一緒に遊ぶ人、こまめに連絡を取り合う人、なんでも隠さずに話せる人…はたまた、一度でも同じお鍋を囲んだら友達、友達の友達も友達、SNSなどで話したら顔も知らなくても友達…。
さまざまな定義がみなさんの中にもあることと思います。これを書いているわたしにも、答えのわからない問いです。
タイトルのとおり、このコラムは映画のお話を通して、寄せられたお悩みをわたしなりの答えとしてひらいていこう、という試みです。
第一回は、編集部の方からいただいた、このお悩みについてお話しします。
せっかくの初回なので、わたしが誰なのか、なぜわたしにとって映画が愛すべきものなのか、ということも交えて、お話していきたいと思います。「どこからが友達で、どこからが親友なのでしょうか。SNSのつながりは、友達とは別物でしょうか」
申し遅れました。わたしの名前は戸田真琴(とだ まこと)といいます。1996年生まれの20歳、内気な性格をこじらせ尽くしたあまりみずから応募して処女でデビューしたAV女優1年生です。
女優業の傍ら、趣味で書いていた映画の感想ブログを読んで下さった方々のご厚意から、巡りめぐってみなさんの前で文章を書かせていただけることになりました。 「好き」を仕事にさせてもらえることの喜びと、「なんだか私はずるいひとだな」というわくわく感で、さっきまで冬の寒い夜道を二時間あまりもひたすら歩き回っていました。そういえば、夜道も街灯もイヤフォンに流れる音楽も、わたしにとっては「友達」です。
「友達」と聞いて最初に思い出したのは、きっと一度でも見たことがある人なら忘れることのない、あの夏の景色の映画でした。
『スタンド・バイ・ミー』は、悪ガキ4人組が死体を探しにいく2日間のお話です。彼らは12歳くらいの頃、特有のふしぎな仲間意識で結ばれたでこぼこな4人組で、特に主人公のゴーディとクリスのあいだには「友達」よりももっと深く切実な結びつきを感じられます。ああいうのを「親友」と言うのだろうな、と、初めて見た時にわけもわからず思ったものです。
そして、羨ましかった。出来のいい兄が死んでしまって父親に冷たくされているゴーディと、家庭が悪いせいで泥棒のレッテルを貼られたクリス。かなしいふたりがお互いにかける言葉は、ちっとも自分をかわいがるためでなく相手自身の正しい価値を素直に話した言葉でした。
まわりのだれも解ってくれなくても、ゴーディはクリスにとって、クリスはゴーディにとって、このどうしようもない世界にふさわしくない、賢く勇敢な友達だったのです。
「父さんは僕を嫌ってる」と言うゴーディに、クリスが間髪入れずに「違う、君を知らないんだ」と返したとき、どうしてわたしの傍にはわたしのクリスがいないんだろう、と、独りさめざめと泣いてしまったことも記憶に新しいほどです。 わたしが今までで一番「友達ってなんだろう」と考えたのは高校二年生の頃でした。
一年生のときに仲良くなった友達みんなとクラスが離れてしまって、出来上がったいくつかのいわゆる「派閥」のどこにもなんとなく居場所がなくなったため、休み時間はなるべくひとりで過ごすことを決めたのです。
今まで溜めていた考え事をするチャンスだと思いました。図書室でなるべくたくさんの本を借りてきて、もういっそ話しかけられないようにと机に積みました。頭を働かせる理由が欲しかったのか、東野圭吾さんや湊かなえさんといったミステリ作家さんの本ばかり。
思えばあのときは、友達がいない子に限って休み時間が水増しされていた日々をわたしと遊んでくれていた、あのミステリ小説たちの「謎」が友達だったのです。 身のまわりには、さまざまな掟が横たわっています。それはみなさんのお母さんやお父さん、先生やクラスのガキ大将、あなたにとって影響力のある誰かによってそれぞれ作られてきたものです。
「友達だからなんでも話す」
「社会的にいい育ちの子と仲良くしなさい」
「SNS上の繋がりなど友達ではない」
なんとなくお母さんや先生に言われたことがある気がするこれらの言葉も、あなたのためという体裁をもっただけの錆び付いた掟です。
あのころ、あるいは今この瞬間も、生まれながらに染み付いた価値観や、お父さんやお母さんや社会の希望によって、自分の本当の望みを見失いそうになっている方も多いことと思います。わたしもそういうふうに暮らしていました。
あなたをあなただと教えてくれるものならなんだって、たとえば顔も名前も知らなくたって、明日には急にいなくなってしまうかもしれなくたって、あなたの友達と言えるのだと私は思います。
育ててくれた環境にかけられた柔らかい呪いの届くことのない別の世界から、あなたの手を触ってくれるのが「友達」です。
「友達」は、あなたの見ている小さな「あなただけの世界」の外からやってきて、あなたの本当の輪郭を触って教えてくれる誰かのことです。 友達ってすごいんです。ぜんぜん違う瞬間を重ねて、全然違う人生を生きてきたのに、隣に並べば同じ景色を同じ瞬間に見てくれます。今の心のなかを話せばその心の目撃者になってくれます。
