連載 | #10 KAI-YOU編集部ネタバレ全開座談会

『葬送のフリーレン』座談会 成熟と喪失、冷徹なリアリズムと緻密なファンタジー

あまりに現代的すぎる『葬送のフリーレン』──看取る物語

少年漫画的じゃないっていうのは、結局、よねさんの言ってるテーマは「看取る物語」ってことですよね。

看取る物語です、完全に。

ようは喪失を受け入れて、その上で自分の人生は続いていく──それと同じぐらいの対比として「死ぬ」ということは何を残すか、つまりうぎこさんの言う“継承”についても強く描かれていると思うんですよね。

そう思います。

死ぬことが人生の帰着で、だからこそそれをどう迎えるか、つまり自分のいない世界に何を残すかというテーマはやっぱりあって。だからフリーレンは、かつての仲間の弟子たちをわざわざ連れていくわけじゃないですか。

『葬送のフリーレン』は看取る側の物語でもあるし、やはりそれと同じくらい強調されているのは、成長を見守る側の物語でもあるっていうことかなと。

まあ継承性、たしかにあるね──これ、フリーレン死ぬわ……フリーレン死ぬわ……フリーレン死ぬな、絶対;;

え?!

フェルンとかが、また新しい弟子を連れて旅に出るわ、これ( ^ω^)・・・

まあそれもすごい王道ではある(笑)。そういう意味だと、今の日本人、つまりこの超高齢化社会にめちゃくちゃ馴染む話だと俺は思っています。

高齢化社会漫画!

そうだよ。かつては未成熟の象徴とされたオタクもある種、どんどん高齢化してきて……

それこそ喪失も経験してきただろうし。どんなに成熟を拒んだとしても、現実的に大人になった俺たちには親や仲間を看取らなきゃいけない瞬間がもう訪れたか、近いうちに訪れるわけです。あるいは家族や子供ができて、子の成長を見守るフェーズにも入っているわけだよ。

「なぜ流行ったか?」という問いの回答として──『葬送のフリーレン』は構造として特殊だし、失うってことをこんなに突きつける少年漫画はたしかにめずらしいけど、今の日本社会には、それを当たり前のものとして受け入れられる土壌があるんじゃないかなと思う。

社会にフィットしたってことね。

そうっすね。

もうずっとマーケティング理論にまみれた漫画ばっかり読んでたから……。

なるほど。でもこういう話、実は最近増えてる気がするんですよ。

なんと!

『葬送のフリーレン』以降増えてる印象がありますね。ポスト戦争というか 「元魔王」や「勇者のその後」を描く作品はかなり増えているし、Xにもめちゃくちゃ流れてきます。

パッと調べてもそういう作品はたくさん出てきますし、ジャンルとして成立している印象ですね。

漫画もそうだし、KAI-YOU Premiumで掲載している「物語における世界の終わり論」でも指摘されている通り、『アークナイツ』や『ブルーアーカイブ』も、主人公が大人で、子供たちを見守るという設定ですよね。

これまで高校生が主人公だったオタク系コンテンツが、大人化してるのは感じます。

なろう系の主人公が、30~50歳代のおじさんばっかりになってるという指摘も以前からよく聞きますよね。

そう。視聴者である俺たちが大人側になっている。単純に日本人が歳をとってきてるということでもあるし、ある種の成熟を受け入れなきゃいけないよねっていう自覚でもある。

“成熟”と“喪失”を描くことは漫画に限らず、コンテンツ業界のトレンドなのかなとは思ってますね。

まあでも、一方でフリーレンが子供っぽさを残しているところが、『葬送のフリーレン』の妙だよね。

それは──この言葉は使いたくないけど、いわゆるネットオタク的なミームとしての「合法ロリババア」だと思う。

実際は成熟した女性だけど見た目がなんらかの呪いや理由から少女であるという、オタクの欲望が詰まった化身のようなフィクション上の存在。

これって本当にすごい概念で、 要するにバブみを感じさせてくれる母性もあって、ロリ趣味を満たす幼女性もある。中身は大人だからそこにロリコン的な後ろめたさもなく、大人にとって責任をとるべき庇護の対象でさえない、という。

どこからどこまでもオタクがしゃぶり尽くせる大好物のギミックだよね?

