アニソンユニットNOW ON AIRインタビュー “止まった時間“を乗り越えて

アニソンユニットNOW ON AIRインタビュー “止まった時間“を乗り越えて
アニソンユニットNOW ON AIRインタビュー “止まった時間“を乗り越えて

アニソンユニットNOW ON AIR

POPなポイントを3行で

  • アニソンユニットNOW ON AIRインタビュー
  • 6人の強い絆と、止まっていた時間
  • アルバム『RAINBOW'S BOX』への並並ならぬ思い
2016年に行われた声優オーディション「キミコエ・オーディション」に合格した飯野美紗子さん、岩淵桃音さん、片平美那さん、神戸光歩さん、鈴木陽斗実さん、田中有紀さんの6名によって結成された声優アーティストユニット"NOW ON AIR"。

オーディションのタイトルにもなっている劇場アニメ作品「きみの声をとどけたい」の主演を果たし、ユニットとして3枚のシングルを発表。個人でもそれぞれ声優としての活動やラジオのパーソナリティーなど幅広く活動する彼女たちの待望の1stアルバム『RAINBOW'S BOX』がリリースされ、8月には過去最高規模での3周年記念ワンマンライブも開催される。
NOW ON AIR「RAINBOW'S HIGHWAY」
アニソン界にその名を馳せる老舗レーベル・ランティスの所属アーティストユニットとして大型アニソンイベント「ランティス祭り」へも出演するなど、順風満帆な活躍を見せる彼女たちだが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

止まっていた時間

劇場作品への出演と楽曲のリリース、デビューにあたって心強いサポートを得た若き彼女たちが行き着いたのは、自らでもそう言わざるを得ないほどの停滞だった。

突如として直面した先の見えない不安の中でか細い可能性を辿る原動力となったのは、オーディションの時から培った強いメンバーの絆だったという。

そうしてたどり着いた念願の1stアルバムはフラストレーションを晴らすかのように、彼女たちの溢れるエネルギーとクリエイティビティが詰まった意欲的な作品に仕上がった。

今回はそんな最新作の魅力を本人達に深堀りしていただくと共に、"NOW ON AIR"が獲得した唯一無二の輝き、その光源を探っていく。

取材・文:オグマフミヤ 撮影:永峰拓也 編集:新見直

バラバラの6人が集まった理由

──約3,000人が参加した大型オーディションによって選抜されたメンバーで結成されたユニットですが、それぞれ、なぜオーディションを受けようと思われたのでしょうか?

鈴木 私はカラオケに行くのが好きで、カラオケで流れる宣伝映像で偶然オーディションのことを知ったんです。最初はあまり興味なかったんですが一緒にいた友達に「応募してみたら?」と言われたので、歌うことは好きだし試しに応募してみようかなというのがきっかけでした。

なので「私なんて受からないだろうな…」くらいの軽い気持ちでしたね。

鈴木陽斗実さん

田中 私は小さい頃から歌うことが好きで、漠然と将来は歌に関わる仕事をしたいと思っていました。

小学校の学芸会で主役をやったことがきっかけで演技にも興味を持って、みんなで何かをつくっていくということに面白さを感じるようになったんです。

中学生の頃にはアニメにも夢中になっていて、自分のやりたいことを全部叶えるにはどうしたらいいのかなと考えた時に、声優さんに憧れるようになりました。

オーディションのことを知ったのは高校2年の時だったんですが、両親に反対されていて「これがダメならちゃんと大学にいくから!」と説得してなんとか応募できました。

田中有紀さん

片平 小学生の時にアニメの世界に入り込みたいなと思ったのがきっかけで声優さんを目指すようになりました。

それから高校でも演劇を学んでいたんですが、ある日お母さんがこのオーディション見つけてきてくれて、実力試しに受けてみようかなと思ったのがきっかけでした。

片平美那さん

神戸 私は幼稚園に入る前から叔父や父親の影響でガンダムやヤマトを見ていたので。

自然と大好きなアニメに関わる仕事がしたいなと思うようになったのですが、自分に合っているものはなにかなと考えた時に声優という選択肢が浮かんできたんです。

普段から声がよく通ると言われていて、休み時間に喋っていた内容を隣のクラスの子が知っているなんてことあるくらいでした(笑)。歌うことも人前に出ることも好きで、高校の文化祭ではステージで歌ったこともありました。

ただ、もう周りは受験モードに入ってる中で、誰にも言い出すことができずにこっそりと目指していたんです。

結局大学へは進んだんですが、それでも声優になることを諦めきれなくて最短で夢を叶える方法を探していた時に見つけたのがこのオーディションでした。

神戸光歩さん

岩淵 私は中学生の時に辛い時期があって、その時に支えになってくれたのが小さい時から見ていた『カードキャプターさくら』でした。小さい時から好きではあったんですが、見返してみたら声の表現の素晴らしさに気づいて違う捉え方ができるようになって、精神的に救われたんです。

