメントありがとうございます。筆者の新見です。
当日撮影させてもらった方に「この旗はなんなんですか?どういう集団ですか?」と聞いたところ「渋谷区の路上の自由を守る会です」とご回答をいただいたのですが、旗と会とは無関係ということでしょうか?
匿名ハッコウくん(ID:3127)
我々アナーキズムの旗の集団は「渋谷区の路上の自由を守る会」という会とは関係ありません