大奥という因習村を今描く必然性 『劇場版モノノ怪 唐傘』中村健治監督インタビュー

映画館に足を運ぶ理由をつくる

──キャスティングのポイントについてもうかがえますか?


中村健治 キャスティングで重視したのは、上手さです。アニメでも映画になると突然声優さんを使わない作品があったりしますよね、あれは役者さんをキャスティングすることで、声優さんとは違った芝居の奥行きが出るとかの狙いがあるらしいんですが、声優さんもすごいお芝居をするじゃないですか。だから声優さんの力を信じたいと思ったんです。


日本の声優さん達の素晴らしさを絢爛豪華に聴かせたい、というひそかな野望があったというか、芝居が上手い人たちがその上手さを存分に吐き出せる舞台をつくれたらいいなと考えました。


だからめっちゃ難易度が高い作品にしてやると思ったんですけど、声優さん達は軽くクリアしてしまいました(笑)。


──たしかに皆さん、凄まじいお芝居でした。

中村健治 台本とは別に、今回のテーマや作品内で説明してない人物設定や内面とかを全部解説した資料をつくって、収録前に全員に読んできていただきました。その効果なのか、かなり仕上がった状態で収録することができました。

もともと、収録前に作品についての前説をすることが多かったのですが、前々から前説が長いとクレームをいただいていたので(笑)、今回はあらかじめ資料をつくったところうまくいったのかもしれません。

原作がある作品ならそこに答えがすべて書いてありますが、オリジナルの場合は全部説明しないといけません。今回のようなシリーズの場合は、過去作が逆に足かせになってしまうこともあるので、しっかりとした説明が必要でした。

そうした説明を台本に反映させられるようにト書きもたくさん書いたので、厚みが電話帳のようになってしまいました。でも、それくらい丁寧に手紙のように説明を書いて、いかにして作品を共有するかに力を入れたんです。


──それだけ意識を統一して臨まなければいけなかった?


中村健治 今回の作品は必ずしもアニメが中心にあるとは思ってなくて、映画は見ないけど漫画を読む人もいるだろうし、ノベライズだけを読むという方もいると思うんです。そうしたひとつひとつのコンテンツがちゃんと主役になれるようにしたいと思ったので、ある程度はそれぞれの方に任せつつも、軸だけは揃えたいと考えました。

逆に全部回遊した人が、媒体によって話が違うじゃんって思ってしまうのも悲しいので、基本はしっかり統一してブレないようにお願いしました。ちょっと窮屈かもしれませんが、ユーザーのことを考えるとそれがいいと思ったので。

──劇場版ということで音響にもかなりこだわられたそうですね。


中村健治 今っていろんなストリーミングサービスがあって、ただ映画を見るだけなら家でいいわけですよね。僕自身もそう感じつつある中で、映画をつくる立場としては、映画館に見に行く理由をつくらないといけない。そこで映画というよりは、サーカスやプロレスみたいな興行というかイベントを見にいくみたいな感覚で、臨場感や生々しさを感じてもらえればと考えたんです。

やっぱり劇場で見るとすごいなと思ってもらうためにはどうすればいいか考えた時に、映画館ならではの音響をポイントにしたいと思いました。個人では手に入らないような高い機材から、しっかりとチューニングされた音が聞こえるわけですから、そこに映画館に行くメリットを感じてもらいたいと考えたんです。

制作の最初の段階から音響監督の長崎(行男)さんとそういう話をしていたので、現場からも音を良くするために大量の提案があがってきました。映画を見ている間はこの世界に閉じ込めるということを意識してチューニングして、かなり大変でしたがすごいものがつくれたと思います。

「世の中ってそもそもそんなに楽園じゃない」

──個と集団というものが作品における大きなテーマでしたが、かつての監督作品『ガッチャマンクラウズ』の時とはテーマこそ通じつつも決着の付け方が異なっているように感じました。


中村健治 そうなんですよ、テーマは一緒だけど決着は違ってますよね。『ガッチャマンクラウズ』の頃には、SNSにもうちょっと期待感があったんですよね。これがもっと発展していけば、バラ色とまではいかないけどアップデートされた世界がやってきて、人類が体験したことのない新たなステージにいけるのかも、みたいな。

でも今のSNSは、そもそもあっていいものなのかみたいに思う瞬間もあって、昔ほど夢がなくなってしまいました

SNSの方が、ひょっとしたら普段話していることよりも“本当”なのかもしれないですし、匿名だから本当は言えないようなことが言えてしまうのは良いことだと思うんですけど、言えないような本音っていうのはこんなにもドロドロしているのか、というのがわかってしまったのが今の状態なのかなと思います。

なので今はそのドロドロをどうするのか、という新しい問題が生まれていると思うんです。それをどうにかしなければ期待していたアップデートなんてできないですから、そのためにもこのドロドロをどうにかしようぜっていう気持ちが今回の作品に入っています。


──たしかに、SNSから日々いろんなドロドロが可視化されるようになっていますよね。

中村健治 SNS由来のものでなくても、普段社会に生きていると、カチンときたり許せなかったりすることもいろいろあると思うんですが、それが見えるようになると、みんなこんなにも感情が暴れているんだな、色んなことを思うんだなというのがわかってきたんだと思うんですよね。

それも理想と現実が食い違うから生まれているものなのかなと思うんですが、やっぱり世の中ってそもそもそんなに楽園じゃないと思うんです。生きてるだけでちょっと苦しいのがデフォルトで、だからこそ癒しや娯楽としてのアニメやゲーム、エンタメがあると思うんです。

異世界転生ものを読んで「俺も転生してぇ」「私も転生したーい」って思うのは、それくらい今が辛いからですよね。その共感があるからこそドラマが生まれるわけですが、それくらいこの世界はデフォルトでちょっと辛いものとしてできているのかなと。

みんな幸せになりたいと思うものの、一人ひとりの幸せは少しずつ違うので、全員が100%満たされるという状態にはなれない。そんなちょっと辛い世界で、少しでも楽しく生きるにはどうすればいいのかというと、やはり個人と集団はズレるものとして構えた方がいいということなのかもなと。ちょっと辛くても人間は生きて、働いていかなければならないので。

若干ネガティブベースではあるのですが、そうやって構えていることで、色々なズレに必要以上に傷つかず、心はハッピーでいられるんじゃないでしょうか。

──それは、個と集団の利益が合致するという“幻想”を追うことを諦めるということではなく、あらかじめ低く見積もっておいた方がむしろ幸福度を上げるためには有効なのではないか、ということでしょうか?


中村健治 そうです。諦めて撤退戦に移ってほしいということではなくて、敵の前では素肌を晒さない方がいいということです。

個と集団はどうしてもズレます。それは家族であっても変わりません。個と集団の利益の合致を素直に追い求めると、病んだり、今作のある登場人物のように、組織に上手く順応したと思ったら心が壊れていたみたいな事態になってしまいかねません。なので個人の側へのメッセージとしては、社会に対して無防備でいるんじゃなく、ガードを上げてほしいということです。

これだけのスピード感の中で社会を営んでいるのは人間にとって自然な状態じゃないですし、絶対に無理は出てくると思います。それについていけないからといって、個人に価値がないのかというとそうではない。その人がいてくれるから成り立っていることは絶対にあります。

だからこそ集団を形成する一人ひとりの個人もしっかり大事にしてほしい、というのが集団側へのメッセージでもあるんです。

1
2
3
この記事どう思う?

この記事どう思う?

0件のコメント

※非ログインユーザーのコメントは編集部の承認を経て掲載されます。

※コメントの投稿前には利用規約の確認をお願いします。