なので私も同じように誰かの支えになりたいなと思って声優を目指してオーディションを探すようになったのですが、ある日オーディション雑誌で見つけたのがこのオーディションでした。

岩淵桃音さん

飯野 わたしは元々アニソン歌手を目指してずっとオーディションを受けていたのですが、最終審査で落ちることを繰り返していたんです。

最終審査で落ちるのは一次審査で落ちるより、決定的になにかが足りないからじゃないかと思い悩んでいたので、10代のうちにデビューできないなら諦めて長野に帰ってアナウンサーを目指そうと思っていたんです。ギリギリ20才になる前に結果が出るこのオーディションを見つけて、ラストチャンスだと思って挑みました。

飯野美紗子さん

──小さい頃から目指していた人に偶然知った人、声優を志す人にアニソン歌手を目標にする人とそれぞれ動機は様々ですが、ユニットとして心を通わせていったきっかけはあるのですか?

飯野 15人のファイナリストで、2ヶ月間のレッスンと合宿審査があったんです。

15人で声優アーティストのレッスンという未知の世界に挑むことで連帯感や仲間意識がどんどん高まっていって、ユニットとして目指す理想も統一されていったんです。

そこから選ばれた6人なので、ユニットとしてまとまったというよりは、その15人の時からの絆が強いんだと思いますね。

田中 2ヶ月一緒といっても週に何回か会うだけだったんですが、それ以上にずっと一緒にいるような感覚になって、6人になる頃にはもう一緒にいることに違和感がなかったんです。

神戸 誰が選ばれても一緒にやっていけると思える15人でした。だから6人になっても安心感がありましたね

──その頃の印象的なエピソードはありますか?

田中 みっちゃんは最初から賑やかでしたね(笑)。

飯野 今も盛り上げようとしてくれるし、当時からその明るさに救われている部分はみんなありますね。

神戸 直接言われると恥ずかしいね…(笑)。 岩淵 最終オーディションの前日はホテルが2つに別れていて、泊まった組がみさみさ(飯野)とみなみー(片平)とゆっきー(田中)と一緒だったんですが、夜にゆっきーと二人きりで話す時間があったんです。その時に、この子スゴいサラミ好きなんだなと思ったんですよね。

一同 爆笑

神戸 今すごい良いエピソード出てくる流れだったじゃん! この子と一緒に受かると思ったみたいな話なんだろうなって構えてたのに!(笑)

岩淵 お菓子をみんな買ってたんですけど、ゆっきーと私はチョイスが似ててサラミをめっちゃ食べてたんですよ。趣味は合うししっかり考えているし、話していて楽しいしでこの子と一緒に活動できたら幸せだなって思ったんですよね。

田中 サラミがなかったら分かり合えなかったんだね(笑)。

神戸 こっちの組はなんにもなかったよね?

鈴木 コンビニにお菓子買いにいったとかは一緒だけど、帰ったらわりとすぐに寝てたよね。

飯野 大事なオーディションの前なんだから本来そうなんだと思うよ(笑)。取材にきてた方が「あっちは静かだったのにこっちはみんな一緒にいるんだね」って驚いてたもん。

前日のレッスンでもみんな仲良くしてたし、この6人が特に仲が良かったわけじゃなくて15人の絆が強かったんですよね。そんなオーディションないですよ。

──だいぶ和やかなエピソードが聞けましたが、15人を一同に集めてその場で半分以下に絞るのは、見ようによってはかなり壮絶なオーディションにも思えますが。

飯野 もちろん受かりたいという気持ちはありましたが、みんなのことが好きになっちゃっていて、このまま15人でユニット組めたらなとすら思うほどでした。

神戸 オーディションである以上結果は出てしまいますが、誰が合格しても恨んだりすることはないなって気持ちになれていましたね。

──その気持ちがそのまま6人になっても絆の強さに繋がっているんでしょうか。

飯野 そうですね、だから最初は仲が良すぎて怒られるなんてこともあったんです(笑)。

片平 学校じゃないんだよとかもっとライバル意識を持ってとか。

田中 もっとバチバチしろ、とかも。

飯野 バチバチしろって、言われてするものか? とは思ったよね。

神戸 馴れ合っているわけじゃなくて、お互いを高めあっている意識があったから良くない?って私は思ってたよ。

飯野 密着取材もしてもらってたから、喧嘩とかしてくれないとエピソードが弱かったのかもしれないね(笑)。

でも良い関係性でしたし、活動を通してますます絆も強くなっていきました。

突如として訪れた"止まった時間"

──ここまでのお話では一見順調なキャリアを歩む皆さんですが、「止まっていた時間」があったそうですね。

飯野 映画を大きな目標に掲げていたプロジェクトだったので、映画が終わった後に急になにもスケジュールがなくなって、3ヶ月くらいユニットで活動する機会が全くなくなってしまって。

今でこそ事情を想像できますが、当時は私たちにはなんでそうなっているのかわからなくて、思い悩む期間が2017年の秋くらいから続いていたんです。
メンバーが出演した『きみの声をとどけたい』
──メンバーの間ではどういう話し合いが行われていたんでしょう?