僕自身はそういう欲望を持っていないのでわからない部分もありますが! 好きって言う人は多いですよね。現代オタクの象徴たるぐんぴぃさんも動画でロリババア好きって言ってました。

僕はロリババア以外にもオタクにとって都合のいいキャラクターを見ると「コイツは今、俺を甘やかそうとしている!」「俺はなんの価値もないただのオタクなのに、優しくしないでくれ…」と逆にダメージを負ってしまうのでむしろ苦手です(超早口)

(???)ちょっと気になってることあって。江藤淳の『成熟と喪失』の話に戻ると、“親”が超重要なんだよ。というより文学的には母性と父性っていう重要概念があるんだけど……そこでフリーレンの親ってどうなってるのっていうところが、気になってます。全く描かれてないじゃないですか。

はい、はい。

エルフの村が魔族に焼かれたみたいな話あったすね。

多分、描かれないと思うな……!

私もそう思うな。フリーレンの親としての機能は、師匠であるフランメとゼーリエに託されてると思いますね。

カラッとした疑似家族っぽい。それもある意味で今っぽいと言えます。例えば世界的に人気の『SPY×FAMILY』とかも、やっぱりある意味で契約という主体性から逃れられる都合の良い疑似家族の問題として見ることもできると思うし。

たしかに『葬送のフリーレン』って主要キャラクターにはほとんど師匠的な存在がいる(あるいは喪っている)気がしますね。

だからうぎこさんの言うような“継承性”もあるのかなと。

みんながみんな師匠いて、羨ましいよ(涙)

師匠といえば、フリーレンが老衰で亡くなりそうなハイターに対して「ハイター、大人になったね」って言うシーンがあるんですよ。でもハイターは「いや、大人のふりをしてるんだよ」みたいなセリフがすっごい良くて……そこでも泣いた。

それが成熟っスね……(涙)

『葬送のフリーレン』は『ちいかわ』である

(なんか喋らなきゃ!)僕は『フリーレン』を読んでから“時間”をすごく意識するようになったっすね。

残された時間なのか、過ぎていった時間なのか、どっちですか?

僕はやっぱり残された時間の方ですね。

人間の時間は短いって、何度も何度も書いてますよね。ただ、だからこそフェルンとかはめちゃくちゃ短期間で成長している。

そうなんです。仮に自分の寿命が1000年以上あるとしたら、ずっとぼーっとしてると思います。

フリーレンも、結構ぼーっとしてるタイプで、1000年生きてるにしては、ゼーリエとかからは、未熟というか、大したことない奴って思われてるっていうのも、良い発想の漫画だなって思いました。

人間は老い先短いからこそ残すんだ、みたいな意思も、すごく感じるなと思いました。

そうっすね。やっぱその意思が一番出ててたのは、南の勇者だと僕は……!

出た! 南の勇者(笑)

彼は未来が見えるから、自分が死ぬって分かってるんすよ。

そういうところ、すごく上手いなと思う。ハイファンタジーだけど最近はSF的な時間遡行や未来を視る力とかも出てきて。作風がめちゃくちゃ計算高い印象もあって。

これはごく個人的な好き嫌いなんだけど、計算高さが前景化してるように感じるとのめり込めなくなるという意味で、『ちいかわ』と似たような印象を受けるんです

『ちいかわ』!?

ワッ ワァッ!

『ちいかわ』も、すごく考察が捗る。

はい、はい。でもそもそもSFって、そもそも計算高くなきゃ書けなくないですか?

緻密であることは良いんだけど、いかにも「ここを考察してほしい」という作為が読めてしまうといいますか……。

作者の手のひらの上で踊らされてる感があるってことね。

そう。その感じがちょっとあるんすよね……。

オタクなら、踊りましょうよ!!!

俺はオタクというわけではないし、やっぱり“踊らされてる感”って気になっちゃう方なんですよね……。「作者の意図やメッセージ」と「表象としての作品」は本来別のものだと思っているから。まあこれも古い考えのような気もしますけどね…!

新見さんの言っていることはすごいよく分かる。でも仕方ないというか、そもそもミステリーとしての要素も強いじゃないですか。

結局、倒した魔王は1回たりとも姿が出てきてなかったり、どうやって倒したのかも不明だし、南の勇者の話とかもそう。考察の余地はどこまでも広がるよね。

そうですね。作品の外側でも、『葬送のフリーレン』は『ちいかわ』と同じ路線を辿らされている気もしていて。

日テレがTVアニメの第一話・二話を「金曜ロードショー」の枠で放送する異例の対応でプッシュしたり、考察要素があったり、ミームになっているのも──流行する必然性がありすぎるというか。

物語的な強度は間違いなくあると思うんだけど、計算もされているなって。良く言えば、物語的な部分とマーケティング的な部分が噛み合ってるなと思う

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