キャラクターは全員、“信頼できない語り手”
まず大前提として、『よふかしのうた』で語られる吸血鬼の生態や情報はすべて疑うべきものです。
これは筆者がうがった見方をしているとかではなく、作中の台詞で暗示されています。
「吸血鬼は実のところ吸血鬼についてあまりわからないんだ」「人間だって本当は人間のこと良く知らないでしょ? 頭の良い人が教えてくれたからなんとなく知ってるだけで理解はできていない」出典:コトヤマ『よふかしのうた』5巻収録 44話「あるものが有ること」(83ページ)より
この台詞が示すように、吸血鬼は、吸血鬼についてよく知らない。
さらに、「人間だったころの私物」が吸血鬼の弱点とされていましたが、途中でその前提が崩れます。
「そもそもの『人間だったころの私物』という解釈自体に誤りがあるのか…?」出典:コトヤマ『よふかしのうた』14巻収録 136話「行ってきます」(120ページ)より
そんで最も象徴的な台詞が以下です。
「なんか多分とかだろうとかわからないとかおそらくとか結局全部憶測じゃん」出典:コトヤマ『よふかしのうた』11巻収録 104話「絶交」(87〜88ページ)より
そう、結局、吸血鬼に関する生態や情報はすべて憶測の域を出ないのです。ゆえに吸血鬼に言及する時、本作のキャラクターは全員、“信頼できない語り手”となります。
読者に回答を委ねる『よふかしのうた』の作風
作者のコトヤマさんは、あえて吸血鬼の情報をはぐらかすように小出しして、時には複数の解釈ができるように提示してきます。
謎が謎を呼んで、どんどん真理から遠ざかっていく。
星見キクはその最たる例で、探偵さんこと目代キョウコや彼女の父・目代キョウイチとの関係には特に謎が多い。明確な答えを見つけるには情報が足りず、完全に迷宮入りです。
他方でこのような作風は、読者が様々な解釈をつなぎ合わせて、いろいろと想像を膨らませられる余地が大きいわけです。翻って、読者に回答を委ねてくれているとも言えます。
自分なりの『よふかしのうた』の物語を創出しやすい(言うまでもありませんが、コトヤマさんによる本編へのリスペクトが大前提です!)。
ですのでここからは、筆者なりの、最終話「それから」からの“それから”の物語を想像してみたい。
『よふかしのうた』最終話をおさらい
『よふかしのうた』は最終話で、一緒にいられなくなって別れたコウとナズナの再会で幕を閉じました。
2人が一緒にいられなくなった理由はやや複雑なので仔細を省き、端的に記すと、ナズナがコウを吸血することで、2人とも死ぬ可能性があったからです。
でも、ナズナはコウへの吸血衝動を抑えきれなくなっていた。だから別れるしかなかった。ナズナがコウへの想いを断ち切るまで会えないはずでした。まあコウが会いに行っちゃったわけですが。そんで、死ぬまで追いかけっこする?と軽口を交わして……その後を想像する余地が大いに残った、味わい深い終幕でした。
なんにせよ、ずっと一緒にいることはできないことを示唆していました。しかし、筆者は、コウとナズナは死ぬまで一緒に添い遂げることができると考えています。
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テーマは「漫画を通して社会を知る」。 国内外の情勢、突発的なバズ、アニメ化・ドラマ化、周年記念……。 年間で数百タイトルの漫画を読む筆者が、時事とリンクする作品を新作・旧作問わず取り上げ、"いま読むべき漫画"や"いま改めて読むと面白い漫画"を紹介します。
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