神戸 せっかくの貴重な時間をこの止まった時期に費やしていいのかとかを話し合っていましたね。

今こうしてなにもしないのが最善じゃないだろうと思う一方で、でもどうしたらいいかもわからなくて、泣きながら話し合ったこともありました

飯野 なにをしたらいいのかがわからないことが、一番ストレスでしたね。 ──個人でのお仕事があっても、やはりユニットでいることが一番大切なことだったんでしょうか?

飯野 映画のためだけのユニットなら映画が終わったタイミングで終わらせても良かったですが、私たちはそうではなかったですし、ずっと続けるつもりでやってきたのでグループでいる意味を持ちたかったんです。

誰も頼れないなら自分たちでやるしかないと思って、最終的には、音大出身のみんひと(鈴木)に曲をつくってもらって勝手に路上ライブでもやっちゃおうかとも言い出していましたね。

鈴木 実際につくるまではいかなかったですけど、(あのままだったら)つくってたろうなとは思います。それくらい切羽詰まった状況でした。

回り出した歯車

──ギリギリまで追い詰められたところから、現在のように状況が好転したきっかけはなんだったのでしょう?

全員 (現プロデューサーの)吉江さん(との出会い)…。

吉江 『ラブライブ!』などを担当していた木皿(陽平)が退職するタイミングで、彼のプロジェクトをプロデューサーとしていくつか引き取ることになったのですが、その一つがNOW ON AIRでした。

存在はもちろん知っていたし、歌のパフォーマンスは気になっていたのですが、今なにをしているかを知らなかったので、とりあえず会おうと言ってミーティングをしたのが去年の6月のことだったんです。

飯野 そのミーティングは待ち望んでいた、意見を聞いてくれる場だったので、それまで溜め込んでいたもの、自分たちで曲つくってもいいですか? って思いをぶつけたんです。

そしたら「こっちで全部やるから大丈夫」って言ってくださって、その1ヶ月後には新曲が1曲(「restart my resolution」)できて、8月には所属事務所主催の2周年ライブで披露することができたんです。

鈴木 新曲をレコーディングブースに入って歌った時は、1年ぶりくらいだったんですがすごい楽しくて、またできるようになってよかったって本当に嬉しくなりましたね。

田中 2周年ライブのアンコールで新曲を発表したんですけど、その前振りで「大事なお知らせがあります」って言ったら来てくれてたファンの皆さんに「辞めないでー!」って言ってもらって。その後「新曲やります!」って言ったら大号泣されちゃったんです。 神戸 あの涙を見て、待っていてくれる人がいたんだって気づけた時は、希望を持ち直せた瞬間かもしれませんね。

飯野 インタビューで「これまでの活動で一番印象に残ってることは?」って聞かれたら全員2周年ライブですって答えるくらい強烈な思い出。越えていきたいとは思っているんですが、どうしても忘れられない1日です。

2周年LIVEにて

──そんな苦しい時期を乗り越えて飯野さんはブログに"「仲が良いユニット」のその先に手が届いた"と綴られています(外部リンク)。この感覚は他の方々も感じているのでしょうか?

飯野 …どうですか?

神戸 あの時期を乗り越えたから「仲が良い」は超えたと思えますね。

岩淵 みんなそうだと思いますけど、人とこんな関係になれたことってはじめてなんです。

お仕事をする仲間ではあるけど、友達というよりもっと大事なものを共有できるソウルメイトと言いますか、そういう唯一無二の存在になれた感覚はありました。

神戸 ソウルメイト(笑)!?

──紆余曲折があったからこそ一つになれたという思いはみなさん一緒なんですね。

飯野 一本一本のライブ、一曲一曲に込める思いは強くなりましたね。もちろんそれらが当たり前じゃないことは最初からわかっていましたが、本当の意味で実感できたのは、なにもない時期の苦しみを味わったからです。

──苦しくとも意味がない期間ではなかった、と思えるようになった?

飯野 うーん、正直そこまで割りきれてはいません。なかった方がよかった、とはどうしても思ってしまいます。

神戸 でもその時期があったからこそ今があるのは確かです。

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