そして、その瞬間をなかったことになんかしないまま、また別々の人生を重ねて行くんです。
一緒に居る時間の多さでも、お互いの知っているところの数でも、ましてや得することの量でも決まりません。
ただ、あなたがあなたであることをほんの少しでもわからせてくれたなら、その相手は人であれ、ものであれ、景色であれ、あなたの友達なんだと思います。
一緒にいて嬉しかったり切なかったりするのは、あなたの孤独な国に、外からお客さんが訪ねてきたことのしるしなんです。
『スタンド・バイ・ミー』の中でゴーディとクリスが友達だったように、わたしも初めて見た時からこの映画と友達でした。
たとえば、学校帰りの自転車の道でふと鑑賞した時の心のぬくもりが思い出されるようなこと。自分がこの世界に要らない気がした夜に、空から降ってきたように言葉の船が届いて、なんとか涙で溺れずに済んだこと。
いつも一緒じゃなくたって、ほんとうの「いざという時」には、呼ばなくたって来てくれる。そんな優しいお友達でした。
友達は多ければ多いほど良い、人生が豊かになる、という言葉も捉えようです。なにも人間の友達が山ほどいれば必ず豊かな人生になるわけでもないのだろうなとは思いますが、きっと人間以外もお友達とカウントするなら、やっぱり心を通わせた瞬間はたくさんあったほうが人生は豊かです。
かくいう私にも、人間のお友達もほんの少しおりまして、やっぱりその子たちもたびたび当人の気付かぬうちにわたしがわたしであることを教えてくれます。ついでに馬鹿な話で笑ってくれます。
これから誰かとお別れしたり新しく出会ったりしていくとしても、過ごした束の間にもらった柔らかくてあたたかい何かは、やっぱり私の心の中に残って、またいつか独りの夜に助けに来てくれるのだと思います。 このコラムは、わたしが今まで見た映画というお友達たちの声を借りて、出会ったことのない、あるいはこれから出会うかもしれないあなたと、心と言葉だけでお友達になろうという試みです。
独りじゃないことの素敵なところは、悩みを相談できるというところです。独りだと前後不覚の深く厳しい悩み事でも、誰かに話すと毒が抜けてしまったりするものです。
ということで、このコラムをほんの少しの毒抜きにでも使っていただけたら嬉しいです。次回以降のお悩みを募集しますので、未来のお友達のみなさん、頼りないわたしですが、どうぞよろしくお願いします。
今回紹介した映画:『スタンド・バイ・ミー』(ロブ・ライナー監督,1986年,アメリカ)戸田真琴さんに聞いてみたいお悩みは、KAI-YOUのTwitter、LINE@にお寄せください。
Twitterは@KAI_YOU_edをフォロー後にメンションまたはDMにて。ハッシュタグは#戸田真琴の映画コラム。LINE@はこちらから友だち登録をしてお悩みを話しかけてください。
編集・撮影:長谷川賢人・新見直
戸田真琴さんの連載コラム
この記事どう思う?
戸田真琴
AV女優
AV女優として処女のまま2016年にデビュー。愛称はまこりん。趣味は映画鑑賞と散歩。ブログ『まこりん日和』も更新中。ミスiD2018プレエントリー中。
Twitter : @toda_makoto
Instagram : @toda_makoto
ミスiD2018プレエントリー : 戸田真琴さんのCHEERZページ
連載
自身のブログで『シン・ゴジラ』や『この世界の片隅で』評が話題となったAV女優 戸田真琴さんによるコラム連載がスタート。読者からの悩みをひらく、映画と言葉をお届けします。
7件のコメント
ノブ
まこりんに導かれるように、スタンドバイミーを見ました。いい映画ですね。世界の冷たさと意地悪さ。その中の友に対する優しさがびっくりするほど鮮烈ですし、一つ一つの場面を淡々と描いているのに、キラキラしてきて、何だか懐かしい。
別れて消えたと思っていた世界、遠い昔に置いてきたと思っていた世界が、全然消えてなくて、元気に生きているんだと感じました。
もう死んでしまった人もいっぱいいて辛い思いもあるけど、同じ景色を同じ瞬間を見たことは消えはせず、死にもしない。
今更ながらの感想でしょうが、いい映画です。
ノブ
私は、この文章が掲載された時に、繰り返し読んだ。
胸の奥にずんときて、どう表現したらいいのか分からない、でも何か叫びたい気持ちになった。
時間を経て読み返して見て、胸の奥にある傷跡にまこりんの手がそっと触れ、優しく解されていく感覚がした。
一つ一つの言葉を大切にしたいと思った。
しみじみ、このコラム、私は大好きですね。
長谷川賢人
「育ててくれた環境にかけられた柔らかい呪いの届くことのない別の世界から、あなたの手を触ってくれるのが『友達』です」という一文に、僕自身の人生の気付きがまるっと表れていて、はじめて読んだときに本当にびっくりしたのを覚えています。戸田さんの文才はもちろんですが、夜の闇からぴかぴか光る言葉をすくい上げて、読む相手の立場にしっかりと立って、届けてくれる。そんな才能が、あるなぁ、と感じます。